最終話 愛を知る
一条の黒い光となって放出された魔力は勇者の身体を吹き飛ばし、まっすぐに空に浮かぶ人間界との門へと走り抜けた。
勇者が門の向こうに消えたのを見届けると、魔王は周囲に漂う聖魔相克で生じた力を集め、門を覆う巨大な魔法陣を生み出した。理論上、聖剣の攻撃にも耐えられるであろう最強度の結界である。
「作戦成功……だな」
魔界中の魔力を集めて勇者に拮抗する力をぶつけ、聖魔相克現象によって得られる聖剣を超える力で勇者を撃退するとともに、恒久的に人間界との門を塞ぐ最強の結界を作り出す。これがこの作戦の全容であり、その目的は完全に達成された。
俺は笑った。
俺たちの完全勝利だった。
まさか本当に勝てるとは、勇者と戦っているときはチートが過ぎて全く思わなかった。それにしても笑えるのがこの勇者を倒した魔王の戦いぶりだ。魔王なんだからと『天地魔闘の構え』なんて冗談で教えたが、本当に使いこなすとは思わんだろう普通。本当に笑える。
「無事か?」
「見りゃ、わかる、だろう」
地面に寝たまま一人笑いしている俺のところに魔王がやってきた。見上げるその骸骨顔に影が差して見えた。だから俺は笑う。
「やった、な」
「貴様のおかげだ」
屈んだ魔王が俺の身体を横抱きに起こす。
「私は貴様のおかげで他人の力を頼ることを覚えた。ならば敵の力に頼るのも道理というものだろう。だからこの成功は貴様のものだ。感謝する」
その言葉に、俺は胸に急速に広がる満足感を覚えた。守れた。果たせた。だから――、
「気に、病むなよ」
俺は最期まで笑顔を絶やさずにいなければならないと思った。
「約束を果たす」
血を失い過ぎた。もう回復魔法も効きはしないだろう。それを察した魔王は、だからその話を口にした。
俺の魂を元の世界に――俺の家族がいる世界に送り返すという約束を。
「必ず届ける」
視界は失血に霞み、俺は声を出す力もなく、ただ頷いて魔王に身を委ねる。
「必ず――」
温かい熱が身体を包む。
閉じた視界に光が満ちた――。
***
白い部屋。
俺の顔を、妻と娘と息子が覗いている。
涙を流しながらも覚悟を決めたように見える妻。不安に押し潰されそうな顔の中学生の娘。状況がよくわかっていなさそうな困惑を顔に浮かべる小学生の息子。
「あなた――」
それは前世の最後の記憶のままの光景だった。
「あ――」
まるですべてが夢であったような感覚。
けれどあの異世界の記憶は夢のように溶けず、確かにこの魂に刻まれている。
だとすれば、
「粋、だな……」
あの骸骨魔王が、俺の魂を召喚した瞬間に合わせて元の身体に戻したのだ。
「お前、たち」
俺を家族に会わせるために。
「あなた!」
「お父さん!」
「パパ!」
口を開くと、妻と子供たちの俺の手を握る力が強くなる。
なんの準備もなくこの瞬間に帰ってきた俺は、鈍痛とモルヒネで混濁する意識の中で、何か、何か残さなければならないと思って言葉を探した。
何のためにこの瞬間に戻ってきた?
何でこの瞬間に戻ってこられた?
感情があったから。
異世界に行ってもその感情があったから。
俺は戻り、
あいつは送った。
だから――、
「愛してる――」
愛。
なんて真面目腐った大仰で羞恥に塗れた言葉だ。
なあ、魔王様――。
***
奴の魂を失った亡骸を抱いたまま、私は自分の感情に戸惑っていた。
「死霊魔法に精通した陛下であれば、何かまだ手段があるのではないでしょうか?」
いつまでも動かない私を心配してやってきた内務卿が気遣わしげにそう話す。
彼の言う通り手段はあった。
だが、選べなかった。
召喚した際に通った道筋を誤らずに元の時間に帰せていれば、奴は本当の家族と最後の再会を果たせているだろう。
そして奴の魂は本当の家族を守るのだ。
「それが、正しい――」
それなのに私は奴の亡骸を膝に置き、いつか聴いた奴の歌を口ずさむ。
“――誰か私の愛する人を見つけてください――”
私は千年を経て、愛を知った――。