中曽根元総理の葬儀への政権の動きに
一番世代的に長期政権の代表格として印象に残る政治家である中曽根氏。
NTTやJRの民営化など現在に及ぼしている影響はかなり大きい。
そしてつい最近まで議員を辞めてからも政治活動を行っていたため首相時代を知らない人も名前を聞いたことがあるのではないだろうか。
今回問題に感じたのは故人の葬儀についての動きだ。
一つ目は自民党との合同葬に国として一億円近い公金を支出することである。
過去、首相経験者の葬儀でもすべてがその対象になったわけでもないそしてコロナによる人数や規模の縮小要素がある中での最高額である。
このような時期に国費を出す必要があるのだろうか。
また、故人がそれを求るのだろうか。今となっては確認できないとしてもその遺志を知るであろう遺族は求めているのだろうか。
ただの自民党、もしくは政権の自己満足や自分たちのときにもしてほしいからの前例踏襲ではないかと邪推さえしてしまう。
コロナ下であることも併せ故人がどのように思っているのか知りたくなる問題である。
二つ目はその葬儀時に各大学へ文科省が弔旗を出すように要請という名の書類を出したことである。
こちらはの日本人の自粛に対するスタンスを語るまでもなく大学へその所管官庁が要請するという時点でほぼ強制とみられ悪質の度合いが高い。
官房長官などは強制でも何でもないというがこのコロナで自粛要請という言葉を多用している人間が言う言葉としてこれほど胡散臭く聞こえるものはない。
教育基本法などによる特定の政党への支持や反対に絡む問題に介入しないという考えは問題ないとぶった切られたようだ。
この二点だけではないだろうが現政権だけではなく、これまでの政権でもだったのだろうが自分たちの行動への甘い意識を感じずにはいられない。
国民にはまず自助を求め、いよいよほぼ住処さえ失い無一文になる段階になってからの国の公助を一番最後にするよう語るような政治家たちが自分たちの歳費や身分保障について判断したり自分たちの大先輩の葬儀に税金からの支出を一番に決める。
人の褌で相撲を取るとはこのことではないだろうか。
総理や官房長官たちは自分が国の金を出してやったからこんなに立派な葬儀になったんだと故人や遺族へ恩に着せ身内の議員にはその力を誇るんだろうか。
額は違えどコロナ下の生活に困る国民への給付金の支出は無駄だと否定的な一方、アベノマスクにしてもこの葬儀への支出もまったく問題にならないというあたりが度し難く感じる。
前総理のスローガン、美しい国とは議員がやりたい放題国を食いつぶした先にあるのだろうか。