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85 後の祭り

 

祭りの翌朝は、何もかもが色()せて見える。


 昨日の花火の色鮮やかな(きら)めき、揺れる色とりどりの提灯(ちょうちん)、賑やかな夜店に、さんざめく人々の声……そのどれもがもう失われている。


 夜が白々と明ける頃、黒曜はまだ一睡(いっすい)もしていなかった。

 着ている物もそのままで、疲労と苦悩の色がその美しい顔に浮かんでいる。


 舟行列の順位発表のあと、一番を取ったヒナギクとオリヴィンは表彰され、そのまま月華楼に場所を移し宴会になる筈だった。


 だが、大盛り上がりで店に帰ると、海に落ちて溺れかけ寝ていたはずのアイリンが行方知(ゆくえし)れずになっていた。

「黒曜様、申し訳ありません。寝ているとばかり思っていたのですが、どこを探しても見当たらなくて……」

 黒曜は留守番の者たちに片端から話を訊いた。


足抜(あしぬ)け”……年期明けを待たず、奉公(ほうこう)の途中で逃げ出す行為は、花街では最も罰が重い。

 通常の “足抜け” なら、手引きをした相手の男との『駆け落ち』という形が多いが、今回は違う。


アイリンは黒曜が信頼して大事にしている人の、この世に二つとない『大事な物』を盗んで逃げた。

 しかも、その『大事な物』は(おおやけ)に口にできないようなお宝なのだ。


「すみません……私がうっかり置き忘れたばかりに……」

 ジェイドはすまなそうに黒曜に謝る。


「ジェイド殿が謝ることではありません。私の目が行き届かなかったのです。……もともと少し問題のある()でした。ジェイド殿には大変ご迷惑をお掛けして、申し訳ない限りです……」


 黒曜は、祭りのためにジェイドやオリヴィンを巻き込んでしまったことを後悔していた。

(自分が雛役を頼まなければ、こんなことにはなっていなかった……)


 店の者の話を聞くうち、

「そういえば、雪駄(せった)が無くなったっていうお客がいたわ……」

 という話に始まり、

『見たことのない長い黒髪の若い男が、早い時間に帰って行った』

『男衆の部屋の着物が無くなった』

 などという証言が出て来て、少しずつ足取りが(つか)めて来ている。


 今アイリンは男の姿で逃げている。黒曜は手探りで『長い黒髪で赤い目の若い男』を探させている。



 * * *



 シンスケはアイリンを追っていた。

 そう遠くへは行けない。アイは手形も持っていないし、行燈(あんどん)も持っていかなかった。夜道を行燈もなしで歩いては行けない筈……関所(せきしょ)を避けて通るにしても、山道を夜進むのは無理だ。


 シンスケは、きっとアイは故郷を一度は目指すだろう、と踏んでいた。

 旅になど出たことがない田舎暮らしだったのだ。知らないところを彷徨(さまよ)うことなどできぬだろう。


 関所の手前に山に続く石段があった。

 寺か神社に通じているのだろう。登っていくと鳥居があった。

 木々に囲まれた狭い場所に小さな社殿が建っている。こんな夜でも祭りの夜だからか、灯籠(とうろう)()が灯されていた。


 社殿の中にうっすらと明かりが灯っている。

 シンスケは手に持っていた行燈を消すと、社殿の扉に手を掛けた。


「こんばんは、誰かおりますか? お邪魔します」

 中で何かがガサリ、と動く気配がした。

 扉を開ける。

 すると社殿の隅にうずくまっている者がいた。

 床に直接小さな蝋燭が立てられていて、その横で長い髪をした若い男が顔を上げた。

 間違いない、赤い目だ。


「アイ……大丈夫か?」


「シンスケ、何で来たの……」

「おまえを迎えに来るのは、俺って決まってんだろ」

「……何言ってんの……」

 シンスケはアイの前にどっかりと胡座(あぐら)をかいて座った。


「アイの帰るとこは、俺んとこだかんな」

「……なに訳のわかんないこと言って……」


「おまえ、怖くなっただろ……」

「……怖くなんか……」

 アイは顔を背けると、自分の膝の上に顔を(うず)めた。


「アイ、戻ろう」

「……戻れないよ」


「今ならまだ大丈夫だ」

「大丈夫なんかじゃない……」


「俺が代わりに謝ってやる」

「やだ……折檻される……」


「俺がお前の代わりに折檻されてやるから」

「そんなこと……できる訳ない……」


「必ず、俺がお前を守る。約束だ」

「シンスケ……」


「それ、渡してくれないか?」

「それって……?」

「首から下げてるやつ」


「知ってたんだ……」

「ああ、人のだからな……」


「痛いんだ、外す時……」

「そうなのか?」

 アイは呻きながら、ゆっくりとペンダントを外す。

 シンスケは手拭いを取り出すと、ペンダントを包んで懐にしまった。


「よし、これで俺のアイになった」

 シンスケは小さくなったアイを引き寄せると、抱きしめた。


 二人は朝まで抱き合って過ごした後、来た道を戻って行った。

 朝靄(あさもや)で人影もまばらな朝、シンスケとアイは花街の門をくぐる。


「黒曜様っ、アイリンが戻りました!」

 店の者が黒曜の部屋に飛び込んで来た。


 玄関に留め置かれたアイリンとシンスケのところに、黒曜が顔を出した。


「お帰り、アイリン。よく戻りました」


「黒曜様、申し訳ねえ! 俺が黙って一晩アイを買いました!どうか、俺を罰してください!」

 シンスケがいきなり、その場に手をついて土下座した。


「シンスケ殿……」

 黒曜は少しの沈黙ののち、こう切り出した。


「お手をお上げください、シンスケ殿。……そう言えば、報酬のお約束をしておりました。……たしか、一晩アイリンをお買いになりたいとおっしゃいましたか?……報酬を受け取られた、ということでようございましょうか?」


 シンスケがハッとして顔を上げると、黒曜はにっこりと微笑んで言った。

「今度からは、行き先をお告げくださいましな」


 シンスケとアイリンは顔を見合わせた。


 姐さんが気を利かせて、

「そういうことだから、アイリンは早く上がって風呂にでもお入り。ささ、シンスケさんも、どうぞ」

 と、二人を促した。


 シンスケは立ち上がると、懐から手拭いに包んだペンダントを取り出して黒曜に渡した。


 黒曜は二人に伴って奥へ進みながらシンスケに囁いた。


「ありがとうございます、シンスケ殿。この恩は忘れません」


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