第6話 俺、魔王の部下に感謝をされる
「おや、こちらにおいででしたか」
研究室を出た廊下で出会ったのは直立歩行する人間サイズの黒光りダンゴムシ――魔王の右腕とも呼ぶべき内務卿だった。どうやら魔王に報告だか決裁だかの用事があるらしく、後ろに書類の束を持たせたゴブリンやオークなどの部下を連れている。
「魔王様はご機嫌よろしいでしょうか?」
触覚複眼で骸骨以上に表情の読めないダンゴムシさんが、研究室から出てきたばかりの俺に魔王の様子を訊ねる。
「たぶん……いいんじゃないかな?」
言葉を濁したのは俺の機嫌の方が少しよろしくないからで、そのことに自分でちょっと驚いてしまった。
「あなた様が来てから魔王様は楽しそうでいらっしゃる」
俺の内心の驚きをよそに、ダンゴムシが虫の口をギイギイ鳴らしながら、そう嬉しそうに言った。
「陛下は我らの懇願のためにご自身の意思に反して魔王となられた御方。ですから我らがためにここまで献身される義理などないはずなのですが……」
勇者との戦いで先代魔王とともに人間界へ従軍していた有力な魔族たちもほとんどやられてしまったらしく、魔法研究を専門として魔王城で留守をしていたあの骸骨が、周りに盛り立てられて二代目魔王に即位したという経緯は何となく聞いていた。本人はかなり消極的だったらしいが推された理由は単純明快、魔界に残っていた魔族の中で一番強かったからだそうだ。
しかし乗り気でなくても根が生真面目な骸骨である。魔王に即位すれば内では先代魔王の死により瓦解に瀕した集権機構の維持に努めて魔界の秩序を保ち、外には人間側の逆侵攻を防ぐ結界を張り、さらに対勇者にその強化の研究を進めるなど、適切な事後策を講じるその手腕は確かなものであった。そしてそれ故にその忙しさはまさに骨身を削るほどのものになったという訳である。骨だけに。
「ですので、あなたのような御方が近くにいらっしゃることに感謝しているのです」
そう言って内務卿はダンゴムシの背中を曲げてペコリと頭を下げた。その丁寧な態度と評価に、俺は鼻の頭を掻いてなんとも言えない気持ちを誤魔化した。俺の魔王に対する不遜とも思えるほどにフランクな態度は、もう前世には戻れないこの第二の人生が失うもののない余生だと思っての開き直りであり、だから骸骨魔王なんていう見た目からしておっかない存在にも恐れを抱かず振舞えただけで、別に今の魔王の置かれた状況を慮って取った行動なんかでは決してなかった。
そんなただの結果オーライを感謝されるのは非常にむず痒い。
「これからも陛下をよろしくお願い致します」
けれど彼らの感謝は心の底からのもので、黒光りする甲殻を深々と下げてお辞儀をする内務卿と、それにならって頭を深く下げる後ろのゴブリンやオークたちに、俺は頭を掻きながら「わかった」とうなずき返すしかなかった。
「魔王様は愛されていらっしゃる……」
入室していく彼らの背中を見送りながら、今度は遠隔で書類決裁できる魔道具でも考えてやろうかと思った。