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83 祭りの夜

(ん……ここは?)


 部屋の隅の行燈(あんどん)に火が灯されている。

(あたし、どうしたんだっけ……?)


 アイリンは月華楼のいつもの部屋で目を覚ました。

 髪がまだ濡れていて、潮の匂いがする。


(そうだ、あたし海に落ちたんだ……)

 暗い部屋を見渡すと、そこに人影があった。


「アイ、気がついたか?」

 男の声……シンスケだった。

 海に落ちた時、衣装が重くて体がどんどん沈んだ。

 顔が水面の下に沈んで、海水を飲んで息が詰まった……


 そのとき、誰かが向こうから手を伸ばしてくれた。あれ、シンスケだったんだ……

「大丈夫ですか?」

 女の声……誰?

「誰か呼んで来ます」

 そう言うと女は出て行った。


「アイ……よかったァ〜! 俺、お前を助けられなかったら親父さんに合わせる顔がねえ……」

 シンスケが安堵した声を出す。


「なに……あ、んな、おや、じ……」

 喉が痛くて声にならない。

(あんな、あたしを売った親父なんか……)


 突然吐き気が込み上げて、“ヴッ” となると、そばに置かれていた桶をシンスケがこちらに寄せてくれた。

 海水をたくさん呑んだようで、気分が悪い。

 ……しばらく吐くだけ吐いたら、少しマシになった。


 部屋から出て行った女が月華楼の(ねえ)さんを連れて戻って来た。

 姐さんはアイリンの顔を見ると、興奮を隠しきれないように言った。


「良かったわね〜、アイリン! シンスケさんが咄嗟(とっさ)に飛び込んでくださって。九死に一生を得るとはこのことね。おまけに海の神様がお助けくださったって、大評判になってるわよ」


 よく見ると、シンスケの後ろに翡翠(ジェイド)がいる。


(なんで、この女までいるの?)

 アイリンは気に食わない女の前で、自分が醜態(しゅうたい)(さら)してしまったことに(いきどお)った。


(あたしを笑いものにしようっていうの?……まったく忌々(いまいま)しい女)


「シンスケさん、アイリンさんも大丈夫なようなので、私は黒曜様にご報告して参りますね」

 翡翠(ジェイド)はシンスケと店の姐さんに挨拶すると出て行った。


 シンスケは先刻、自分とアイリンを助けてくれた大きな水の手が、皆と同じように『海の神様のお助け』だったとは信じていなかった。


(あんな芸当ができるのはオリヴィンの旦那か、それとも……)


「アイリン、お腹が空いたろ? 今なにか食べる物持って来てあげるからね」

 姐さんがそう言って出て行くと、シンスケとアイリンは二人だけになった。


「アイ、たまには親父さんに手紙でも書いてやれよ……」

「はぁ? 何言ってんの……あたしのこと売ったんだよ! あんなの親父でも何でもないよ!」


「そんなこと言うなよ……お前だって仕方なかったってわかってるだろ……」

「……っ。そんなの、わかりたくもない! あんたは余計なこと言わないでよ!」


 シンスケはアイリンに怒鳴られて、自分の無力さを痛感する。


(本当に情けない……あの時、お前が売られて行くのを俺は黙って見ているしかなかった……)

 その時の気持ちは今もシンスケの心をギュウギュウと(しば)り付けて、切ない気持ちにさせる。


「お、俺が必ずお前を……お前を身請(みう)けするから、だから……それまで待っててくれないか?」


 アイリンは突然のシンスケの申し出に、唖然(あぜん)とした。

「なにそれ……? 同情なの?」

「ど、同情なんかじゃ……」


「同情じゃなかったらなんだって言うの? 何であんたにそんなこと言われなくちゃならないのっ!」

「アイ……」

「出てって! 今すぐ出てってよっ!!!」


 アイリンのあまりの剣幕に、シンスケも居た(たま)れなくなった。 


「俺は、本気だかんなっ! お前のこと、ぜってー迎えに来るから!」

「出てけっ!」


 シンスケは突き放すように部屋を閉め出された。

(なんだよ……そんなに俺のことが気に入らないのかよ……)


 正直、どうしたらアイを身請けすることができるのか、見当もつかなかった。


(おれがチマチマ稼いだカネなんかで、見受けができるまで貯まるのは一体いつのことやら……)

 シンスケはトボトボと長屋に帰って行った。


 * * *


「あんた、命を助けてもらったのに、あれはないんじゃない?」


 アイリンに食事を持って来てくれた姐さんが言う。

「だって……」

「お礼の一つも言ってないだろ?」


 口元に箸を運びながら、アイリンはモゴモゴと言い訳する。

「……だって、あいつが出来もしないこと言うから……」

「出来るか出来ないかなんて、誰にも分りゃしないさ。『絶対に無理』じゃないかもしれないだろ?」

「いや、無理だから……」


 姐さんは、『あ、そうか』と言う顔をして、

「もしかして、あんたあの男のこと好きだったのかい?」

 と言った。


「はあっ? 姐さん、何でそうなるの?」

 そう言いながら、アイリンの顔がみるみる赤くなっていく。


「ああ、やっぱりぃ〜。好きだったんだ?」

「もう、姐さんからかわないでよ!」


(……確かに、村にいた頃はシンスケのことが好きだった……)


 あの小さな田舎の村で、いつかはシンスケがあたしを嫁にしてくれる日が来るんじゃないか、って思ってた……あの、雷に打たれる日までは。


 田舎の日常は、毎日が単純なことの繰り返しだ。

 日の出とともに起きて、家畜に餌をやり、ご飯を食べて、畑の手入れをしに行く。疲れたら昼寝して、また畑に行く。この延々と平凡な暮らしが、ただゆっくり流れていくだけ……そんなふうに思っていた。


 うちのすぐ前には雷がよく落ちる岩があった。

 あまりにしょっちゅう落ちるもんだからすっかり慣れっこになっていて、存在すら忘れていた。

 ある春の宵、遊びに夢中になり過ぎて遅くなったあたしが、ちょうど雷岩に差し掛かった時、突然雷が落ちた。

 ものすごい雷鳴が轟き、あたしの体の中を雷がすごい速さで駆け抜けて行った。あたしはその場に叩きつけられて、意識を失った。


 それからどれくらい経ったのだろう……気がついた時、あたしはうちの中で目を覚ました。三日三晩、目を覚まさなかったというあたしは、奇跡的に生き返って起き上がった。


 それからだ、あたしの黒目は真っ赤になった。

 いろいろ不思議なことが出来るようにもなった。


 その年は日照りで育てていたタバコの葉がみんな枯れてしまい、年貢を納めることができなくなった。

 村の皆でなけなしの金を集めたり、借金してどうにか年貢を納めたけれど、翌年ももっとひどい日照りになった。


 年貢の取り立てに来た役人に直訴をしたけれど、どうにもならず、私が手をかざすと手から火の玉が飛んで行って、役人を追っ払った。


 そんなあたしを村の者は、最初は守り神みたいに言っていたけど、そのうちに気味悪がって誰も近づかなくなった。


 だけど、シンスケだけはそれまで通り、仲良くしてくれたんだ。そんなことを今更思い出しても何にもならないけれど……



 ふと気がつくと、外でポンポンと花火の上がる音がする。

 花火を見ようと廊下を歩いて、庭に出た。

 松の木の間のほんの隙間に、花火が踊って見えた。


 一番広い庭に面した部屋では、お得意様が花火を眺めながら宴会をしている。


(あたしも海のそばで見たかったな……)


 そう思いながら部屋に戻ろうと座敷を通りかかったとき、男雛と女雛役の衣装が掛けられているのに気がついた。

 女雛の衣装は今日アイリンが着ていた物で、海に落ちてぐちゃぐちゃになった物だった。

(高い衣装なのに、これもう駄目かな……)


 そんなことを思いながら眺めていると、ふと足元にたたまれたもう一着の男雛の衣装に気がついた。

 衣装の間から、何か紐が出ている。

 気になって引っ張ってみると、立派な石が対に着けられた細工物の首飾りだった。

「ふうん、いい物拾っちゃった……」

 いい細工物は高く売れる……そう思って手に取ると、首に掛けた。


 その途端、体の中心をぎゅうっと捻られるような感覚がして、頭がふらりとなった。


(なに、これ?)

 自分の手がぐぐっと一回り大きくなり、帯が苦しくなった。背が伸びた感じがして、いつもより視線が高い…

 すごい違和感で帯を緩めると、見下ろした足が男の足になっている。

 胸も平らになり、まさかと下腹部をさぐると、あるはずのないものがぶら下がっていた。


(ウワァ〜〜〜ッ!!!)


 アイリンは自分が男になっているのに気がついた。

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