「まっくろな」侯爵の話
オストの顔がくもる。
「あの……無礼なこととは思いますが、わたし、王都に来て日が浅いんです」
ふたりは頷く。
この三年ほどで、王女はすくすくと背が伸び、それまでの付添達と比べると頭ひとつ分高くなってしまった。流行りの底の厚い靴をはくとそれが尚更目立つ。
なので、急遽、伯爵以上の爵位の家から、背の高い娘達がかきあつめられたのだ。
オストはそのなかのひとりで、たしか二年前に王都へ来て、その半年後に正式に社交デビューし、王女の付き添いになったとレヴィは記憶している。海辺の領地であまり貴族らしくなく育ったと聴いていた。油絵を描き、厨房に出入りしていることもあると、口さがない者達は云う。
貴族の娘が厨房に立つなどありえないのだが、オストは家事をしているらしいという噂が度々聴こえ、それなのに評判が落ちない希有な令嬢である。彼女自身のやわらかい雰囲気や、あたたかな言動が、必要以上の悪意を弾いてしまうのだろう。
王女自身は、小手先のことでわたしの身長を隠そうとして反対にはずかしいと、父親である陛下のなさりようをいやがっていたが、背の高い娘達はなんだかんだ気のいい者ばかりで、最終的には王女自身も、それまでの付き添い達も残すと云うことで納得した。
だから、オストがここへ来て日が浅いというのは本当だし、彼女がパーティなどで失敗をする場面も見てきたので、どうも社交界そのものに疎いらしいと云うのもふたりは理解している。薬院に這入りこんだり、書庫で小難しい本を読みたがったり、油絵を男並みに描いたり、変わり者の令嬢らしい。それでもやはり、評判は落ちないのだが。
オストはまたたき、涙がこぼれた。
「ですからあの……トートさまについて、その、あまりよいお話を聴かないので、どうして、その、エアストさまと……いえ、殿下もですし、レヴィさまも、トートさまと親しくなさっているのか……」
「悪人と評判のトートと何故付き合うのか、と訊きたいのか」
レヴィがずばっと云うと、オストは首をすくめた。「申し訳ございません」
「いや、かまわないよ。君のように率直な人間ばかりならどれだけ楽だろう」
レヴィは息を吐き、婚約者の手をぎゅっと握った。
「あいつは誤解されがちだが、悪いやつじゃないんだ」
「はあ……」
「他言無用に願いたいのだが。トートの父上は、とある……女性とふたりきりで居た時に、亡くなった」
「まあ」
オストは口を覆い、目を瞠った。レヴィは苦笑いになる。
「もともと、素行のいいかたではなかった。財産を無為につかい、領地もぼろぼろだったそうだ。トートは家をどうにか保つ為に、時には非情な決断もしなくてはならず、それが誇張されて噂になったんだ」
「トートさまは、使用人を辞めさせたとか、農民達から税を厳しく取り立てたとか、そんなことを云われているけれど、それはトートさまのお父さまのことなの」
ヘーリエンテスが哀しげに微笑む。「トートさまはたった二年で領地をたてなおして、お父さまのしてきたことの穴埋めに、今はがんばっていて……」
「まあ……わたし、誤解していました。トートさまは、その、あまり人付き合いもされないし」
「皆、トートを疑い、敬遠しているからな。陛下でさえ、このところはトートを避けられている。以前はあいつとヴァルムのどちらかが将来の王配ではと云われたものだが、トートには悪い噂がたちすぎてしまった。俺達が多少、親しくしたとて、噂は消えない。このところは殿下の名に傷が付くと、俺達から離れている節があるし……だから、オーシェニと結婚して、領地へ引っ込むのだと思っていた」
ヘーリエンテスが頷く。「あの子、トートさまにとてもよくして戴いて嬉しいって、凄く喜んでいたのに。どうしてヴァルムと……」
ふと思い出して、レヴィは顔を上げる。オストはまだ顔に涙が光っているが、クッキーをかじっていた。背が高いので、維持するには食糧が要るのだろう。
「ヴァルムのやつは? 薬院へ担ぎ込まれたとか」
「そうだ、わたしもオーシェニに会いたいのに、だめだと云われてしまったの」
「あ、ヴァルムさまは、先頃目を覚まされたそうです。オーシェニさまの手をはなさないので、おふたりで病室に。勿論、ずっと医師が診ていましたから、おふたりには殿下になにかする機会はありません。ご無事です」
主を侮辱した相手の話だというのに、オストは嬉しそうに教えてくれる。「ようございました。軽くですんで」
ヘーリエンテスはほっと胸を撫で下ろした。レヴィは頷く。
「ヴァルムはああいう、不義理な男ではない筈なんだ、本来」
「ですが、昨夜のことはあんまりにも酷いなさりようでした」
オストは今度は顔をゆがめた。まだ一年と少しと云っても、王女の付き添いをしていた彼女は、王女がはじをかかされたことに腹をたてている。当然の話なので、レヴィは頭を下げた。ヘーリエンテスもそうする。
オストが慌てる。
「え……? おふたりとも、顔を上げてください!」
「すまん。ヴァルムの友人として、あやまる」
「わたしも、オーシェニの姉として、それにヴァルムの友人として謝ります」
「いえ、おふたりに謝ってほしいんではないんです。だっておふたりは、殿下のご友人で、だから……」
オストはまた泣き出した。「でんか、どこへ行ってしまったんでしょう……? わたし、殿下が居ないと、まともに考えられません……」