5 「久しぶりのブレイズ」
多少は長い道のりであったが、全国津々浦々を気ままに旅する日々を送っているユーリにとってはあまり長いと感じていない様子だ。現に暑さでうなだれるような地域に足を踏み入れても、人々でごったがえすバザールを目にしては品ぞろえを確認しに行ったり、今が旬の採れたてデザートフルーツをひとつ購入して食べ歩きながら散策を楽しむ……という元気っぷりである。
「あ、俺にはないんだー」
「子供じゃないんだから自分で買ったら?」
がぶりとデザートフルーツにかぶりつく。見た目はリンゴのような大きさと形をしているが、色はバナナに近い薄い黄色。皮にも栄養がある上に、水分がたっぷりと含んだ果汁をすすりながらかじる果物は格別の美味さだ。
それを羨ましそうに眺めるカイであったが、義妹の態度を見るに本気で驕ってくれる気はなさそうである。すぐさま諦め、都市の中央に見える大きな城を見据えた。このままバザールの中央通りを進んで行けば、否が応でも城へたどり着けるということになっているのだが。
「おいこら、どこへ行く気だ?」
ぐいとショールを引っ張り、ユーリは「ぐえっ」と小動物が潰れたような醜い声を上げる。
ユーリが進もうとしていた方角は城への道を思い切り逸れる裏通り、そこは法律を平気で無視するような輩が多く出没する危険地帯だ。
しかしその分、裏で取引される希少価値の高い商品が売られている可能性も格段に上がる。いわば「そういった場所」であり、盗賊ギルド支部がある場所でもある。
悪びれた様子が一切見られない微笑みを浮かべるユーリに、カイは疑わしい眼差しで図星をついた。
「盗賊ギルドじゃない。さては裏取引されている違法商品でも見に行こうとしてたな?」
「いやぁ、大きな都市になればなるほど商品価値も高くなるってものだからさぁ」
「元ブレイズ騎士団の俺の前で、よく違法取引するような場所へ行こうとしたな」
呆れたと言わんばかりにカイが肩を竦めると、今度は力ずくでユーリの腕をがっしりと掴んで連行するように、城がある方角へと強制的に引き戻した。
「ああっ! わあぁっ! 今ならバジリスクのたまごが特別価格で売り出し中のはずなのにっ!」
「そんなもん買ってどうすんだ! アホか!」
珍しく泣き叫ぶユーリに周囲がどよめくが、街中での騒ぎは日常茶飯事というところか。トラブルに首を突っ込まないように遠巻きに眺めるのみであった。そんな時――。
「止まれ」
「お?」「ほえ?」
静かに声を掛けられ振り向く二人。活気あふれるバザールの中でしっかりと通る声、それでもしっかり聞こえたのは、その声に殺気がこもっていたからに他ならない。二人は呼び止める声というより、その殺気で振り向いたのだ。
「賑やかなだけなら大目に見ますが、騒ぎ立てるのは見過ごせない」
声をかけた張本人は小柄な少年だった。歳の頃は十五前後、冷たい眼差しが特徴的な美しい顔立ち。すらりとスマートな体型だが、彼の腰にはレイピアという剣を携えている。黒いマントに、騎士が軽装にと好んで着るスーツも黒といった全身真っ黒の騎士。
「げっ」
彼を見るなりユーリはさらに低く唸るような、嫌そうな声を出した。見ればその少年騎士の髪も黒髪、そして瞳の色もユーリと同じ黒い瞳。この世界では希少な黒髪、黒目の人間だ。
だからこそ彼が何者なのかすぐにわかる。ユーリがこの世で二番目に苦手な人間だった。
「シオン・レイ!」
「僕の名前を憶えていたんですか。不敬罪として捕えようか」
「なんでよっ!」
迷惑そうにため息をつく少年騎士、シオン・レイの存在が周囲に知られると同時に黄色い歓声が上がる。
「見て! シオン様だわ!」「バザールに来られるなんて初めてじゃない!?」
「黒の騎士様だわ!」「きゃーっ! 黒の騎士様、素敵すぎいいっ!」
バザールが別の意味で大騒ぎになった。これだけ女性陣が目を完全にハート型にして、黒の騎士ことシオンにラブコールを送る光景に、男性陣の反応は二つに分かれている。
微笑ましそうに、納得する風に苦笑する側と。妬みの含まれた嫌悪感をたっぷり込めて舌打ちする側。ちなみにカイは前者だ。
「相変わらずすごい人気だな、お前」
にへらにへらと軽率に笑いながらフランクに話しかけるカイに対し、シオンは彼に対しても敵意むき出しの鋭い眼光でギロリと睨みつけた。萎縮するカイ。
「あなたもあなたです、騎士団長。なぜこのような犯罪者と仲睦まじくできるのか」
「騎士団長ってのはもうやめてくれよ。それにユーリは義妹なんだから……」
「あなたがなんて言おうと、僕は認めない」
「どっちの意味で?」
長身のカイに小柄なシオンが食って掛かる。カイは長くブレイズに滞在していたので、その役職と人柄により人々に顔が多く知られている。
そのためカイとシオンがこうして口喧嘩を始めることも、人々にとってはいつもの流れのようであった。いつの間にか蚊帳の外になったユーリは、本来ならこの隙に逃走していたところだが、カイにしっかり捕まっていたので不可能だった。
「シオンも聞いてなかったか? ユーリは陛下から直々に登城するように言われてるんだよ」
「……まさか、例の件でですか」
「あのー、勝手に話を進めて二人だけで盛り上がるのやめてもらっていいですかー?」
投げやりな口調で茶化すことでシオンの神経を逆なでするユーリ。案の定ぴりついた顔になったシオンであったが、ここは人目が多すぎる。こんなところで醜く不毛なやり取りをするつもりはなかった。
(嫌な記憶がよみがえるな……)
***
カイが若くしてブレイズ騎士団の若きエースとして活躍していた頃、当時最年少少年騎士として入団してきたシオンは何の因果か。カイの実家に宿泊する機会があった。
人懐こく、強引で、デリカシーのかけらもないカイによって連れて来られたシオン。そこでユーリと初めて出会った。
自分と同じ黒髪、黒目の人間と出会ったのはこれが初めてだ。カイはそれを知っていて、紹介するために無理やり連れて来たらしい。無口だがどこか利発そうな顔立ちをした少女に一瞬面食らったが、自分と同じ年頃なのだからと挨拶をするシオン。
「将来が約束された優等生と慣れ合うつもりなんてないから」
その一言で二人の間に亀裂が生じた。生意気にもほどがある物言い、初対面の相手に対する無礼な振る舞い。未だ縦社会である騎士団の中で「最年少」という肩書が、先輩方にとって劣等感を抱かせるに十分だったせいで苦労を強いられる毎日。だからこそ礼儀作法には特に気を付けるようにしていたシオンにとって、この態度と言動は許しがたいものだった。
外見が非常によく似ているという点も、ユーリという少女を嫌悪する要素として過不足ない。
それ以来だった。シオンはマナーの悪い人間が大嫌いだった。特に自分勝手に振る舞うような、決められたルールも守れないような人間が。




