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2話 聖女の悔恨

 わたしはレイチェル。


 人間ほど愚かでありながら、賢い生き物はいない。

 人間ほど残酷でありながら、心優しい生き物はいない。

 人の一生は短いものであるからこそ、美しい。


 小さい頃から、英雄のおとぎ話を聞いて育ったわたしは人間という神が愛した存在について、夢物語のような憧れを抱いていました。

 人間はきっと素晴らしい人ばかりに違いない。

 だから、お母様にお願いしました。


「わたしはあの人達を助けたいのです」


 お母様からは『人間にはいい者もいれば、悪い者もいるのだよ』と耳が痛くなるほどに説教されました。

 しまいには半ば、諦め顔で認めてくれましたが……。


「お前は言い出したら、聞かないからね」


 気が付くとわたしはシュルトワ王国の辺境の町にいたのです。

 絵物語でしか、見たことがない街並みに感動していると周囲を取り囲まれました。

 でも、不思議と怖くはありません。

 なぜなら、彼らの目に浮かんでいるのは嫌悪の感情ではなかったから。


「聖女様だ! 聖女様が降臨された」


 んんん? 誰が聖女?

 戸惑うわたしを無視して、話はどんどん進んでいきます。


 この辺境の町を治めているのはデボラ・ブレイズという女性。

 王国の辺境伯として、北の守りを固める国の重要人物でした。

 背が高く、凛々しくも美しい顔立ちの方で男装していてもその美しさは損なわれるどころか、まるで舞台俳優のように素敵です。


 そんな女性がわたしに跪き、『聖女』としてこの地を導いて欲しいと請われ、断れるでしょうか?

 いいえ、断れません。


 そして……運命に出会ったのです。

 彼、トビアス・ブレイズ――トビーは、とても優しく、ちょっとドジなところもあって……一緒にいるだけで心がぽかぽかとしてくる男の子でした。

 十歳だと彼が言ったのでわたしも十歳ということにしました。

 正直、年齢なんて分からなかったですし、目線が同じくらいだったので問題がなかったからです。


 そんな彼に惹かれていくのは偶然ではなく、必然だったのでしょう。

 トビーと出会ってからというもの、毎日が楽しいもので満たされていきました。

 彼はデボラ様の一人息子でブレイズ辺境伯の跡取り息子。

 デボラ様の夫でトビーの父親である先代の辺境伯が北部戦線で戦死されたせいか、彼は時々、寂しげな顔をして、呟いたことがあります。


『僕も早く、大きなって、強くなりたいな。それで母様やレイチェル様……それに皆を守るんだ』


 その言葉を聞いた時、胸の奥がきゅっと締め付けられて、息苦しくなりました。

 そうか、これが恋というものなのね。


 それからの日々は本当に楽しかったです。

 トビーと一緒に過ごす時間はどんな宝石よりも輝いて見えました。

 しかし、そんな日常は唐突に終わりを告げたのです。




 王都からの知らせが届き、わたしは旅立つことになりました。

 『聖女』であるわたしの噂が王室にも届いたのです。

 御前会議でわたしの身柄は一貴族である辺境伯ではなく、国が保護するべきという結論に至った。

 人間は難しくて、面倒なことを考える生き物なのだと知りましたが、それよりもデボラ様とトビー、それに町の皆さんと別れるのが辛かったのをよく覚えています。


 出発の日、びっくりするほどの大勢の方が涙ながらに見送ってくれました。

 特にトビーは泣いてくれました。


「これは涙じゃない。男は泣いちゃいけないんだ」


 そう強がるトビーの姿にわたしも悲しくなって、二人で時間ギリギリまで泣き続けました。


「また会えるよね?」


 もちろんよ。

 だってわたし達は運命で結ばれているんですもの。

 でも、運命とはかくも過酷なものであると思い知ることになろうとは知る由もありませんでした。




 王都に場所を移しただけでわたしはわたし。

 何も変わることはない。

 そんな風に考えていたわたしはあまりにも世間知らずだったのです。


 都で暮らし始めてから、数ヶ月。

 聖女といっても祈りを捧げるだけで特にこれといったことをしないまま、時は過ぎていました。

 幸いなことに面倒を看てくれる神殿の皆さんも親身で優しい方達だったので心穏やかに過ごせていたのです。


 ところが運命の悪戯は突如、訪れました。

 降って湧いたような婚約という言葉に意識が遠のきかけます。

 相手は会ったこともなければ、見たこともない第一王子のイラリオ様。

 神官さんや身の回りの世話をしてくれる巫女さん達の話ではとても、カッコいい王子様だそうです。

 おとぎ話に出てくる王子様は確かにカッコいいですが、中身も伴っているのでしょうか?

 トビーこそ、わたしの王子様なのに……。


 そんなモヤモヤとした心のままにイラリオ様とお会いする機会が訪れます。

 婚約者としての顔合わせをするのです。

 そして、激しい衝撃を受けることになります。


「君が聖女か? ふ~ん」


 わたしを見て、発した最初の一言は興味がないと言わんばかり。

 とても失礼な人だと思いましたが、それだけならまだ我慢出来ました。

 問題はその後です。


「聖女と言うから、もっと清楚でかわいい女の子を想像していたんだが。思っていたより、普通なんだね。まぁ、僕の好みではないな」


 この人は何を言っているのでしょうか?

 確かに見た目こそ、王子様です。

 獅子を思わせる金色の豪奢な髪に鼻筋の通った整った顔立ちに青く澄んだ瞳。

 見た目だけなら、絵本の王子様そのものですから。


 でも、この態度はないでしょう。

 まるでわたしのことを人と思っていないような発言ではありませんか。

 こんなひどい人間に振り回されるなんて真っ平御免です。

 なので、つい言ってしまいました。


「それでは、わたしのことは放っておいて下さいませんか?」


 それが間違いだったと気付いた時にはもう遅かったようです。

 イラリオ様の怒りを買ったようで、いきなり頬を引っ叩かれました。

 痛い……。


「貴様、生意気だな。その髪の色も瞳の色も何もかも嫌いだ! すぐに出ていけ!」


 どうして、わたしがこんな目に遭わないといけないのでしょう。

 その後も理不尽な言葉の数々を浴びせられました。

 挙句の果てには『その髪をこの色に染めてから、出直せ』と言われ、頭の上からまだ、熱い紅茶をかけられたのです。




 それからというもの、わたしには多くの家庭教師が付けられ、自由に過ごせる時間がなくなりました。

 十三歳になり、王立学園に通う前にありとあらゆる教養と作法を学ばねばならないのだそうです。

 ブレイズ辺境伯のところで暮らしていた時にはなかった堅苦しく、息の詰まるような日々。

 せめてもの救いは神殿の皆さんが相変わらず、親身だったことです。


 そして、わたしに辛く当たる意地の悪いイラリオ様へのささやかな抵抗として、嫌いだと言われた髪と瞳を見せないことにしました。

 燃え上がる炎のように鮮やかに紅い髪をわざと地味な薄い紅茶色に染め、目は常に閉じたまま。

 閉じたままだと歩きにくい?

 それは問題ありません。

 目を閉じていてもあまり、支障は無いのです。

 周囲の方々がとても心配そうに気遣ってくれるのが、逆に騙しているような気分になってきて、申し訳ないのですが……。


 こうまでしてもイラリオ様は相変わらずの態度です。

 もしかしたら、会うたびに嫌味を言わないといけないと死ぬ病気なのでしょうか?




 そして、わたしが王族と婚姻するにあたり、一つの契約が成されました。

 破棄されない以上、この国を守り続ける。

 そんな契約をしなくても。

 婚姻で縛り付けなくても。

 わたしはこの国を守りたいと考えていました。

 そんなに信用がなかったのでしょうか。


 また、伯爵以上の家柄の貴族の養女になる必要があると聞かされ、困りました。

 デボラ様やトビーとの繋がりが完全に断たれてしまうのですから。

 でも、どうしようもないことでした。

 王命に逆らうわけにはいきません。

 何よりもわたし自身が契約により、イラリオ様に嫁ぐことを拒めませんでした。


 しかし、ここで思わぬことが起きたのです。

 わたしを養女として迎え入れてくれたのが、デボラ様だったのです。

 レイチェル・ブレイズとなったわたしはトビーの義姉となりました。

 彼への想いは胸に秘め、生きていかねばなりません。

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