51 婚約者
宮殿から宿に帰る馬車の中で、オリヴィンは考え込んでいた。
いままで、自分の魔石の適性なんて考えたこともなかったからだ。
魔石は物心ついた時からすぐ傍にあって、常にオリヴィンの生活に密着するものだった。お茶を飲むために湧水石を使い、それを温めるために沸騰石を使う。普通のことだった。日々の生活の中に魔石は溶け込んでいて、それは人々の生活をより良く、便利にするための物だと思っていた。
彼が生まれてから今まで、ディヤマンド王国は安泰で戦争に巻き込まれることなく平和を享受していたが、もし、戦争が始まったらどうだろう。間違いなく、自分の兄や友人もその戦いに身を投じねばならなくなる。
そんなことを考えている内に、馬車は宿屋の前に着いた。
ジェイドは昨晩、突然宿を飛び出していったオリヴィンを心配する反面、怒ってもいた。それ故に朝から少し機嫌悪く振る舞ってしまっていた。
確かに『この島に来た理由』をオリヴィンに話さなかったことの非はあるかもしれないが、自分や父の考えを聞いてくれても良かったのではないか、と心の中で憤りを感じていた。しかも、そんな心配をよそに、昨晩、王宮から伝言が届いたのだ。
「はあ?王宮から、伝言だって?」
伝言に来た兵士の対応に出た女主人のジェマは、何故オリヴィンが王宮にいるのか、わけがわからない。わからないが、取りあえず無事で王宮にいるらしい、と聞いて、近隣を探し回っていた全員がほっと胸を撫で下ろした。
「あの子はなんだって、そんなところにいるんだね?」
ジェマおばさんは、訝しげにジェイドに尋ねる。
「さあ、わからないですけど…いつだって、オリィは間の悪い場所に吸い寄せられて行っちゃうんです…」
「そうなのかい…厄介な男を好きになったもんだね…」
「お、おばさん!そんな、そんなんじゃありません!」
ジェイドは真っ赤になって一応は否定してみるが、誰の目にも明らかだったようだ。
もやもやした気持ちを抱えたまま時間が過ぎて行ったが、宿屋の外に馬車が停まった音がして誰かが入って来た。
「おや、おかえり」
女主人が迎えると、若い男は少しばつが悪そうに詫びた。
「…昨夜はすみませんでした。後先考えずに飛び出して行ってしまって…。ご心配をお掛けしました」
「オリィ!」
ジェイドが飛び出して来る。
「ごめん、心配かけて…」
「オリィのばかっ。ちゃんと最後まで話を聞いてよ!」
「ごめん、ジェイド…」
ジェイドはホッとして、さっきまでのイライラした気持ちがもうどこかへ行ってしまっていることに気がついた。そうなのだ、この人の顔を見れば、この人がいさえすれば、それでいいのだと思う。
オリヴィンはそっとジェイドを腕の中に抱いた。
「…ウォッホン!」
声が聞こえたのだろう、デュモン卿が階上から降りて来た。
ジェイドは素早くオリヴィンの腕の中から抜け出す。
「フム、帰って来たのだな…」
「ただいま帰りました。ご心配をお掛けして申し訳ありません」
オリヴィンは恭しくデュモン卿に頭を下げた。
「お主にことの次第を話さねばならぬな。聞いてもらえるか?」
「はい、ぜひお聞かせください」
オリヴィンとデュモン卿は向かい合わせに、宿屋の食堂の奥の席に向かい合って座り、ジェイドがお茶を淹れて来て、デュモン卿の隣に座った。
* * *
話は七年前に遡る。
ユーレックス・デュモンはこの魔石の島スリ・ロータスを拠点に魔石ハンターとして生活をしていた。この島には、類稀な魔石が産出されるほか、世界中から魔石に関する情報や、変わった魔石が流れ込んで来るからだ。
そして自らも、その魔石を嗅ぎ当てる鋭い勘と、他の追従を許さぬ知識と行動力で稼ぎを上げていた。
子供のジェイドはまだ十歳で、子供を連れての魔石探索は、父子共に大変な危険と体力的負担を強いる。そんな魔石ハンター生活も知人の多いこの島でなら、比較的やりやすかったのだ。
ユーレックス・デュモンはある秘宝を探していた。
それは、かつて彼が暮らしていた極東の島国から奪い去られたものだった。
そしてそれこそが、彼が幼い娘を連れて旅立たざるを得なかった理由だ。
海賊によって奪われたその秘宝は、転売されて手から手へ渡って行き、東の大国から砂漠を渡り、更に南へ、その情報を追ってたどり着いたのが、この魔石の島“スリ・ロータス”だった。
彼はその秘宝の情報を得るために、あの手この手で情報を手繰る。有用な情報を得るために、さまざまな手段を使って、最大の情報源ベリル一族と縁を結ぼうと画策した。
この島を統治する王族ベリル家、現国王ブルムード・ベリルには八人の太子がいる。王太子のエメルドを筆頭に四人の王子と四人の王女だ。
王太子のエメルドと第二王子のヘリオスは正妃の子であり、エメルドが次期王座を継ぐ事が決まっている。3番目からは側妃の子で四人続けて王女が続く。そしてその後の第七、第八王子が別の側妃の産んだ王子たちだった。
魔石の島スリ・ロータスでは、魔石についての知識が重要視される。そのため王太子達もその例外でなく、幼少期から『魔石学』を広く学ぶ。
諸外国の知見も深く、何より『魔石ハンター』としての腕を買われ、王太子の『魔石学』教育を任されたのが、他でもないユーレックス・デュモンだった。
年嵩の王子二人は早くに手を離れてしまったが、年若い第七、第八王子はこの歴戦の魔石ハンターに痛く傾倒していき、いつも一緒に王宮を訪れる娘のジェイドとも、次第に懇意になっていった。
特に当時七歳だった第八王子のエルカリアは、ジェイドが大のお気に入りで、
「しょうらいジェイドを、ぼくのおよめさんにする」
と言って聞かなかったのだ。
困った王は、条件を出した。
「ユーレックス・デュモンの探している秘宝を、国内最高の魔法石占い師に占わせ、その占いの結果で秘宝が見つかった場合、婚約しても良い」
というものだった。
しかも、それには次の条件が付随する。
「ジェイドが18歳になった時、お互いに結婚の意志がある場合」
今考えれば、占い通りに探していた秘宝が見つかることも眉唾物だったのだが、その約束が王族として口約束でないことを示すために、証書が作られた。そのため、それは正式な契約ということになったのだ。
スリ・ロータスでの生活は三年ほど続き、探索の為の資金を蓄えたデュモン親子は、占いで示された地点に赴くことになる。
その結果、デュモン卿はその秘宝を手に入れたのだ。
まもなくジェイドは18歳の誕生日を迎える。
秘宝を手に入れた以上、契約は履行されねばならない。
「もちろん、私は断ろうと思って来たのよ。もっとも、むこうもそんな子供の頃の約束なんて、忘れちゃっているでしょうけどね」
ジェイドはこともなさそうにそう言って、この島名産のお茶を飲む。
オリヴィンは昨晩、「決闘」やなんだと話したことを逡巡して、恥ずかしくなった。
「だがな、相手は王族だ。何がどう転ぶかわからん…」
デュモン卿はあくまで慎重だ。
「ところで、オリィはどうして昨日、王宮になんて行ってたの?」
急に話の矛先がこちらに向いて、オリヴィンは少々焦った。
「実は、俺を知っているという女性に出会ったんです」
あくまでも川に流されて行ったことは、話さない方向だ。
「えっ?」
「セレスティン・ピアース、という方なのですが、知ってますか?」
デュモン卿もジェイドも、その名を聞いた途端、動きが止まった。
一瞬の沈黙ののち、デュモン卿が口を開いた。
「…むろん、知っておる」
「以前、彼女は俺を誘拐して、彼女の恋人を助けるための身代わりにした、と言うんです」
「…そうだな、そのようだ」
デュモン卿が頷く。ジェイドは何か言いたいのを我慢しているような顔になった。
「俺はその時の記憶がないので、気にしないでくれと言ったのですが…」
「そんな!だって、オリィ…」
「ジェイド!」
何か言いかけたジェイドを、デュモン卿が遮る。
「何をされたか思い出したら、許せないかもしれない…って言ってました。俺も思い出すのが怖い気がしますが、もう過去のことだからいいんじゃないかって思って。ずっと、『恨まれているかもしれない』と思って生きるのは辛いじゃないですか」
「そう…それはそうかもしれないけれど…」
ジェイドはまだ、納得できないようだ。
「お主が許すと言うなら、それもよかろう」
デュモン卿はそう言うと、それ以上そのことを詮索しなかった。
オリヴィンは過去のことより、今日知った自分の魔石適性について話したかったが、話は唐突に中断される。
宿の外が騒がしくなり、馬車の音や人の気配が伝わって来たからだ。
女主人が対応しているようだが、数人の足音がこちらに向かって近付いて来た。
次の瞬間ーーー
「デュモン先生!ジェイド!」
大きな声と共に、勢いよく褐色の肌の美しい少年が入って来た。
「…エルカリア?」




