12話 英雄王に私はなる
(イラリオ視点)
私はイラリオ。
イラリオ・シュルトワだ。
シュルトワ国王カルロスと正妃イサベルの間に生まれた嫡男。
つまり、私は民の尊敬を集める希望の星である。
幼い頃、母上は私にこう言ったのだ。
『この国の希望』である、と。
その時の母上の瞳はキラキラと空に瞬く星のように輝いていたことを覚えている。
その時、私は幼き身でありながら、気付いたのだ。
私こそ、選ばれた者である、と。
私が右と言えば、右を向くべきだし、左と言えば、左を向くべきだ。
それなのにだ……。
「お前はなぜ、そんなに生意気なのだ」
「兄上こそ、その傲慢な態度を改めるべきです」
「黙れ……この無礼者め」
「それはこちらの台詞です」
すぐ下の弟レジェスのこの生意気な態度はどうだろうか?
私はイラリオ・シュルトワだ。
選ばれし者だ。
民から尊敬される存在でなければ、ならない。
それなのに、どうしてこんな弟が生まれてしまったのか。
「お前なぞ、生まれてこなければよかったのだ」
「兄上こそ、生まれてくるべきではなかったのです」
弟達との仲は最悪だった。
私には三人の弟がいる。
四歳差のレジェス、六歳差のアーロンとエリアスだ。
母親が違う訳ではない。
父上は母上のことだけを愛する真っ直ぐなお方だ。
息子の僕から、見てもお二人の仲は大変、微笑ましく思えるものだった。
愛する人を一生、愛する。
なんと素晴らしいことだろうか。
私もかくありたいと思った。
私にも愛すべき人がいつか、現れる。
その日を待ち望み、偉大な王となるべく、日々を過ごしていた私に告げられたのが顔も知らない『聖女』レイチェルとの婚約だった。
婚約を進めたのは私の身を案じた母上らしい。
『聖女』との契りがあれば、私は何も心配することがないのだと言う。
押し付けられた女などいらない!
そのような望まぬ関係は必要ないのだ!
何が『聖女』だ! 下らない迷信に過ぎない。
そして、迎えた顔合わせの日。
レイチェルを見て、驚いた。
私がこれまで見たことのない神秘的な容姿の少女がそこにいた。
燃え上がる炎のように紅い髪と白い肌が鮮やかなコントラストをなしていて、きれいだった。
私を値踏みするように力強い視線を投げかけてくる瞳は朝焼けの太陽の色をしていた。
つい見惚れてしまいそうになり、口から出たのは自分でも驚くような言葉だった。
賞賛ではなく、彼女のことを馬鹿にしたような汚い言葉だ。
それだけではない。
気が付いたら、彼女の頬を打ち据えていた。
まるで体が勝手に動いたように……。
私はいつも、こうなのだ。
蔑ろにされている訳ではない。
むしろ、皆が私を大切にしてくれる、愛してくれる。
そこに偽りはないはずなのにどうしても素直になれなかった。
このようなことではいけないと思いつつも、どうすればいいのか分からず、時間だけが過ぎていった。
母上の期待に応えたいと努力もした。
優秀な家庭教師の元、学問にも武芸にも打ち込んだ。
ところが何一つ、身に付かなかった。
それでも母上は怒ることなく、こう仰った。
『文字は自分の名前が書ければ十分なのよ。剣術も一人を相手にするだけのもの。あなたは王になるの。だから、万人を相手にする大きなことを学びなさい』と。
私とレイチェルも十三歳となり、学園に入ることになったが、交流らしい交流はないままだった。
あの日、私がけなしたせいで彼女の美しい瞳は閉じられて、見えないまま。
目にも鮮やかなきれいな髪も地味な色になっていた。
それがまるで無言で私を責めようとしているかのようで余計にレイチェルを避けるようになっていた。
しかし、悪いことばかりでもない。
この学園で私は気の置けない友を得ることが出来た。
オスワルド・ウィンディとビセンテ・フロウの二人だ。
直情的なオスワルドと怜悧なビセンテ。
二人の性格は対極と言っても過言では無いほどに正反対なのに仲が良いのだ。
オスワルドは剣術が得意で体を動かすのが好きだが、頭を働かせるのが苦手。
ビセンテは逆に体を動かすことが苦手で学問が好きな頭脳派だった。
三人一緒にいれば、出来ないことはないと思った。
そんな私達が特に共通の話題として、熱心に話していたのが建国の英雄王ドラクルの物語だ。
我が王家の偉大なる祖にして、英雄王ヴァシリー・ドラクル。
魔物が跋扈するこの地を平定し、民を安んじた勇者の中の勇者と言うべき人物だった。
その英雄的な生き様は長い時を経ても色褪せることがない。
いつしか、私は彼のような英雄王となりたいと望むようになっていた。
オスワルドとビセンテも瞳を輝かせ、その為に身命を賭すと誓ってくれた。
「英雄王に私はなる!」
その誓いとともに私達は学園生活を謳歌していた。
しかし、崇高な理想を掲げ、優秀過ぎる私達は平凡な者どもには理解出来なかったのだろう。
遅々として、賛同者が集まらず、思案に暮れていた。
その理由はある程度、分かっている。
弟達が優秀だからだ。
勉強も出来れば、剣の腕も立つ。
その上、容姿端麗とくれば、彼らにも信奉者が生まれるようになる。
同じ母親から生まれたのに、何故こうも違うのか。
私がどんなに努力をしても身に付かなかった物をあっさりと手に入れる。
しかし、それは私が凡庸だからではない。
私の力は一人を相手にするのではなく、万人を相手に披露するものだからだ!
そうだ。
弟達が優秀なことは誇らしい。
彼らが優秀であろうと王を継ぐのは私であることは疑いようがない事実だ。
将来の優秀な臣下だと思えば、気も紛れよう。
そう思いつつも劣等感に苛まれるのは仕方がないことだろう。
完璧な私もやはり、一人の人間なのだ。
特にすぐ下の弟レジェスに対しては、複雑な感情をつい抱いてしまう。
あいつさえいなければ……という気持ちになることさえある。
それでも、表面的には仲良くやっていたつもりだ。
少なくとも、周りからはそう見えていただろう。
ところが、ある日突然、その弟に嫌われた。
何が原因なのか?
心当たりはない。
唯一あるとすれば、あの日の言葉くらいか。
あれが何か、気に障ったのかもしれない。
今となってはもう確かめようもないのだが……。
それからというもの、私達は孤立していった。
味方してくれる人はいるものの、少数だ。
そんなある日のこと。
私は運命の女性と出会うことになる。
彼女はまるで女神のように私の前に現れた。
不意に空から、降ってくるように現れた美しい少女はまるでそこが居場所とでも言うように私の腕の中に収まっていた。
緩やかな風に靡く薄い桃色の髪が私の目を捉えて、止まない。
大きく見開かれた目にはエメラルドのような瞳が輝いていた。
何より彼女の体から、立ち込める鼻腔をくすぐる甘美な刺激には抗いがたい。
私の心臓が早鐘を打つ。
これが恋という物なのだろうか?
生まれて初めての経験だった。
「私と一緒に来てくれないか」
無意識でつい、そう言ってしまい後悔した。
彼女は何も答えてくれない。
ただ、私を見つめると無言で頷いてくれた。
彼女の視線を軽く、感じるだけで体が熱くなる。
運命の女性の名はヒメナ。
世渡りの異邦人という貴重な人材であるとともに私にとって、掛け替えのない人だ。
彼女には不思議な力が宿っている。
『癒し』の力だった。
『癒し』の女神が大陸全土に多くの信者を持っているのはひとえにその力ゆえだろう。
傷を癒し、病を癒す。
慈愛に溢れるその美しい姿は人の心を捉えて、離さない。
ヒメナにはその『力』があった。
発端は彼女が作ったという『癒し』の水だ。
そして、彼女が願い触れれば、『癒し』を与えられることに気付いたのだ。
それを知ったオスワルドとビセンテは、すぐさま行動を起こすべきだと言い始めた。
『聖女』との婚約を破棄し、『契約』を切り、真の『聖女』であるヒメナを迎えるべきだと言うのだ。
母上の願いで成された婚約。
それを破るのは本当に正しいことだろうか?
私も最初は迷いを感じていた。
しかし、美しいヒメナと時を過ごすうちに迷いが消える。
確かにこの国の未来を考えるなら、それが最善なのかもしれない。
私はそう確信していた。
彼女、ヒメナこそが私の運命の相手だからだ。
彼女を娶り、王位を継ぎ、英雄王になる。
いや! 英雄王を超える存在となろう。
私はいつしか、そのような野望を抱いていた。