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72 妓女アイリン


 

 夜が明けて辺りが明るくなった頃、その常連の旦那は帰って行った。

 アイリンは煙管(キセル)を取ると、煙草(たばこ)の葉をぎゅっと詰めて指の先に小さな火を(とも)し、その火を煙管に吸い込んだ。

 昨夜の客は常連の金払いの良い大店だったので、比較的ゆっくりできた。


 アイリンは今は売れっ娘なのでもう一見(いちげん)の客を取ることは無くなったが、最初の頃は大変だった。

 農家出身の垢抜(あかぬ)けない娘で、目鼻立ちは整っていたとはいえ、まだ外見はそれほど磨かれておらず、芸や礼儀作法も仕込まれていなかった為、一晩に何人も客を取らねばならなかった。

 中には変な性癖(せいへき)の客もいて嫌なこともあったが、生きていく為に必死で(からだ)を売った。


 そして、負けず嫌いな性格と持ち前の強い精神力で、寝る時間を惜しんで舞いの稽古や詩歌の勉強もして、今の地位に上り詰めたのだ。彼女には、矜持(きょうじ)があった。


(その場にいる誰の目も(そら)させない…私一人に釘付けにさせてみせる!)


 異人の(うたげ)に呼ばれたことも何度もある。

 (あで)やかな東洋趣味の衣装、キレのある舞、火の蝶を出現させる奇術、その場にいる全員の視線を一身に浴びる筈だった。


 それなのに…あの女は全ての視線を一瞬で引き寄せたのだ。

「素人女のくせに…!」

 アイリンは悔しくて歯嚙みした。何度思い出してもイライラする。

 あの女、翡翠のことを思い出すと、心の中で赤黒い炎が燃えるのだ。


(あの女から、男を奪って笑ってやるんだ…たらしこんで夢中にさせて、あの女に見向きもしなくなるほどに!)



 * * *



 出島に帰る旅はのんびりだった。


 オリヴィン、デュモン卿、ジェイド、モキチはのんびりと景色と温泉を味わいながら出島に向かっていた。

 いつも通りデュモン卿とオリヴィンは変身石で黒髪・黒目に変えている。大柄なデュモン卿は浪人風の地味な着物で隠し、腰には宗像の殿様から頂いた刀を差している。

 オリヴィンは長くなった髪を一つにまとめて後頭部の高い位置で結え、若武者風な裁着袴たっつけばかま()いて、すっかり現地に馴染(なじ)んでいる。

 ジェイドは目立たないよう菅笠(すげがさ)(かぶ)っているが、基本的には行きと同じ装束なので慣れたものだ。


 モキチは

「こうして一緒に歩いていると、本当に違和感がありませんね。誰も異人とは思わないですよ」

 と、何故か少し寂しそうな顔をする。

「なんだ、モキチは俺たちが “異人” って感じの方が良かったのか?」

「いや…なんか、それはそれで特別感があったって言うか…でも、また襲われでもしたら怖いですからね」


 ジェイドは行きの行程で火山噴火にあったことを思い出して、街道沿いの宿屋の様子が気になるようだ。

「あ、このあたりで噴火があって火山灰が降ったんです…でも、すっかりきれいになっていますね。この地の方たちはすごいです、なんども災害に遭っていると思うのですが、みんなが助け合って不満を言う者もいない…助け合いの精神が凄いですね」

 ジェイドがそう言うと、モキチが聞き返す。

「困っている時お互いに助け合うのは、当たり前じゃないんですか?この国では『情けは人の為ならず』っていう昔からの教えがあるんで、みな助け会いますよ」

「まあ、それが分かっていてもなかなかできないのが世の常というものだ」

 デュモン卿が珍しく口を挟んだ。



 出島に近づくと、一行はあらかじめ文を出しておいた黒曜の私邸を尋ねる。その変装のままでは、出島に入れないからだ。


「黒曜様、ただいま帰りました!」

 モキチが元気よく玄関をくぐって挨拶する。奥で(がく)の音が聞こえてくる。

 今日は踊りの稽古の日のようだ。


 楽の音が止んで、黒曜とシズさんが(あわ)てて迎えに出て来た。


「皆様、おかえりなさいませ。お疲れになったでしょう。どうぞお上がりくださいませ」

「さあさ、どうぞ。ジェイドさん、すっかりこちらの人みたいねぇ」

 シズさんがジェイドを見て微笑む。


「今、ちょうど踊りの稽古をつけていたところで…」

 奥からアイリンが顔を出す。

「あ、アイリンはいいのよ。もう今日は店の方へ帰ってちょうだい」

「…わかりました、女将(おかみ)さん」


 アイリンは柱の影から、翡翠とモキチ、それと見慣れない男が二人いるのを見ていた。


(あの大男は女将さんの愛人(イロ)かなにかかしら?若い方はいい男だわ…

 あの女、異人の男とはどうなったのかしら…また違う男を連れて…生意気だわ!)


 アイリンはわざとゆっくり片付けをしてから、黒曜の客人がいる部屋を覗き込んだ。

「女将さん、それでは先に店に戻っております。皆様、ごゆっくりどうぞ」

 そう言って愛想笑いを振りまいた。


 オリヴィンとモキチはアイリンの顔に同じ人物を思い浮かべて、顔を見合わせた。

「あの娘、ですかねぇ?」

「どうだろうな。今度シンスケと会わせてみるか?」


「どうしたんです、二人とも?」

 何かを察した黒曜が尋ねる。


「いや、行きに荷物持ちで雇ったシンスケという男が、同じ村にいた娘が今のアイリンじゃないかっていう話で…」

「シンスケが言うには赤い目をした黒髪の美人、ということでした」

「そうですか…その話はまたゆっくり。今はどうぞ、お風呂におはいりくださいませ」


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