絵画を見に
王女も、そしてヴァルムが居なかったら王女と婚約していたのではと噂されていたシュタインも姿を消し、王都は不穏な空気に包まれている。
レヴィはエアストに相談したかったが、彼まで宮廷から居なくなっていた。トートは雲隠れしているし、ヴァルムは薬院から動けない。賢い王女は行方知れずだ……という訳で、あまり物事をふかく考えられないレヴィは、自分で考えることを放棄した。
ヘーリエンテスになついたオストが、ふたりのつかっている居間を訪れ、またお茶を飲んでいる。ヘーリエンテスは水彩画をたしなんでおり、玄人はだしなのだが、油絵と水彩画との違いでふたりは盛り上がっていた。「メジュームが……」
「ええ、でもそのマチエールが……」
「ガムの割合が……」
「セーブルの……」
レヴィにはちんぷんかんぷんだが、婚約者が楽しそうなのは嬉しい。
彼女はレモンティをほしがり、ヘーリエンテスが侍女に命じてつくらせた。レヴィはすっぱいものは苦手なのだが、すすめられて飲んでみると、すうっとする感覚が面白い。
「レヴィさまは、武人でらっしゃるから」オストは微笑んだ。「体の疲れにも、レモンはいいんですよ。効率的に体を癒してくれます」
「そうか。では、乗馬をしたあとにでも飲もう。ダンスのあとにも」
「オスト、わたしにおいしいレモンティのつくりかたを教えてくれない?」
「喜んで」
オストはにこっとしたが、不意にその表情がくもった。「あの……エアストさまがどうなさっているか、ご存じないですか? おふたり」
「ああ、どうしたのかしら。わたし達も知らないの。彼、こんなに出仕をしないことはなかったのだけれど」
ふたりは目を合わせ、頷きあう。オストは心配げだ。
「わたし、あの……エアストさまに、調べものを手伝って戴いたことがあって、エアストさま、目が疲れているご様子だったので、目にいいものを用意したのですけれど……渡したいのに、いらっしゃらなくて。シュタインも、結局どこにも居ないし……」
「シュタインがどこに居るのかはわからないが、エアストは邸だろうな」
レヴィはちょっと黙り、口を開いた。「オスト嬢、君は宮廷を出てもいいのか?」
王女の付き添いのご婦人がたは、皆、宮廷に残っている。王女が居なくなった為、自発的にとどまっている者がほとんどだ。疑われないように、である。
オストもそうだろうに、目をぱちぱちさせて彼女は云う。
「ええ、かまいませんけれど。でも、お姉さまがたが、出て行くのは宜しくないっていうから……」
歳上の「同僚」達に停められ、宮廷に残っていただけのようだ。レヴィは天真爛漫で世慣れていないオストに苦笑いしたが、すぐにそれをひっこめ、立ち上がった。ヘーリエンテスを見る。「しばらくぶりに、エアストご自慢の絵画を見せてもらおう。あいつはコレクションを増やしたと最近自慢していた」
「そうですね。見せて戴きましょう」
ヘーリエンテスが立ち上がり、オストはきょとんとした。レヴィはまた、苦笑いになる。
「オスト嬢は、古今の名画に興味は?」
「え? ああ、あります。古い絵画は、顔料の成分が……」
もごもごと、オストは語尾を消えさせた。ヘーリエンテスが優しく云う。「オスト、エアストさまのお邸へ参りましょう。わたし達はいつでも行っていいことになっているの。あなたにあの素晴らしい絵画達を見せてあげたいわ」
オストはまたきょとんとしたが、はっと立ち上がった。「エアストさまに、お目にかかれるかもしれないんですね? ご一緒します」
馬車を二台仕立て、エアストの邸へ赴く。エアストの邸は宮廷の近くにあり、さほど時間はかからずについた。
なじみの使用人が出てきたが、非常に困った顔をしている。
「若さま、お嬢さま、あの……」
「エアストにあいたいのだが」
「か、閣下は、ご都合が悪く」
「では、展示室だけでも見せて戴けない?」
ヘーリエンテスがやわらかく云う。「こちらのご令嬢は、油絵をたしなまれるの。閣下のコレクションを見せてさしあげたいのだけれど」
使用人は弱り切った顔で、結局頷いた。