97 婚礼の儀
一週間後、ヘリオスとセレさんは結婚式を挙げた。
遠い見知らぬ国から来た赤い髪の花嫁に、スリ・ロータスの人々は歓喜した。
王宮内の神殿から母なる大河のほとりまで、びっしりと敷き詰められた花びらを踏みしめて、伝統の衣装に身を包んだヘリオスとセレさんが歩いて行く。
金色の僧衣を纏った大僧正が神に捧げる祝詞を捧げ、二人は河辺の階段を降りて跪いた。
ヘリオスが金色の小さな盃で川の水を一すくいすると、それをひとくち口に含んだ。続いてセレさんが同じように川の水を一すくいする。
(あんなの飲んで大丈夫だろうか……?)
オリィは密かに心の中で思った。
(みんな、川で水浴びやら洗濯やら……俺はその中を泳いだし……)
実に複雑な心境だ。まあ、儀式なのだから仕方がない。その心配は後でしよう。
宮殿内で一通りの儀式を済ませると、次は国民のために天井部分がないオープン馬車でのお披露目になる。
その際はきっとあの素晴らしい婚礼衣装は、お色直しされて行かれるのだろう。遠目に見てもセレさんの衣装は肌が透けて見えて、眼福、いや目の毒だった。
ジェイドも一瞬、『えっ!』っと言葉を失っていた。
今日のジェイドは、ニッポニアで購入した美しい金糸銀糸の鮮やかな刺繍入りの衣装だ。地色は深い紺色だが、そこに鮮やかなピオニアの花の刺繍が施されていて、それがジェイドの黒髪と相まってとても美しい。
デュモン卿が同じくニッポニアの侍衣装なのが解せなかったが、そこを指摘するのはやめておこう。
確かに湿度の高いこの国で、ディヤマンドの服を着るのは暑苦しい。だが、貴族の俺はそんなことをおくびにも出さないよう、幼少の頃から教育を受けている。首から上は汗をかかないようにしよう。
街中をパレードが進む間、宮殿では国王夫妻と殿下たち、国の重鎮が居並び、各国からの賓客を迎えていた。さすがにディヤマンドからの賓客は自分たちだけだったが、意外な人物に遭遇した。
「デュモン殿!」
先に気づいたのは向こうの方だった。
「これは、ポラス殿」
大陸の交差点と呼ばれるタルク国の商務大臣ポラス殿だった。
「ポラス殿、ここでお目にかかれるとは!」
「オリヴィン殿! 息災でございましたか?」
黒の民族衣装に羽根と宝石の飾りのついた帽子を被った、その愛想の良い男が駆け寄って来た。
「ゴルン王国で怪我をされて記憶を失ったとお聞きしましたが、お元気そうではありませんか!」
「えっ、そんなことまでご存知とは……。お陰様ですっかり良くなり、今はこの通りです」
「デュモン殿、無事にニッポニアに渡られて、例のものをお返しになったようですね。よろしかったですな……」
オリィもデュモン卿も、この男の情報収集能力には舌を巻かざるを得ない。
「ジェイド様もますますお美しくなられて……これはデュモン殿も言い寄る羽虫どもを追い払うのが大変でしょうな」
「そんな、ポラス様。そのような話はいっさいございませんわ」
「まあお隣にこれだけの美丈夫が寄り添っていたら、羽虫も寄って来ずらいでしょうな」
ポラス殿はハハハ……と笑って、愛想を振りまいた。
「それにしてもまさか、セレスティン殿がスリ・ロータスの王族と縁を結んでおられたとは……縁というものは不思議なものでございますな……。デュモン殿、オリヴィン殿、後日少しお時間をいただけませんか? できましたら外で」
「そうですな。わしも少しポラス殿にお尋ねしたいことがありますでな。町に、ジェマという元冒険者が女主人をしている宿があります。そちらはふだん我々が定宿としております。信用できる者なので、そちらではいかがかな?」
「わかりました。それでは明後日ぐらいでよろしいでしょうか?」
「こちらも宿の方に話を通しておきましょう」
そう言ってデュモン卿は頷いた。
そしてポラス殿はまた、祝宴の輪の中に戻って行った。
それにしても、ポラス殿の情報収集能力はいったいどうなっているのだろう?彼のことだ、この国のきな臭い噂とかも耳にしているかもしれない。
祝宴は三日三晩続く。そしてその後も、一ヶ月間は様々なお祝いの行事が続くのだそうだ。
「セレさん、身体は大丈夫かしら?」
ジェイドがポツリと言った。
* * *
「あ〜〜〜もう、無理ぃ!」
お色直しの衣装を着たまま、セレさんがデュモン卿とジェイドの部屋に飛び込んで来た。
祝宴二日目の昼である。
来賓は三日間の祝宴に何度か顔を出せばいいのだが、主賓は出ずっぱりである。さぞかし大変なことであろうと思う。
「ごめんね〜、押しかけて来ちゃって……。ヘリオスが少し休んで来ていいって言うから、従者を撒いて逃げて来ちゃった。ハァ〜、疲れた……」
「いいのよ。よかったら私の部屋に来て楽な服に着替える?」
ジェイドが気を利かせて言うと、縋るように感謝された。
「ありがとぉ〜〜〜!そうさせてもらっていい?」
ジェイドはセレさんを自分の部屋に招き入れた。
「あたしねー、まだそんなにこっちの言葉ができるわけじゃないから、誰かが挨拶に来ても何言ってるかよく分からなくて……。こうしてジェイドといると普通に話せるのが本当に嬉しい!」
「そうなの? 私は子供の頃スリ・ロータスに四年住んでいたから、それで覚えたの」
「すごい、四年で覚えちゃったの? あたし……無理だ。勉強は大の苦手で。十六で普通の学校を出てすぐ冒険者になっちゃったから。……ジェイドは、生まれはニッポニアだよね?」
「うん、でもニッポニアには三歳までしかいなかったから、何も憶えてなくて……」
「その時、お母さんと生き別れになっちゃったんでしょう? 淋しかったよね……」
「そうね、物心ついた時は父しかいなかったから、あまり気にはしなかったんだけどね。その後も父について魔石探索してたし」
「えっ! そんな小さい頃から魔石探索してたの? すごいねっ!」
「すごいなんて……父といるしかなかったから、結果的にそうしてただけで、何もすごくないよ」
「そぉんなっ! すごいよ! デュモン先生でしょっ?世界最高峰の魔石研究者に付きっきりで教われるなんて……うらやましいっ!」
そう叫んでセレさんは目をキラキラさせた。
ジェイドは辛かった子供の頃の生活を、こんなに目一杯羨ましがってくれる人に初めて出会った。その目には邪推も嘘も浮かんでいなくて、純粋にそう思って言っているのが伝わって来て、戸惑った。
「セレさんだって、『魔石の島スリ・ロータス』の王子様と結婚したんでしょ。これからも魔石とは縁が切れないわよ」
ジェイドがそう言うと、セレさんは少しだけ声を落として言った。
「あたしが出会ったのは、黒い髪に灰色の目の、ただの旅の冒険者だったんだよ。これからずっと二人で魔石を探して冒険して、って思ってたの。そうしたら、本当は王子で、イケメンで、魔女に囚われちゃって……」
その目には、複雑な思いが浮かんでいるのがわかった。
「セレさん……」
「ごめんっ……こんなこと! きっと、マタニティブルーってやつだね!」




