016 女の役割
「―――」
執務室を後にして、最初に向かったのは倉庫でした。
掃除用具や雑品がきれいに整頓されている部屋に入ったわたしは、よろよろと窓際まで歩を進め、崩れ落ちました。
壁に背中を預けて、膝を抱えてうずくまる。
早く、仕事に戻らなくちゃいけないのに。
アリシアさんは意外とドジだから、きっと仕事を増やしているに違いないから。
だから、早く戻って助けてあげなきゃいけないのに、どうして――
「どうして、涙……止まらない、の……?」
ダムが決壊したかのように、溢れて涙が止まりません。
なんで、なんで。早く止まってよ意味わからない。わたしは、何も辛くない。悲しくなんてないから。
目をぎゅっとつぶって、呼吸を止めます。
瞼の裏で、葉巻の匂いと彼のやさしい瞳が蘇えりました。
彼は、わたしの人生を犯しました。
取り返しのつかないほどに壊した張本人で、伯爵家の娘という地位から奴隷に貶めた男。
最悪の誕生日プレゼントでした。
わたしは彼がきらいです。憎い。できるなら、この手で殺したいと思うほど。
それは、ほんとです。
この首輪がなければ、でも……。
『ユージ、おまえのギャング……俺が乗っ取るぞ』
あの日からはじまり、きょうまで。
ずっとわたしは、彼の成長を見届けてきました。
すぐそばで彼を見て、感じて、知ってしまったから。
あのひとは、悪党になりきれないやさしいひとなんだと。
とても暖かいひとなんだと。
変に結果が伴ってしまうせいで、周囲のひとは気づいていないだけなのです。
彼は、恐怖してる。怯えてる。何かから、逃げるように生きてます。
それらを振り払うために、彼は口癖のように呟く。
「俺は無慙無愧――恥も外聞もない。あの日、すべてを捨てた」
「え……?」
顔を上げると、すぐそこに彼がいました。
膝をついて、わたしのあごに伝う涙を拭き取ると、困ったように笑って、
「俺は、後悔しない。選択を間違えてなんかない。俺は、選んだんだ。シャーロット・ロールイス……おまえを手に入れるために、俺はあの日――馬車から連れ出したんだ」
そう言ってわたしの体を抱き寄せると、彼は触れるだけのキスをしました。
はじめて彼を、こんな間近で目にしました。
鼻が触れ合う距離で、彼の瞳がわたしのなかを覗き込みます。
「おまえがどう思ってるのかは、正直わからない。憎んでるかもしれないし、嫌ってるのかもしれないし、疎んでいるのかもしれない。もしかしたら、全部だってことも」
そんなこと、ないです。
確かにあなたのことは憎んでるし殺したいとも思ってます。
けど、それと同等に――わたしは、あなたに触れたいと感じてて。
「だが、考えるのはもうやめた。俺らしくない。シャロに嫌われていようが他に好きなひとがいようが構わない。——俺は、おまえが欲しい」
……ずるい。そんなの、ずるいです。
ライラさんやマナフさんというひとがいるのに。
来週には、お見合いの予定が入ってるのに。
そんな男たらしの最低クズ野郎が相手なのに、わたしは、
「嫌とは言わせない。俺が決めたんだ。なら従ってもらうぞ……シャーロット・ロールイス」
逃げられないように抱きしめられ、目線も固定されて、もうどこにも逃げ場のないわたしは、
「……はい。シリル様……」
頷くことしかできませんでした。
****
「……ん? どしたの~?」
「あ、ぅえ、ら、ライラ様……!?」
ぐうぜんその廊下を通ったライラは、第三倉庫を覗き見て顔を赤くしているメイドの姿を発見した。
声をかけると、大袈裟に狼狽えて目をパチパチさせている。
「なに見てたのよー、もしかしてだれかそこでエッチなことでもしてんのかなー?」
「――ち、違いますその、えと――」
「私にもみーせーてっ! どれどれ〜?」
うっすらとひらかれたドアから中の様子を伺うと、そこには――
「――おい」
「ひぅわぁッ!?」
隙間の向こう、ライラの目線に合わせるようにして黒い瞳が覗き込んでいた。
思わず変な声をあげて後退るライラ。それが主君であるユウリであることに気がついたライラは、引き攣った顔から頬をだらしなく緩めさせた。
そして気がつくと、先に覗き込んでいたメイドはどこかへ消え去っていた。曲がり角で、ひらりとスカートがしっぽのように揺れて消える。
「覗き見はよくないぞ、ライラ」
「あ、えへ、すみませーん。でもユウリさん、こんなところでなにし……て……ぇぇ」
「……っ……―――」
ユウリに続いて、顔を赤くしたシャーロットが俯きながら出てきた。
いくぶんか、距離が近い。気のせいではない。肩が触れ合う距離で、遠くから見れば寄り添っているようにみえてもおかしくはない距離感だ。
ユウリが執務室にシャーロットを連れていった時よりも、ふたりの仲が深まったことを確認できた。
「え〜と……お疲れ様でした?」
「~~~っ! な、何もしていませんっ」
倉庫で行われたであろう行為を妄想して、いくばくか唇を尖らせたライラは、戯けるように笑った。
****
「――そうですか。ふたりが……べつに構いませんわ。私が勧めたようなものですし、彼の妻たるもの、心は大きくないと」
自室のバルコニー。
お気に入りの椅子に腰掛け、夜空を見上げながらハーブティを啜る。
幼い頃から染み付いた習慣は、この屋敷に来てからも欠かさずに行われていた。
一種の儀式めいたもの。
一日の締めを、愛しい男の隣で終わらせるのもまた一興だが、夜風に当たりながら紅茶を嗜むのもまた風情があった。
「まあ、女と飲むワインも嫌いではありませんが。今のあなたは控えていますし、ひとりで酔うのはあまりに不恰好ですから。一応、取り寄せましたの。『グレート・アイザック』……ふたりで隠れて、はじめて飲んだワイン」
つい数年前のことを懐かしむように目を細めて、安眠作用のあるハーブティで唇を濡らす。
うっすらとひらいた亀裂から、鈴を転がしたかのような響きが次いででた。
「あなたの言いたいことはわかっています。他に女がいることを許せないのでしょう?
たったひとり、私だけを愛して欲しい。ええ、それは女たるもの誰だって想うことです。しかし、女にも女の思想があるように、男には男の矜持があるのですよ」
「納得できませんか?」。対面の彼女が不服そうに眉を寄せたので、主宰の女は薄く瞼を閉じた。「では女の役割を説くところからはじめましょう」
「仮に、愛しい殿方が、己の父を殺しその地位を奪いたいと望んでいたとしましょう。そこで女は、どう在るべきかわかりますか?」
問いかけに、同席者はしばし思考してから、首を振った。
単純な答えではないのだろう。たとえば彼と共に戦う、彼の応援をする、彼を焚き付ける……どれも納得のいく答えではなく、また彼女が考えそうなことでもなかった。
「そう難しいことではありません。女の役割とはすなわち、コンディションの管理です」
口につけたティーカップを受皿に置き、夜風になびく銀髪を梳く。
「願望が正しいか否かなんて、女の考えることではありません。それは男が自問自答の末に結果を出すもの。女が口を挟むことではありません。——女はただ、男の生存率を上げるために、管理する……それが役割」
「たとえば、夜伽だってそうです」。蠱惑に濡れた唇に指を這わせながら、言った。「一度味わった快楽からは、そう簡単に抜け出せないのは身をもって知っているでしょう?」
「性欲はとても強い欲求。転じて、それが生存率を上げることになる。婚約者を抱くために戦場から生きて帰ってきた、なんてよく物語にありがちじゃないですか」
その他にも、と彼女は言葉を続けた。
「資金調達、武力提供と、ここは上流階級の特権ですが、彼の生存率に直結します。ふふ、だからあなたを送り込んだのですよ」
無言のまま、先ほどから一声も発さない同席者。
まるで額縁におさめられた絵画に話しかけているような気分だったが、彼女はすっかり慣れていた。
「とまあ、すべて持論です。鵜呑みにしないでくださいね。どの役割を演じるのかは、結局のところ運命です。共に肩を並べて戦う戦乙女もいれば、日常を司どる象徴もいます。演じようと思って演じられるものじゃないですから。私のように」
「まだまだ話したりませんが、ここでおひらきにしましょう」。最後の一口を飲み干すと、主宰の女はお淑やかに席を立った。「私、これからユウリ様に呼ばれてますの」
席を立たず、不服そうに女を見遣る同席者。
その姿を見て、女は微笑んだ。
「本当に、驚きました。演技ではなく、そんな女らしい表情を作れるようになるなんて……好きなのですね。ユウリ様のこと。そして——」
子の成長を喜ぶ母親のように笑みを湛えて、彼女は空を見上げた。
星が鮮明に夜を映し出していた。
女は、流れる白銀の髪を優しく抑えて、美しく明滅する星々の輝きを凋落させるかのごとく言った。
「正室のポストを担う私を、疎ましく思いはじめてる」
地が裂けるように、海が割れるように。
たった今、ふたりの関係性におおきな亀裂が入った。
それでも変わらず無言の同伴者に背を向けて、銀色のダークエルフは恍惚と咲う。
「とても素敵なことですよ。人間味があって、とてもかーいいです」
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