異界の迷子と精霊3「エルフの弓」
「おっはよーう!リクト、昨夜はよく眠れた?」
スーシアは朝から元気いっぱいのようだ。
「うん。スーシア、色々ありがとう」
「フフ、お礼はもう充分に聞いたよ。
朝食が終わったらみんなに紹介するね!」
昨夜泊めて貰ったこの守屋と呼ばれる小屋は、広場に近いところに幾つか建っているうちのひとつで、里の守備隊の住まいになっているらしい。
食事を持って来てくれた里の女性はナタリーと言い、守備隊の食事などの世話をしている。寮母のようなものか。彼女は屈託なく色んな話をしてくれた。現れたばかりの«精霊の迷い人»はこの世界の知識を持っていないから、分からない事は遠慮なく聞きなさい、と。
スーシアの言うみんなとは守備隊の事だ。守屋に寝起きする以上、リクトの所属は守備隊というわけだ。
«迷い人»はただの人間である。エルフは掟に従って保護するが、基礎知識を教え、«迷い人»が自分で生きていくための方法を探す手伝いをするのであって、一方的に奉仕するものではない。そのため里にいる間は里の仕事をする。昨夜教えられた事のひとつである。
なるほど。そりゃそうだ。働かざる者食うべからずである。突然見知らぬ森の中に放り出されていた身としてはそれだって凄くありがたい。あと言葉が通じるのもありがたい。あと食事おいしい。
もうこれが夢であるという夢を見るのはやめることにした。
美しい湖のほとりにエルフたちが居た。湖は大樹のすぐ側にあったのだが、昨夜は暗いやら怖…い、いや、とにかくスーシアについて行くのに必死で気が付かなかったようだ。彼らが守備隊というわけだろう、各々に弓や杖、細身の剣などを持っている。
「連れて来たよー!」
「うむ…この者がスーシアの見付けた«迷い人»か」
一歩前へ出たのは美しい女性剣士だ。もっともエルフは皆そろって美しいのだが。
「私はグリスト。里の守備を仰せつかっている」
「とは言えこの里に攻め込んで来るような輩は滅多にいない。我らは主に結界を保持する見回りをしながら、狩りなどをして里の暮らしの一助とする。森で迷った冒険者などを手助けする事もある」
昨夜見たクロディーヌ様と同じくらいだろうか、グリストと名乗った美しい女性剣士がリクトが頷くのを見て続ける。
「右の大きいのがダグワット、そこの3人が右からタミル、サットス、アリシャ、こっちのちっこい双子がノーツとニーナだ」
「もーう、私が紹介するはずだったのにー」
スーシアがむくれたが、慣れているのかグリストは平然としている。
「いま里にいる守備隊はこれで全部よ。グリストが紹介した7人と私が班長を務めていて、全部で、あ、あとリクトを入れて…」
計算が苦手なのか、子どものように指を折り始めたスーシアを華麗にスルーしてグリストがリクトを見た。
「リクト…です。あの、俺は何をすれば…?」
「うむ。リクト、お前に何が出来るか、出来ないか。これからおいおい分かってくるだろう。それまでは守備隊の誰かと共に行動し、見回りなどの任に当たってもらう。守備隊見習いだな」
「わかりました。グリストさん、皆さんもよろしくお願いします!」
朝のひとときは訓練に当てられているようだ。リクトは貸してもらったエルフ用の弓を構えて緊張していた。エルフたちは訓練の手を止めてリクトを見ている。得物を選べと言われて迷わず弓を選んだが、名手が多そうなエルフたちの注目を浴びて微かに手が震えた。
番えているのは訓練用の安全な矢だ。慣れない弓で自信はないが、思わぬ方向へ飛んでも大丈夫。リクトは呼吸を整えて的に集中した。
「………。」
的を逸れた矢は後方の木に当たって落ちる。グリストが黙って次の矢を差し出す。そうしてリクトが放った5本の矢はどれも的を僅かに外し、ずっと後方へ落ちていた。
「………。」
沈黙が流れる。あまりの下手さに呆れられたか…?とスーシアを見ると、スーシアは目を輝かせていた。
「すごいよリクト!弓の経験が?」
「いやスーシア、でも全部外したし」
弓道の経験があるリクトは少しだけあった自信を砕かれようとしていた。
「…リクトよ、エルフの弓は特別なものだ。普通の人間なら前へ飛ばす事さえ出来んだろう。的には当たらなかったがあの飛距離…お前……」
そう説明したグリストを筆頭に守備隊の面々はすこし唖然としている。あ、凄いことなんですね。良かった。
「今日の訓練はここまで。各々見回りに出るように。アリシャ、リクトを連れて行ってくれ」