38 記憶喪失
明るい…真っ白な真綿で包まれたふわふわの空間で、意識だけがある。
ここはどこ?
そう思った瞬間、手足の感覚が戻って来て、体のどこもかしこも痛みで目が醒めた。
(生きてる…!)
ジェイドは目を開けた。
「+○△□?」誰かの声がする。
自分の右手を持ち上げて見た。
…あれ、女に戻ってる…ペンダントは…?
ジェイドは暗い木造の建物の中で、寝台に寝かされていた。
お香の香りがする…
足音がして、誰かがバタバタと入って来た。
「ジェイド!」
「…父さん…」
「良かった!お前が空中に放り出された時は、肝を冷やしたぞ…!」
「オリィ、オリィは?」
「大丈夫だ、無事だ」
「…よかった…」
「ただ、ちょっと困ったことになってしまってな」
「…なに?」
「隔離されてしまってな…」
「…隔離?」
「助けられた時、別々にされてしまってな…会うことができん」
「………」
ジェイドは起きあがろうとした。
「痛っ…」
「おい、無理するな。切り傷は軟膏でなんとかなったが、打ち身や骨折はどうにもならんぞ」
「足…折れたのかな?」
「ああ、左足が折れてる、動かすな」
「オリィは、怪我してる?」
「ああ、あやつも肋骨の2〜3本折れているらしい」
「…会いたい…」
「今は無理だ。お前も動けんだろう」
「……オリィが助けてくれた。あの時…」
「…そうだな。それだけは礼を言わねばな」
(会いたい。会って無事な顔を見たい!傍にいたい…!)
ジェイドは切望した。心の底から『傍にいたい』と…
「今、何か食べるものを持って来る。何か食べんとな」
そういってデュモン卿は立ち上がって、どこかへ行った。
* * *
頭がガンガンする…
(ここはどこだ?)
目を開けると、暗い木造?の建物の中に寝かされていた。
起きあがろうとすると、どこかが猛烈に痛んだ。
「ウッ…」
「お目覚めになりましたか?」
「…はい…ここは?」
「我が王宮の中でございます」
「王宮?」
「ハイ、ゴルン王国王宮、でございます」
「おれ…私は?」
「嵐の中でお倒れになっておられましたので、お救いいたしました」
「…嵐?」
(頭が痛い…どうして、嵐に?…私は?…私は…誰だ?)
「お体の骨が折れていらっしゃるのです。どうかお休みください」
そう言って、その浅黒い肌の長い黒髪の女は、男を寝所に横にならせた。
「わたしは…?」
「水をどうぞ」
「…ありがとう…」
男は、女に水を飲ませてもらうと、また横になった。
(ねむい…)
「おやすみください、ご主人さま」
男はまた気を失うように眠ってしまった。
* * *
ジェイドは起き上がって、デュモン卿が持って来た食事を黙々と口に運んだ。
デュモン卿は
「あやつは今、少しばかり面倒なことになっておってな」
「面倒なことって…?」
「王宮に連れて行かれてしまってな…」
「王宮?」
「そうだ、ここはゴルン王国だ。この国は今ちと面倒な状況にあるのだ」
「それとオリィに、どんな関係があるの?」
「それはだな…」
デュモン卿は今この場所、ゴルン王国の直面している問題がどんなことで、それがオリヴィンとどのように関わっているか、話し始めた。
山岳王国ゴルンは“国教”とも言うべきアジュラ教の信徒たちの国だ。
アジュラ教の司祭たちは王と共に、ゴルン王国を長らく支えていたのだが、数年前、隣国に国境を侵犯され、国土の一部を奪われてしまった。
今も隣国がいつ侵攻を開始してもおかしくない状況だ。そんな中、国王が急逝した。
残されたたった一人の世継ぎ、王女ラナが国を守るべく踏みとどまっている。
それと言うのも、国教であるアジュラ教の伝説があるからだ。
アジュラ教の聖典の中に、次のような一節がある。
“炎の雷もて 天より降りし 異国の徒
民病める時 金の龍呼び 国を救わん 真の王にかならざらん”
一種の予言のようなものとされていて、今まではただの伝説だったのだが、国が侵略された後、我々が墜落して、その話に信憑性が出て来てしまった。
“天より降りし、異国の徒” まさに我々ということだが、その前の一節に
“炎の雷もて” だが…
お前たちが助けられた時、誰かがオリヴィンの指輪を外そうとした。
そうしたら、指輪から炎が上がって大騒ぎになり、誰もが知っている聖典の一節にある、『国を救う異国の徒』ではないかと言うことになってしまった。
ジェイドはその話を黙って聞いていたが、たまらず言った。
「そんな、ただの偶然じゃない!」
「まあ、その通りだが。だが人は困っている時、少しでも光明を見出せば、それに縋ろうとするものだろう?」
「だいたい何よ、金の竜って!」
「まあ落ち着け、お前の足がこれでは今はどうもできぬだろう。だが、手はある。思わぬ味方もいることだしな…」
ジェイドは、今すぐにでもオリヴィンに会いに行きたい気持ちを募らせながら、動けぬ自分に苛立ちを覚えた。
* * *
ふと目が醒めると、覗き込んでいる顔があった。
「お目覚めになりましたか?」
「ああ、寝た…」
「よかった。ずっと眠ってらしたのですよ」
眠っている間、夢を見ていた気がする。長い黒髪の女性が私の名を呼んでいた。
…なんと言っていたのだろうか…?…思い出せない…
「私の名は…?」
「オリヴィン様ですわ、ご主人様」
「オリヴィン…?そんな名前だったか…」
「ご主人様は、私たちのためにおいでになってくださったのです」
「…え?」
目の前の女性も長い黒髪の持ち主だった。夢の中で呼んでいたのはこの女性だったのか。だが、どうしてここにいるのか思い出せない…
「君は『私たちのためにおいでになった』と言ったよね。
私はどうしてここにいるのか、思い出せないんだ…」
「…覚えていらっしゃらないのですか?」
オリヴィンは、うん、とうなずくと
「まったく覚えてないんだ…」と言った。
女は少し考えたのち、こう切り出した。
「私は、ゴルン王国の王女ラナと言います。父の国王は昨年身罷りました。
そして、私と私の伴侶がこの国を継ぎます。
オリヴィン様は私の伴侶となって、この国をお継ぎになるお方なのです」
「…え?」
今聞かされた話が全く頭に入って来ない。
「は、はんりょ?」
オリヴィンは呆然とした。
(今、自分の名前を聞かされたばかりか、自分がどこのどうゆう者なのか、まったく思い出せないのに、結婚する相手が決まっているって⁉︎)
「ま、待ってください。私は自分がどこの誰だか思い出せません。それなのにそんな話をされて、納得できるとお思いですか?」
ラナ王女は、困ったような顔をした。
「でも、でもこの国と民を守るためには、そうしなければならないんです!」
ときっぱりと言った。
「あなた様は、そのためにおいでになったのだから」




