39 ラナ王女の企み
オリヴィンはほとんど動けぬまま、数日が過ぎた。
自分のことも、オリヴィン・ユングという名前だということだけしか分からず、どこからやって来たのか、何の為に、どうやって来たのかがわからない。
初めて自分を鏡で見た時、これが自分なのかと驚いた。
濃い菫色の髪、銀色の瞳、二十歳くらいだろうか?
周りの人間が、ほとんど黒髪で黒か茶色の瞳なので、その中にいるとかなり異質な感じだ。
元いたところは、私のような人間が沢山いるところなのだろうか?
誰も何も教えてくれない。と言うか、言葉すら通じないのだ。
唯一、ラナ王女だけが私の言葉が分かる。
自分が何者なのかわからない私の言葉を、分かろうとしてくれる彼女に私は
少しずつ心を開いていった。
それにしても、
『オリヴィン様は私の伴侶となって、この国をお継ぎになるお方なのです』
と言われた時は、驚いた。だが、
「あなた様は、そのためにおいでになったのだから」
と言われて、私が記憶を失う前、この国を救いたいと思ってここに辿り着いたのだとしたら、今更それを覆すのもどうなのかと思うのだ。
* * *
ジェイドは、自分が動けないことに苛立ちを覚えていた。
すぐそこに、会いたい人がいるのに会えない、という現実に焦りが募る。
「落ち着け。お前が焦ったところで、どうしようもない。もうすぐホラン殿が帰って来る。さすれば、オリヴィンにも会えるだろう」
『ホラン殿』というのは、ディヤマンド王国でオークションが行われた時にも来ていたゴルン王国の役人で、アジュラ教の司祭でもあるお方だ。
以前から父の知り合いでもあり、ポラス殿と共通の友人でもある。
今は隣国に占領されてしまった東部地方に、偵察のため出掛けているのだ。
父は、毎日のように王宮へ出掛けてオリィに会わせてくれと嘆願しているが、
様々な理由をつけられて、断られ続けている。
それも解せないのだが、何だか王宮の様子が慌ただしくなっているようなのだ。
「戦争でも始まるのか…」
父は訝しみながら、今日は飛空艇の修理に行っている。
飛空艇は雷の直撃で、片翼が折れてしまった。
けれども飛行石自体は無事だったので、オリヴインがジェイドを救うために操縦桿を離さなければ、飛行は可能だった。
デュモン卿が落下し始めた飛空艇の操縦桿を握り、挺を立て直し二人の落下地点を探したのだ。
落下地点は嵐が吹き荒れていて、捜索は困難を極めた。
ジェイドとオリヴィンは、落下を目撃した地元の住民によって救助されたのだ。
* * *
「ご主人様、よくお似合いですわ」
「ラナ…」
王宮の中では、婚礼の儀の準備が進んでいた。
婚礼衣装を着付けられて、オリヴィンは戸惑っていた。
時折断片的に、ふと思い出すことがあるのだ。
父親らしき人…自分に似た年配の男の姿。その優しい口調。
ふわふわの金茶の髪の少女、銀髪の少年…懐かしいような、もどかしい感情が胸に湧き上がって来て、混乱するのだ。
…私が元いた場所の記憶…川…船…一面の黄色…
(これは一体なんなのだろう?私は本当にここにいていいのだろうか?)
だが、同時にラナ王女の長い黒髪を見ると、ホッとするのだ。
長い黒髪がサラサラと風に揺れて、その瞳が…
「どうかなさいましたか?」
「いや、なんでもない…」
「今日はアジュラ教の司祭も戻ってまいりますので、婚礼の儀の前の顔合わせもできそうですわ」
オリヴィンはラナ王女の顔を見つめた。
なんだろう、さっき瞳の色が緑に見えた気がしたのだ。
「なんですの、そんなに見つめられたら、恥ずかしゅうございます」
「あ、ごめん。君の瞳はトビ色だなぁって…」
「お恥ずかしいですわ…ご主人様の目は、銀色でございますね。とてもお綺麗ですわ」
バタバタと外が騒がしくなった。
お付きのものが、何やら報告に走って来る。
「○△#□+…」
「どうやら、お戻りになられたようですわ。ご主人様、我が国の軍の総帥であり、アジュラ教の司祭である者をご紹介いたします。あちらに参りましょう」
オリヴィンは仮縫いの衣装を脱ぐと、ラナ王女について謁見の間に進んで行った。
黒い髪をきっちり後ろで結えた、がっちりした体躯の男が身を低くしたまま待っていた。
「ラナ王女様、ただいま戻りました」
「ホラン総帥、ご苦労様でした。顔をあげてちょうだい。お前に紹介したい人がいます」
「はい」
と言って男は顔を上げる。だが、オリヴィンの顔を見た男の顔が一瞬で固まった。
「こちらは私の伴侶となるオリヴィン・ユング殿です。オリヴィン様、こちらはゴルン王国軍総帥のホランです」
一瞬の間があって、ホランが口を開いた。
「…オリヴィン殿…どうしてこちらに?ラナ王女、一体これはどうゆうことでございますか⁉︎」
その場にいた全員が、ホラン総帥の言葉に凍りついた。
「ホラン総帥、オリヴィン様を知っているの?」
「知っているも何も、何故彼がここにいるのです⁉︎」
オリヴィンは状況が飲み込めなかった。今日初めて会う筈のこの国の男が、
私を知っている…?
「貴殿は、私を知っておられるのですか?」
「何を言っているのです?あなたの国でお会いしたではないですか⁉︎」
(やはり、知っているのだ…!)
「私は、私は記憶がないのです!…嵐に会ってこちらで助けられました…」
「それがなぜ、ラナ王女と結婚することになったのです?訳がわからない!」
ラナ王女は慌てた様子で言った。
「オリヴィン様は、このゴルンの民を救うために天から使わされていらしたのです。
アジュラ教の聖典にあった通り、天から、炎の雷を持って降りて来られたのですわ」
ホランはそれを遮るように、ゆっくりとラナ王女に尋ねた。
「彼は、記憶がないと言いいました。それはこの場にいる皆が、その言葉を聞きました。ラナ王女、記憶がないと言う者に、どのような甘言を吹き込んだのですか⁉︎」
「ホラン、無礼ですよ!」
「ラナ王女、あなたのしようとしていることは、この何も知らない男に国の全責任をなすりつけようとする行いです!」
絶句するラナ王女を尻目に、ホランはオリヴィンの腕を引いて彼を連れ出した。
「待ちなさい!ホラン、許しませんよっ!」
ラナ王女の命令を無視して、ホランはオリヴィンを王宮から連れ出した。
「オリヴィン殿、失礼しました。…まさか、このようなことになっているとは露しらず…。ひとまず、我が家にお越しください」




