窓の外の景色
懐かしい光景だった。
長く続く廊下の左手には教室、右手には窓が整然と連なっている。それらはまるで終わりがないように、際限なくどこまでも続いているように見えた。窓の外の景色に目をやると、一面に広がる田んぼとなだらかな山々が、昇り始めた太陽に強く照らし出されている。朝日を反射する水田のぎらぎらとした光は、薄暗い建物の中にいる私にはひどく眩しく感じられた。
ーーーそうか、小学校か。
そのとき初めて、今自分がいるのが昔通っていた地元の小学校なのだと気づいた。築何十年は経っていようという木造の学び舎は、汚れや傷が散見され古ぼけた印象を受ける。あの頃と何一つとして変わりがない。だから「ここがどこか」を考えるより前に「懐かしい」と思ってしまったのだろう。
少し埃っぽさの混じった木の匂いや、どこからか聞こえてくる子供たちの声が、すっかり忘れてしまっていた幼少期の記憶をしっとりと呼び起こしていくようだった。
さて、どうしたものかと思う。
どういう経緯で自分がこんなところに迷い込んでしまったのか、まるで見当がつかない。呼吸に異常はないし、しっかりと自分の足で立っている。最初は夢だと思ったが、夢にしてはやけに全ての感覚がはっきりとしており、そうであるが故に現実味がなかった。
あたりを見回しても前にも後ろにもただただ廊下が続くだけで、私以外はこの場には誰もいない。仄暗い廊下の光景と相まって、少しだけ不気味な印象を受けたが、不思議と恐怖は感じなかった。
目の前にある教室には【一の二】という表札がついている。自分は一年生の頃に二組だったかな、なんて思い出しながら、教室のドアについた小窓からそっと中を覗いてみた。
休み時間なのだろうか。仲良しの友達とおしゃべりする者、自由帳を取り出して絵を描く者、追いかけっこをする者とそれをたしなめる者など過ごし方は様々だ。そんな子供たちの中のある一人の少年に私の目は釘付けになった。
後ろの黒板に下手くそな落書きをして友達と笑い転げている彼はーーー幼き日の”私”だった。
子供の頃の自分の顔なんてあまり覚えてはいないが、母に買ってもらったお気に入りのシャツを着ていたので彼が私自身なのだとすぐにわかった。背中にプリントされた熊のキャラクターは今でこそ見かけなくなって久しいが、その頃は流行りものだったと思う。
思わず教室のドアに手をかけたがぴくりとも動かない。思い切り力を込めてみたがそれでも微動だにしない。試しに声を上げてみたが、かすれた私の声は長く続く廊下に虚しく反響するだけで、教室の中の子供達には誰一人として届いている様子はない。
ーーーなるほど、お断りということらしい。
たしかにあの頃の”私”にとって今の私は部外者でしかない。仮にドアが開いたとして、仮に声が届いたとして、なんて彼に声をかけたらいいのかもわからない。それならば傍観者でいる方が良い気さえした。
それと同時にこの不思議な場所での私の立場をなんとなく理解した。
名前を忘れてしまった友人とともに、屈託のない笑顔でじゃれあう”私”をしばらく眺め、私はその場を後にした。
一年二組の教室を離れた私は、空気を味わうように吸いながらゆっくりと廊下を歩き出した。次の教室も、その次の教室も、”私”をすぐに見つけることができた。教室が移り変わり学年が上がっていくにつれ歳月が流れていくようで、”私”はしっかり成長していく。
何も考えずに無邪気に笑う子供の頃の”私”は、今の私にとってはその純粋さと若さ、そして世間を知らない無知さが少しだけ羨ましくも感じられた。
歩を進めるうちにいつの間にか私のいる場所は小学校から中学校へと変わっていた。その変化をすんなり受け入れてしまったのは、あれこれ考えても仕方がないという諦めなのか、すっかりこの場に慣れ切ってしまったからなのかはわからない。
当然のように教室の中にいる”私”も真っ黒な学ランに身を包んだ中学生の姿だ。あの頃は親に何かにつけて反発し、些細なことで喧嘩していた気がする。家族と過ごす時間より、友人たちと過ごす時間の方が気が楽だった。今になって思えば親への反抗など下らない理由に違いないが、きっと当時の”私”にとっては小さくとも決して譲れないものがあったのだろう。
すり潰した青葉のように青臭い若さの香りが鼻腔をくすぐるようだった。
高校一年の教室では、放課後に好きな女子へ想いを告げる”私”を目の当たりにした。幼少期ならいざ知らず、さすがに高校生の頃の思い出はそれなりに記憶に残っている。ましてやたいして面白味のなかった私の高校生活において、唯一と言っていいほどの一大イベントがその告白だった。それが実らぬ恋と知っている今の私にとって、顔を赤らめながらもかっこつけようとする”私”の姿は滑稽どころではなく、心の奥底に封じていた羞恥心が溢れ出して悶え叫び出したいほどだった。
恋に敗れ、青ざめた顔で精一杯に平静を取り繕おうとしていた過去の自分を思い出し、告白の結果も見届けずにそそくさと歩き去った。
さらに廊下を進むと大学へと辿り着いた。講堂で教授の話を聞いている”私”はなんとも間抜けな顔をしていた。
「大多数の周りがそうだから」という理由のない理由で進学した私には、やりたいことも学びたいことも特になかった。腑抜けた顔も当然と言えば当然だろう。同輩たちが様々な経験を通して学生生活を有意義に過ごそうとする中、私はというと流れるまま、流されるままにただ歳だけを重ねていった。大学生活で学んだことなど、せいぜいが酒とタバコと女くらいだ。こちら側から見ていても面白くもなんともない。人生で最も自分自身のために時間を使うことのできる貴重な時期を、ただただ浪費するだけの過去の自分に対して、怒りにも似た感情が湧いてくる。
説教の一つでもしてやりたいところだが、相変わらず扉はぴたりと閉ざされ、発した声は届かない。
そんな大学生活を送っていたものだから就職活動には大いに苦労した。なにせ熱意も目的もやりたいこともないのだ、私が採用担当ならそんな若者は落として当然だ。傍観者としてざまあみろと思う反面、自分自身のこととして後悔の念も拭うことはできない。
何十番目の志望かも忘れてしまった会社にどうにか採用された”私”は、仕事のミスを先輩に叱責されて平謝りを続けていた。甘ったれで根性のない私は「こんな会社辞めてやる」と何度も思ったものだが、なんだかんだと続けていたのだから、先のことなどわからないものだ。
地道に仕事を覚え、少しずつではあるが自信をつけていく”私”の姿を、蛍光灯が不定期に明滅するオフィスの廊下から静かに見守っていた。
しばらくは代わり映えのしない仕事場の風景が続くだけであったが、あるとき”私”は事務員の女性と楽しそうに世間話をしていた。”私”が大袈裟な身振り手振りで話をすると、彼女は楽しそうに口元を手で押さえてけらけらと笑っていた。
見間違えるはずもない、彼女こそ後に私の妻となる女性だった。
とりわけ美人というわけではなかったがどこか愛嬌があり、気さくな彼女とは一緒にいて気が楽だった。
私は彼女と親しくなるにつれ、結婚するならこういう相手が良いと好意を募らせたものだが、妻は「あなたみたいな地味な人と結婚するとは思わなかった」とよく言っていた。それでも一緒になってくれた理由を尋ねると決まって「仕事も恋も要領は悪かったけど、一生懸命だったから」と笑って答えてくれた。
なんだかんだで馬が合ったのだろう。そんな二人が結ばれるのにそう時間はかからなかった。
結婚して一年が経った頃、私たちは娘を授かった。
子供ができたと妻に聞かされてから、出産の日を迎えるまでの日々は瞬く間に過ぎ去り、あまり記憶に残っていない。だが、娘が生まれたときのことは今でも鮮明に覚えている。
分娩室で汗だくの妻が流していた涙は、出産の痛みだけが理由ではないことは私にもよくわかった。
”私”は看護師から手渡された我が子を腕に抱き、その身のあまりの軽さとずっしりとした命の重さに震えていた。その時になって初めて、自分が父親になったという自覚が湧いてきた。
血を分けた自らの子がこの世に生を受けたことへの感動と、一人の男から一人の父親へ移り変わっていく自分自身への不安が胸中でぐるぐると渦巻いていた。
改めて聞く我が子の産声は、まるで天使が歌う賛美歌のように神秘的で美しく、いつまでも聞いていたいほど心地よかった。
それから私が”私”を眺める場所は自宅へと移り変わっていた。娘が生まれたのを機に購入した一軒家なので、当然といえば当然かもしれない。
人生というものは不思議なもので、今まではたしかに私”一人”の人生だったはずだが、結婚してからは私と妻の”二人”の人生となり、娘が生まれてからは”三人”の人生となった。
それまで自分の人生に意味など見出せていなかったが、その頃になると私の人生は家族のためにあるのだと思うようになっていた。まるで生まれ変わったような感覚だった。そう考えるとたいして面白味もなかった日常の一つ一つが色彩豊かに見えて、全てを新鮮な気持ちで感じることができた。
何よりも、時計の針より早いスピードですくすくと育っていく娘を見るのが楽しかった。今日は娘は私に何を見せてくれるのだろう、どんな新しいことを教えてくれるのだろう、と明日が待ち遠しかった。もちろん、初めての育児はわからないことだらけでいつも妻とへとへとになっていたが、一日の終わりに安らかな娘の寝顔を見ればそんな疲れは吹き飛んでしまった。
こうして今、娘の成長をまた眺めることができて、あの頃の感情がふつふつと蘇り、じんわりと胸の奥が温まっていくのを感じる。
そして、そのときが来てしまった。
心のどこかでそれがやってくるとわかっていたからこそ、考えないようにずっと目を逸らし続けてきたのかもしれない。
娘が十歳になってすぐのある日のことだ。その日、私たちは家族で花見に行く予定を立てていた。
桜の名所として有名な公園は、車で行くにはそう遠くはない距離だったが、場所取りのこともあったので日が昇る前から出発の準備をしていた。娘はこの日を何日も前から楽しみにしていたが、星の光も消えない朝早くということもあって、寝ぼけ眼をこすりながらリビングにやってきた。”私”たち夫婦はインスタントコーヒーを片手に、テレビで天気予報をチェックしているところだ。
そしてフローリング貼の廊下にいる私は、リビングに居る彼らへこれから起こることを伝えようと必死だった。
ーーーダメだ!!
叫びながらリビングのドアを力任せに叩いた。
しかし、ドアはぴくりとも動かない。
ーーー行っちゃいけない!!
何度も何度も叫んだ。
だが、声は虚しくも届かない。
ドア越しに「それじゃ、そろそろ行こうか」という妻の声が聞こえる。あの日に聞いたままの声だ。
荷物を抱えた”私”がこちらへやってくる。ドアのガラス越しとはいえ私のことは見えるはずだが、こちらに気づく気配はない。
ーーーやめろ!! 行くな!!
そのとき、ドア一枚を隔てて在りし日の自分と目があった気がした。
だがそれはほんの一瞬のことで、次の瞬間にはリビングのドアを開けて廊下へと出てきた”私”は、文字通り私の身体をすり抜け、そのまま消えた。
私は開いたドアから咄嗟にリビングへ駆け込もうとしたが、足がとたんに重くなり、思うように動かせずにその場に倒れ込んでしまった。
気がついたときには、そこは我が家ではなく、淡白で無感情な病院の廊下だった。
その先にある病室で何が起こっているのか私は知っている。
知っているが故に見るのが怖かった。
知っているが故に見たくなどなかった。
だが、そんな私の意思に反して、足は静かに動き出し、両の目はその光景をむざむざと見せつける。
ーーーその日、私たち家族は交通事故に遭った。
花見へ向かう道中の高速道路で、私たち家族は計八台の玉突き事故に巻き込まれた。前から三台目だった私たちの車は、事故車に挟まれて前も後ろも無残にひしゃげてしまった。
私たち夫婦はエアバックによりなんとか一命を取り留めたが、娘はそうはいかなかった。後続車が大型のトラックだったせいか、後部座席に乗っていた娘の方が衝撃が大きく、胸部を強く圧迫されたことによる肺の出血で命を落とした。
病院のベッドで目を覚ました”私”と妻は看護師の制止も聞かずに娘の元へと這うようにして向かったが、再会を果たしたときには娘の身体は既に冷たくなっていた。青白くなった娘の顔はところどころに出血の跡があり、今見ても病室のベッドで横たわる”それ”が娘なのだと到底受け入れることはできなかった。極めて精巧な人形のように、人のかたちをしていても人のもつべき温もりが宿っていない。
やり場のない怒りと後悔の想いで嗚咽する”私”と妻の声は病院中に響き、心の深いところにあった私の古傷が生々しく開いていくのを感じた。
事故から数ヶ月経って退院した”私”は、娘のいなくなった人生を持て余していた。
今まで当たり前のようにあった大切なものが、急に目の前から奪われ、生きる目的を失っていた。娘が生まれる前の生活に戻っただけのはずだったが、五感の全てが奪われてしまったかのように何も感じることができなかった。仕事の日も、休日も、何をしていても意識がそこにない。気がつけば一日が終わっていることなどざらであった。
一方で、何も考えられないようで気がつくと娘のことについて考えてしまう。あんなに大切にしていたものが、前触れもなく無慈悲に奪われてしまうこの世界の理不尽さを、怒り、恨み、悲しみ、後悔し、そして嘆く。からっぽになった心の中を、どす黒い闇がじわじわと侵していくような感覚。
自らの運命を呪う様は、こうして傍から見ていてもあまりに痛々しかった。他ならぬ私自身がそう思うのだ、他の人間から見たらよほど見るに耐えなかっただろう。
妻はというとそんな私を支えるように、いつも気丈に振る舞っていた。娘の話題は極力出さないように気を遣いながら、事故の以前と同じように他愛のない話をしては笑いかけてくれた。今にして思えばその姿こそ痛々しく見えるが、心身ともに衰弱しきっていた当時の私にとっては妻の存在が心の拠り所になっていた。
そんなある日のことだった。
”私”がふと夜中に目を覚ますと、隣のベッドで寝ているはずの妻が見当たらなかった。しばらく待ったが一向に戻る気配がないので妻を探しに行ってみると、リビングで一人すすり泣く彼女の姿を見つけた。
その手には娘の写真が握られていた。何度も強く握ったのだろう、その写真はくしゃくしゃになり皺だらけだったことを鮮明に覚えている。
しんと静まり返った家の中では、妻の押し殺した泣き声と、時折聞こえる「ごめんね」「どうして」というか細い声がやけに大きく聞こえた。
その光景を目の当たりにした”私”は急に自分の不甲斐なさが情けなくなった。心に深い傷を負いながら、その悲しみを表には出さず、必死に私を支えようとしてくれた妻に、一体自分は何をしてこれたというのだろうか。それどころか自分の不幸だけを嘆くようになり、同じ不幸を味わった妻の気持ちなど少しも考えていなかった。
目を向けるのは失ったものではなく、今この手にあるものなのだとようやく気づいた。
”私”は泣きながら肩を震わせる妻を後ろからそっと抱きしめ、一言「今までごめん」と謝った。
突然のことに驚く妻に、ある言葉を告げた。私はその言葉思い出しながら”私”の声に合わせるように、心の中でなぞった。
ーーーこれからの人生、二人で一緒に歩いてくれませんか。楽しいことも、つらいことも、君と一緒に感じて生きていきたい。
……それはプロポーズの言葉だった。
かけがえのない娘を失った悲しみは決して癒えることはないだろう。
痛みに立ち止まってうずくまってしまうかもしれない。でも、私には一緒に歩いてくれる人がいる。一人では歩いていけなくても、二人でなら励まし合って、ときには休みながら、ゆっくり歩いていけるかもしれない。
そんな最愛の人へ送る、”私”なりの精一杯の言葉だった。
妻もすぐにそれがプロポーズの言葉だと気づいたようで、「”それ”聞くの二回目なんだけど」と笑い声とも泣き声ともつかない震えた声で答えてくれた。彼女のことだ、それだけで私の伝えたいことを察してくれたのだろう。
「二回目の返事は?」と”私”が尋ねると、小さく「喜んで」とあの時と同じ返事をくれたのだった。
彼らを見守っていた私自身も救われたような気がして、届かぬ声で「ありがとう」と妻に感謝した。
それからの日々は穏やかに流れていった。失ったものを取り戻すように、静かで退屈な、それでいて温かな日常を妻と二人で過ごした。
いつからか妻は人一倍健康に気を遣うようになっていった。食事の栄養を考えて料理したり、たまに軽い運動をして汗を流すのを楽しんでいるようだった。私も付き合わされて健康食品などをよく買いに行かされたものだ。
喫煙者だった私はタバコを咎められたので、その頃から妻に隠れて一服するのがささやかな至福の時になっていた。
タバコをふかしているところを妻に見つかると、いつも口酸っぱく注意されたものだが、彼女も半ば諦めていたようで本気で怒られることはなかった。
「長く人生を楽しむためには健康じゃないと」というのが妻の口癖だったが、もしかしたらその言葉には「あの子の分も」という一言が隠されていたのかもしれないと今になって思う。
ゆるやかに流れる時であったが、二人の髪に白いものが増えるにつれて”別れ”も増えていった。親、親戚、友人……二人にとって接点のある人々との死別は、否応なしに娘との別れを想起させた。何よりも私たち夫婦の別れもそう遠いものではないのだろうと心のどこかで感じさせた。
そして、ある年の冬、妻が病に倒れた。
晩年は肝臓を悪くして病院通いが続いていたので、お互いに別れの覚悟はできていた。私よりよほど健康に気をつけていた妻が、私より先に身体を壊すというのは、なんとも皮肉であった。
最後に見舞いに行ったとき、妻は「先にあの子のところに行くね」と弱々しい声でこぼした。どこかで自分の死期を悟っていたのかもしれない。だから”私”は彼女の言葉を否定することなく受け止め、「こっちもすぐに行くよ」と答えた。「うるさいからしばらく来なくていい」と返す彼女のしわがれた笑顔が、最後に私が見た生前の彼女の姿になった。
葬儀を終えた夜。久しぶりに家のリビングで堂々と吸うタバコは、煙がひどく目に染みて、その日からタバコは辞めた。
明くる年、今度は私が病に伏して入院することになった。奇しくも妻と同じ病室だった。
呼吸器系の疾患で鼻や口に管を通さなければ自力では呼吸も満足にできず、常に息苦しさを感じるようになっていた。医者に見せてもらった肺のレントゲン写真は真っ白で、タバコが原因なのは明白だった。
入院してからはベッドで寝たきりの日々がずっと続いたので、みるみる体力も落ち、杖や車椅子がなければ自力では歩くこともままならなくなっていった。
日々の楽しみはというと、病室の窓から見える景色を眺めることくらいだった。
十階の病室の窓からは、近くの河川敷を一望することができた。一見すると何の代わり映えもしない同じ風景だが、川の流れのようにゆっくりと、四季は移ろい変わっていく。それを日がな一日眺めることが、余命幾ばくという入院生活の中で唯一やすらぎを感じる時間だった。
病院での冬を越え、季節はもうじき桜の花が咲く頃になった。河川敷の桜並木はどれも蕾を目一杯につけ、花開くときを今か今かと待っているようだ。
私と妻はあの日の一件以来、花見に行ったことはない。毎年春になれば街中の至るところで桜の花を見かけるが、どこか避けてしまっていた。
だが、春の風に揺れてその桜並木を眺めていると、不思議なことに心のどこかで桜を見たいと思う気持ちがふつふつと湧いてきた。
今年の桜が咲いたら、この河川敷をゆっくり散歩してみるのもいいかもしれない。そんな風に考えながら春の陽気にまどろんだ。
そして……。
そして、長いようで短かったこの旅路は終わりのときが来たようだ。
無限に続くかに思われた廊下は行き止まりになっており、残すは最後の部屋だけになった。後ろを振り向けば、今まで辿ってきた日々が遥か遠くまで続いている。
少し名残惜しい気もしたが、観念したように最後の部屋のドアに手をかける。思った通り、ドアはからからと小さな音を立ててすんなりと開いた。
何もない部屋。
窓の外には、病室から見えたのと同じ景色が広がっていた。街も空も山も夕陽によって真っ赤に染め上げられ、黒々とした影は長く細く伸びている。窓という額縁に切り取られた絵画は、赤と黒のコントラストがどこか哀愁を感じさせるようだった。
窓から差し込む西日は、この部屋の中も同じように穏やかな夕焼け色に染めている。
そして部屋にはぽつんと一人、椅子に腰掛けて私を待つ人がいた。
「やあ、久しぶり」
しゃがれた声で私はそう声をかける。
「あら、もう来たの? もう少しゆっくりしていればよかったのに」
さして驚いた様子もなく、妻はやけに懐かしい声でそう答えた。
「思っていたより一人残されるっていうのはつらくてね」
「あなたのことだから、寂しくて毎日泣いてたんじゃない?」
「そりゃもう、毎晩枕は涙と鼻水でびっしょりだよ。毎日枕カバーを洗濯するのが面倒で、さっさとこっちに来てしまったよ」
「ふふっ、そんなことだろうと思った」
妻は楽しそうに口元を手で押さえてけらけらと笑っている。
その姿が若かったころの彼女とふと重なって見えた。
「……ここに来る途中に若かった頃のお前を見たけど、こうして見ると出会った頃と比べて随分と老けたなぁ」
私にとっては何気ない一言だったが、妻を不快にさせるには十分だったようで、いかにも不機嫌そうな声で反論してくる。
「あなただってすっかりおじいちゃんになったわ、手なんて晩酌のとき食べてた焼き鳥の皮みたいじゃない。肉なんかちっともなくて、ぶよぶよの皮しかないわ」
「それを言うならお前の肌だって、よく買いに行かされたドライフルーツにそっくりだ。しおれて水気がなくてしわだらけだ」
お互いむっとした顔で睨み合っていたが、すぐに笑い出した。こんなくだらないやりとりを、こうしてまたできることが嬉しかった。
ひとしきり笑い終えた後、静かな声で妻がぽつりと言った。
「もう……いいのね?」
その言葉の意味するところを、私はなんとなく察した。
だからこそ、ゆっくり、力強く頷いた。
「あぁ、もう十分だ」
目を深く閉じて、これまで辿ってきた自分自身の旅路を思い返してみる。
「成功した人生とは言い難いし、もっと良い人生にできたんじゃないかと思うと、私の人生なんて後悔することだらけだ。何より、あの子を失ったことは本当につらかったし、なんで自分だけがこんな悲しい思いをするんだろうって人生を嘆いたこともあった」
つらく悲しい、絶望のどん底とも言える日々が頭をよぎる。
同時に、そんな暗闇など比べ物にならないほどに、暖かな光に満ち溢れた日々を思い出す。
「だけど、お前とあの子に出会って、三人で一緒に過ごせた日々のことを思うと、後悔や悲しみなんてちっぽけなものだよ。……少なくことも今は、そう思える」
自分自身に語り聞かせるようにそう話す私を見て、妻は安心したように柔らかな笑みをこぼした。
「そう……私も同じよ」
彼女の言葉を聞いて私も嬉しかったが、先ほどまでの自分語りがなんだか気恥ずかしくなってきた。
恥じらいをごまかすように、妻に一つの提案をしてみた。
「そうだ、花見に行かないか?」
「お花見?」
驚いた顔をする妻をよそに、窓辺へと歩みながら話を続ける。
「ここから見える河川敷があるだろう、ほら、あそこの。あの桜並木がそろそろ咲き始めるんだ。満開になったらとびきり綺麗に咲くと思うんだよ」
妻は少しだけ何かを考えているようだったが、ねだるように見つめる私と目が合うとすぐに表情を崩した。
「お花見か……うん、いいわね。久しぶりに行きましょうか」
優しく微笑む妻の瞳は潤み、どこか遠くを眺めていた。
「せっかくだからあの子と一緒に行きましょう。自分の名前と同じだからって、あの子も大好きだったものね、桜」
「うん、それがいい。きっと楽しい花見になるよ」
窓の外はすっかり日が沈みかかっていた。広がりきった青い夜空には、ところどころ星たちが瞬き始めている。
あの河川敷の桜並木は街灯のあかりにぼんやりと淡く照らし出されていた。
その中で一粒の小さな桜の蕾が、ひっそりと幻想的に花開いていたのを、私は知ることはなかった。