学術会議の任命問題から組織を行革対象に
さて、この動きわかりやすく政府の争点逸らしだということは言うまでもないだろう。
こんな当たり前のことは置いておいて特に学術会議に知り合いもいない私にとって一番に思うのが、菅総理の官房長官から総理へ横滑りをするという話が現実的になりだした時に抱いた懸念が現実になったということに尽きる。
分かりやすく菅総理の政治家としての説明責任というものについてだ、官房長官時、基本的に失言をせず、余計なことを言わないことで官房長官の広告塔としての能力を見せた(革新的なことを始めたりしたわけでなく唯々安倍政権の不祥事追及などをうまくかわしてきたあだけとも言えるが)彼は国民の代表をしているうえで必須のその国民への説明というものをしていることをほぼみたことがない。
少なくとも私にとっては彼が推薦から意図的に外した人間がいたのが問題なのではない。
その理由を求められたときざっくりとした言葉で煙に巻こうとし説明しなかったことだ。
国民の代表者として国会に出たうえでそこから選ばれ総理大臣になった以上自分のその身分を担保する国民への説明を行わない一点において大きな問題となる。
ましてその理由に個人情報など人事にかかわるからというのは説明でも何でもない。
それこそ権力は必要となれば税務情報の閲覧や犯罪調査などで個人のプライバシーを踏み越えることはあるし一部裁判所の許可などを省略するケースも法案とされるケースもあったと思う。
結局の所国民の知る権利や行政を監視をする。という公益面で必要か否かのハードルを越えるかが問題なのだから。
さて、結局の所、新政権の組閣から早い段階で菅総理の政治家としての問題点が浮かび上がってきたのではないかと思っている。
私の経験則として政治家が説明をしなくなった時、政治家でなくなったと考える。
パーティーなどで無駄話をして笑わせるトークのうまい芸人を求めたりしているわけではないのだから。
政治家はまずは自分の言葉でわかるように説明し、必要ならしっかり責任を取る存在であってほしい。