25 誤解
父上は六月に迫ったリチア王女様とステファン・アルマンディン侯の婚約式に向けて、ジュエリーの製作に追われている。
俺は、軍事伯のブロイネル公爵閣下の命で制作が進んでいる『通信機』の設計がいよいよ佳境を迎えていて、朝一番で工房に行って、気がつくと夜になっている、という生活を繰り返していた。
どうも一つのことに熱中してしまうと、他のことを考える余地がなくなってしまう癖があるらしい。
今日もジェイドが工房に来ていたのだが、『通信機』の打ち合わせとも重なって、ほとんど話せていない。
* * *
ユングの宝石・魔石工房のベテラン職人ラズリアは、仕事終わりに工房近くに最近オープンしたばかりのカフェテリアで、紅茶とケーキをいただいていた。
向かいにはジェイドが同じように紅茶を前に座っている。
「いいのかい、オリィに伝えなくて?」
「いいんです。オリィとっても忙しそうですし…」
「あの子はねぇ、一つのことに夢中になると、他のことが何にも見えなくなっちゃうんだよね〜」
本当は今日こそ伝えようと思って工房に来たのだが、昼食も食べずに『通信機』の試作品を作っているオリィに話しかけることができず、リア姐とこうしてお茶を飲んでいる。
「それで、いつ頃出発なんだい?」
「六月の後半くらいです」
王立アカデミーの臨時教授職の契約が五月いっぱいで切れるため、ジェイドとデュモン卿はまた、魔石探しの旅に出るのだ。
前から決まっていたことなのだが、オリィには直接伝えたくて、先延ばしにしてしまっていた。
(話したからどうなる、っていうものじゃないんだけど…)
ジェイドは心の中で呟いた。
* * *
オリィは今日も、描いた設計書を元に試作品を作っていた。
気がつくと外は暗くなっていて、工房もいつの間にか静かだ。父上もさっきまでそこで婚約式のジュエリーの打ち合わせをしていた気がしたが、いつの間にかいなくなっている。
「あ、あの…オリィさま」
見習いのネルが声を掛けて来る。
「ああ、ネル。まだいたんだ。片付けかい?」
「はい、お掃除が終わりましたので帰ります」
「皆もう帰ったんだろ?送って行こう。夜道は物騒だ」
「いいんですか⁉︎ありがとうございます!」
「俺も帰ろうと思ったところだから」
試作品をしまうと、上着を取ってネルと店の外に出た。
店の鍵を閉めて、歩き出す。
「わぁ〜、オリィさま、キレイな月!」
風もなく、いい月夜だった。
ふとみると、ネルの耳に小さなイヤリングが付いている。
(へぇ、子供だとばかり思ってたけど、女の子なんだな。こうしてみると、結構可愛いし…)
そう思い始めると、なんだかネルがキラキラして見える。
水路を跨ぐアーチ型の石橋に差し掛かったところで、急に
ふわっと風が吹いた。その時、
「アッ!」
っと、ネルが声を上げた。
ネルが被っていた白い帽子が風に飛ばされて舞い上がった。
反射的に手を伸ばして帽子をキャッチしたが、石橋の上だったのでバランスを崩してしまい、同じように手を伸ばしていたネルの上に倒れ込んでしまった。
「痛ぁっ…」
「ごめん、大丈夫?」
「いいえ、すみません。帽子を取っていただいて…」
その時、ネルと目が合った。
(あれ?なんかオカシイ…オレ…)
俺はネルを抱きしめていた。
「オリィ…?」
その時、聞き覚えのある声がした。
「アンタたち!こんなとこで何やってんの?」
リア姐とジェイドがそこに立っていた。
ジェイドは一瞬、とても悲しそうな顔をして
「ごめんなさい、私帰ります!」
と言って走って行ってしまった。
俺は我に帰って、ネルから離れた。
リア姐は凄く怒った顔で、
「ちょっとアンタたち、来なさい!」
と言って俺とネルは腕を掴まれて、近くのパブに連れ込まれた。
「オリィ!アンタ、いったいどうしちゃったの?」
リア姐が詰め寄って来る。
「リ、リア姐、落ち着いて…」
「落ち着いてなんかいられないわよ!まったくもうッ!」
俺はうすうす自分の行動の原因に思い当たったが、言い出せないでいた。
「やめてください!」
黙っていたネルが急に大きな声で遮った。
「私のせいなんです!オリィさまは悪くないんですッ!」
「ネル…どうゆうこと?」
ネルは黙って、イヤリングを外してリア姐に手渡した。
リア姐は渡されたイヤリングをまじまじと見る。
よく見ると、小さな小さな赤い石が付いている。
俺は金色の環が浮かんだ左目を逸らした。
「もしかしてこれ、ラビカン石?」
リア姐が訊くと、ネルは黙って頷いた。
『ハァ〜、何でこんなものを…』
とリア姐がため息混じりに言った。
「前に親方がラビカン石を研磨した時、小さな破片が落ちていたので、取って置いたんです。キレイな色だったから。…わたし、ジェイドさんに悪いことしちゃいました…ごめんなさい。まさか、こんなに効果があるなんて思わなかったので…」
「だから言ったろ?魔石は使い方を間違えると怖いもんなんだよ」
その通りだ。俺は疲れていたのと、ジェイドに見られたショックで呆然としていた。
「まったくオリィもオリィだよ。ボーッとしてるからラビカン石なんかに影響されちゃって。…どうするの⁉︎ジェイド、ショック受けてたわよぉ」
「酒…なんか強い酒ください…」
リア姐が『こっちにウィスキー、ダブルで』と指を鳴らして頼んだ。
「ネルはアタシが送って行くから…オリィはそれ呑んだら帰るんだよ」
と言って二人で店を出て行った。
(…どうしよう、オレ。ジェイドになんて言ったらいいんだ?)
焦燥感でいっぱいになりながら、グイッとウイスキーをあおって、むせた…
* * *
ジェイドは暗い街路を走っていた。
(どうして?どうして?どうしてなのオリィ!)
さっき目撃してしまったものが脳裏から離れない。
工房の女の子、可愛い子だったわ。オリィのこといつも目線が追ってて、
『ああ、この子オリィが好きなんだ』って思ってた。
私が女の子の格好で初めて工房に行った時、彼女の視線がちょっと怖かった。
邪魔者を見るような視線で。
オリィは私に、何か約束してくれたわけじゃない。
“好きだ”とか“愛してる”と言われたわけでもない。
ただ、抱きしめられただけ…さっきみたいに…
涙が周りの景色を滲ませる。拭っても拭っても涙が溢れて来る。悲しくて苦しくて、涙が止まらない…
ドミトリーの前まで来て、ようやくジェイドは立ち止まった。
ポケットからハンカチを出すと、しっかり涙を拭いて服と髪を整えた。
「こんばんは、グラウベルさん」
いつものように管理人に挨拶して入って行く。
「おかえりなさい、ジェイドさん。今日はいい月夜ですね」
「…そうですね」
笑顔を作って中に入って行く。
廊下を静かに歩いて部屋のドアを開けると、一気に自分の部屋に駆け込んだ。
明かりも点けず、そのままベッドに突っ伏して、息を殺して泣いた。
「ジェイド、帰ったのか?」
父の声が隣の部屋から聞こえて来る。
「……」
「ジェイド?」
ドアが開く音がする。
「…き、今日は疲れたから寝る…」
「…そうか…」
パタンとドアが閉まって、父は自室へ戻って行った。
真っ暗な部屋のベッドの上で、ジェイドは泣きながら呟いた。
「……オリィの…ばか…」




