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豊穣祭の最後の晩、宮廷大広間にて






「殿下、申し訳ございません。俺との婚約はどうぞ、なかったことに――」


 ある初冬の宵、十日にわたって行われた豊穣と収穫を祝う祭りの最後の日のことだった。宮廷大広間でのパーティで、公爵家の三男であるヴァルムがそんなことを云いだした。

 ざわめきが波のように大広間を移動した。背の高いヴァルムは項垂れ、少しでも目立たないようにしようとしているみたいだ。

 ヴァルムの傍らには、辺境伯の次女、琥珀色の瞳をしたオーシェニが寄り添っている。ふたりはちらっと目をかわし、どちらも首をすくめた。オーシェニは癖のある赤毛をなんとかまとめ上げているが、すでにヘアピンはゆるみ、ダンスには耐えられそうにない。


 ふたりの向かいに居るのは、王女だ。この国の習慣で、その名前が呼ばれることはめったにないが、バラという外国ふうの名前を持っていた。

 彼女は五女として生まれ、友好国の王家へ嫁ぐ予定だった。しかし姉が全員死んでしまい、男兄弟は最初からおらず、すでに母は亡く、国王があらたな女性をめとる気配もない。

 その為、王家と血のつながりのある公爵家や、功績厚い幾つかの候補の家のなかから婿をとり、将来は女王になることが決まっている。

 ヴァルムは数代遡れば王家につながる。また、ふたりは幼い頃からの知り合いで、互いを熟知しており、夫婦になってもうまくいく……と、誰もが思っていた。

 しかし、ヴァルムは可愛らしいオーシェニと並んで立ち、王女に婚約の解消を申し出た。




 オーシェニは王国の辺境に領地を持つ辺境伯の娘だ。だが、ほんの三年ほど前に帝国にのみこまれたこの国は、「戦争」という概念を忘れた。「辺境」は名ばかりのものになった。

 かつてであれば娘婿に武辺者を迎えていただろう辺境伯は、帝国の従属国になって文官の価値が上がったことがあり、婚約がまだの次女には「賢い」婿をとろうと考えた。長女はすでに、武でならしている侯爵令息との婚約が整っている。

 オーシェニは「賢い」男性を婿にとる、もしくは「賢い」男性の妻になることを目標にふるさとから王都へとやってきた。


 オーシェニは小柄で、よく動くぱっちりした目と、些細なことでくすくす笑うのが可愛い娘だ。王都から離れたところで育ったこともあり、時折訛りが出るのも愛らしいと、若い貴公子達は一時期オーシェニを追いかけまわした。

 だが、侯爵のトートがあらわれ、オーシェニを追いまわす連中は途端に離れていった。


 トートはまだ十代だが、すでに侯爵家を継ぎ、領地を大きく発展させている。だが、黒い噂の絶えない人物だった。父親を殺して跡をとったとか、実は前侯爵の実子ではないとか、王都で起きている連続殺人を裏で手引きしているとか……なにかことが起こると、辿っていけば背後にはトートが居る、とまで云われていた。


 そのトートが、オーシェニに近付き、ダンスに誘った。トートは噂は絶えないものの弁えた人物で、女性を安易にダンスに誘うことはない。そのトートがオーシェニを誘ったのだから、本気なのだとまわりは考えた。

 オーシェニはすでに王都に数ヶ月滞在していたから、トートの黒い噂も聴いていただろう。しかし断らなかった。断れなかったのだと、周囲は考えた。辺境伯といえ、権威は失墜し、飛ぶ鳥を落とす勢いのトートにはかなわない。断れば無礼と断じられ、社交界からつまはじきになる。オーシェニがそう判断したのだと。


 トートはオーシェニを気にいったようで、芝居見物や競馬、ボート遊びなどに何度となく誘った。オーシェニはそのすべてに律儀に応え、これはいよいよ、トートがオーシェニに求婚するのではないかと思われていたのだが……。




 そのトートは、パーティには参加していなかった。招待されていたが、体調を崩したとかで、欠席したのだ。もともと、体の強い男ではないのだが、この半年ほど体調不良を理由にパーティの誘いを断ること、出仕しないことがあった。なにか悪い病になったのではないかと皆、噂している。これまでの悪行が身に返ったのだと。

 トートが居ないからオーシェニに近寄れるかもしれないと期待していた連中は、彼女が何故か、それまでほとんどダンスもしたことがないようなヴァルムと会場に這入ってきて、首を傾げた。

 かと思えば、ふたりはその脚で王女の前まで行き、ヴァルムがとんでもないことを云いだした。


 王女はピンク色のまっすぐな髪を、するすると指で撫でる。繊細な彫刻の施された椅子に腰掛け、白っぽいドレスに埋もれるようになっている。背が高く、男っぽい整った顔立ちで、それは一般市民や貴族達のからかいの的だった。一時、戦の男神を揶揄するような歌が王都ではやったのだが、それは暗に王女のことを示したものだ。ヴァルムと並ぶと兄弟のよう、勿論殿下が兄でらっしゃると、意地も口も頭も悪い一部の令息達は噂した。

 王女が下から、ヴァルムをきつく睨んだ。唇が震えている。「殿下」付き添いの婦人が慌てた様子で、その腕をとろうとしたが、王女はそれを振り払った。右手にはたたんだ扇を持っているのだが、その手は力をこめすぎて白くなっている。

「その……可愛らしいかたと、一緒になるのかしら」

 王女の声は震えている。付き添いの婦人達、それに侍女達も震えていた。王女が怒りをこらえていると思ったのだ。

 ヴァルムは項垂れたままだ。

「はい。申し訳ありません。ですが、俺はどうしても、オーシェニと一緒になりたい。王配にはなれません。俺には荷が重い」

「あら、そう……」

 王女は今度は、オーシェニをねめつける。オーシェニは平然とそれを見返した。王女はなおも目付きを鋭くし、ふいと顔を背けた。目を瞑り、肘掛けに腕を置いて、体を預ける。

「どうぞ、ご自由に。好きになさいな」

 ヴァルムとオーシェニがほっとしたように顔を見合わせた。周囲の空気もゆるむ。

 と、王女が突然立ち上がり、手にした扇でオーシェニの横面を叩いた。

 うすい木の板を、絹糸で綴り合わせた扇が、ばらけて飛び散る。ご婦人がたが悲鳴をあげた。

 オーシェニがくったりと倒れ、ヴァルムがその小さな体を抱える。王女は顔を赤くして、更にオーシェニに追撃した。先程まで自分が呑んでいた、去年仕込んだ上等なシードルのはいったゴブレットをひっつかみ、それを投げたのだ。

 シードルが宙にばらまかれ、灯をうけてきらきらと光る。

 ゴブレットはヴァルムの頭にあたり、王女がはっと息をのんで立ちすくんだ。「うそ、ごめ――」

 ヴァルムが倒れ、オーシェニが叫び、大広間は騒然となった。




 ヴァルムとオーシェニが担ぎ出され、宮廷の北の外れにある薬院で治療をうけている頃、王女は椅子に腰掛けて呆然としていた。

「ヴァルムは無事?」

 しばらくぶりに口を開いたかと思うと、そんなことを云う。付き添いの婦人は慰めるようにその肩を撫でた。

「殿下、お部屋へ戻りましょう。少し落ち着かれたほうがようございます」

「ヴァルムは大丈夫なのと訊いているの」

 王女はいらだった声で云い、ご婦人がたは顔を見合わせた。こんなにも殿下に心配され、愛されているのに、幾ら可愛いと云ってもどうしてあんな赤毛と……と、口にすることこそないが誰もがそう考えている。

 だが、理由もわかりきっている、と、周囲はそうも考えていた。美しいが男のようで、権力のある妻と、可愛らしい自分よりも立場が下の妻なら、男は誰だって後者を選ぶ。

 勇気を持って、侍女のひとりが云った。

「ヴァルムさまは、まだ眠っておいでですが、たいしたことはございません」

「そう……」

 王女はほっとしたのか、立ち上がり、大広間を見渡した。目が合った、立派な体躯の貴族が、足早に広間を出ていった。王女は失望したように息を吐く。「(やす)むわ」

 侍女達がそれについていった。付き添いのご婦人がたが、王女を気の毒そうに見ている。彼女達は先程の侍女の言葉が嘘だと知っていた。ヴァルムは危険な状態になっている。「わたくし達が、もっと殿下を愛らしいかたにしてさしあげられたら……」

「わたくし達の力が及ばぬばかりに……」

 付き添いの婦人の、特に背が高いひとりが、焦った顔で出て行った。「ああどうしよう、どうしよう……そうだわ……」


「ここでいいわ」

 寝室の前の廊下で、王女は侍女達を振り向いた。

「わたくし、少し頭をひやしたいの。呼ぶまで来ないで」

「かしこまりました」

 侍女達は頭を下げ、王女はひとりで寝室へと歩いていく。長いピンク色の髪が、地面に近いところでひらっひらっと揺れている。

 寝室の扉が開き、点されていた灯が廊下へもれた。王女はそこへ這入ると、いらだたしげに扉を閉めた。






「殿下、失礼いたします」

 翌朝、侍女達がおそるおそる、王女の寝室の扉を開けた。

「殿下……?」

 声をかけても返事はなく、帳を開けても、ベッドに王女は居ない。

 王女は姿を消した。






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