第96話 作戦会議と新事実
「さて。これから魔国に乗り込むわけだが……いくつか対策がある」
「それはそうよね。無防備に行くわけにはいかないもの」
彼はまず、自分の荷物から何かブローチのようなものを取り出す。ちゃんと人数分。藍色の、薔薇の形をした魔法石が台座にはまっていて、その周りには、葉脈を模した繊細なレースのような彫金細工の装飾。
「まず、幻影魔法の魔道具だ。これを使えば」
そう言いながら、ひとつを自分の胸元につける。
すると――彼の姿が、一気に変わっていく。
魔法石から、ツタのように黒い線が走り、身体を覆う。それはやがて、彼の皮膚に纏わり付き、まるでもともとそこにあったかのように、幾何学模様を刻んだ。いつの間にやら、彼の美しい碧眼は、黒白眼に変わっている。
「これって……魔族の?」
「その通りだ。魔族特有の紋様を皮膚の上に出現させて、変装するってわけだ。同時に、魔族っぽい魔力を体の周りに纏わせる。人間と魔族では魔力の質が違うらしいから、そこでバレるリスクを減らすためにな。……ああ、もちろん無害だし、実際にスキルとかを発動するときには普段通りの魔力を使うことになる。あくまで偽装だ」
「隙なしじゃん。さすが」
「卒業してからしばらく、親父の手伝いをさせられててな。まあ、魔道具の知識がかなりついたのでよかった」
ブローチがメンバー全員に配られ、みんなが姿を変えた。
よく馴染んだ姿とは随分と異なり、一気に禍々しくなった見かけを指さしてお互い笑い合う。けれど、やはり確かに面影がある。だから、誰が誰だかわからないということにはならなかった。
「それから、もうひとつ。【テレポート】のスキルを習得しておいた。さっき練習したから、多分大丈夫だと思う」
これは、ざっくり言えば瞬間移動のスキル。ユーリの習熟度であれば、彼自身のみならず、彼と行動を共にする私たちも一緒に、確実な場所移動が可能なのだという。ただし、行き先として指定できるのは、スキルを使う人が実際に行ったことのある場所に限る。これは、この魔法の原理として仕方がないらしい。逆に、その条件さえ満たせば、自在に転移ができる。
つまり、魔国の真ん中から人間界に移動するのは至って簡単。しかし、人間界から魔国に行く場合、行ける場所はかなり限定されることになる。
そこで、ユーリが考えた行動パターン。
戦うためには、夜寝る時間や食事の時間が必要だ。だが、こういった時はどうしても無防備になる。だから、夜はヴァイリア王国にいるが、朝起きてすぐ、全員で魔国に転移する。それから、日中にその国の中を歩いて、行動範囲を広げていく。日が暮れる時にまた人間界に戻る。しっかり休息をとり、朝になったら、前日の日暮れにいた場所に再び転移、そうして旅の続きを始める――というわけだ。
「さっき、国境の黒い森の麓まで歩いてきた。だから、一度試してみようと思う」
彼は、静かに目を閉じ。
「【テレポート】」
呪文の詠唱ではなく、ただひとこと、短くそう唱えた。
次の刹那。
私の視界は、ぐにゃりと曲がる。押しつぶされそうな心地がして、思わず目を閉じる。
やがて、ゆっくりと目を開けると……
「わっ……本当に森だ」
「ああ。全員居るか?」
「見ての通り、揃ってるわよ」
転移前の立ち位置そのまま、ユーリ、ステラ、セレーナ、ソフィア、そしてミーシャ……の、魔族風の姿が見えた。
「じゃあ次に、さっきの場所に戻ろう」
「了解!」
「【テレポート】」
――……
「問題なさそう……だな。不調とか、特にないか?」
「多分大丈夫……です」
「私も大丈夫!」
これで、変装と【テレポート】が使えることがわかった。
ちなみに、セレーナはまだリヒトスタインの生徒だ。それゆえ、日曜日にだけ私たちに加わることになる。それ以外は、ステラから様子を聞き、学校の先生方に報告するのだとか。
「じゃあ、明日からよろしく頼む。ああ、人間界で行動するときはそのバッジを外さないと危ないから、注意な」
「ラジャー! まあ、そんじょそこらの冒険者に攻撃されたってあたしたちは大丈夫だろうけどね」
「いや、そういう問題じゃないでしょ……」
みんなが、いつもの人間の姿に戻ってから。
レストランに集まり、再びお喋りで盛り上がった。
そして、話題は、あの何か裏がありそうな勇者パーティの話に。
「うぅ、ルイ様はどこに居るのかしら……」
「えっ、ミーシャ先輩、ルイ様って呼んでるんですか? あの色男な先輩を?」
「だってあの人もあの人でかっこいいんだもん」
「はあ……ほんっと、あんたは面食いなミーハーなんだから」
呆れたようにこぼすステラ。私は、あの開戦の時と同じく、この雰囲気についていけていない。
「……ね、ねえ、そんな呑気なこと、言ってられるの?」
「こればっかりは言ってられないんだけどさ、言っとかなきゃやってらんないわよ。よくわからないままあれこれ言っても仕方ないし。……ただ」
そこまで言って、彼女は何か躊躇するような顔をする。
「ヘレナから聞いたんだけど、あのチャラ男、実はかなり苦労してたらしくって。ヘレナも苦労してるから、勇者パーティでよく相談に乗ってたみたいなんだけどさ。だから、あのひとが失踪する気持ちはわかる気がするんだよね……」
☆
時は遡って。今の私たちの学年の人たちが中等学校を卒業するかどうかぐらいの頃。聞いた話では、ちょうどこの頃から少しずつ、ヴィレム王の様子がおかしくなり始めていたという。おそらくは魔国の呪い。彼は、目の前の利益、特に領土拡大に盲目になりつつあった。
グローリア帝国より先に、南側の小国、セクリア王国がターゲットになった。
そこは、宗教国家。コグニス様と祖を同じくする女神、セークリス様を信仰する国である。そこへ、ヴァイリアから通達が入る。
『貴国の第二王女、ユリア・ツー・セクリアと、我が国の第二王子、ウィリアム・フォン・ヴァイリアとの婚約を求める。拒否した場合、武力行使もあり得る』
大雑把には、このような内容だった。
ユリアとウィリアムは、それぞれ聖女と賢者の力を発現させていた。だから、来たる対魔国戦を考えれば、確かに理にかなった婚約。その上、この大陸一の大国であるヴァイリアから、ちっぽけなセクリアへと攻め込まれて仕舞えば、結末は明らかであった。この国は、自国を守るため、ユリアを送り出すほかなかった。彼女は、身分を隠しながら、ウィリアムの通うリヒトスタインで共同生活を始めたのだ。
魔力量や武術の技量など、限られた観点、特に冒険者としての資質で見れば、ユーリやソフィア、ミーシャには劣るかもしれない。しかし、そのしとやかなさま、品業と容姿、豊かな教養。あらゆる点を考慮すれば、申し分なく、リヒトスタインで一番の優等生といえた。一国の王女の名に恥じぬ、才色兼備な女性である。
そんな完璧な少女には、ひとり、心から想いを寄せる少年がいた。そうして、その少年もまた、ユリアに同じ想いを抱いていただろう。
それが、ルイであった。
ルイは、本名をルイ・ド・サンクトアという。男爵家でありながら、家族ぐるみで王家と関わってきた家の生まれであるため、重用されていたのだ。ユリアの近衛騎士として、彼女を守ること、ただそれだけを生まれながらに教育されてきた。彼らは、物心ついた頃から一緒にいた。
ずっと、ふたりは幼馴染であった。しかし、いつしか、ユリアの心のうちに特別な感情が芽生えていた。幾度となく、無謀なことをして体を張ってまで命を救ってくれた少年に対して。それは、年を経て、少女と少年が女と男になりゆくにつれ、強くなっていく。
そんな中への、政略結婚の命令。その上、セークリス教では、重婚が認められていない。
ユリアは国民を想って、唇を噛みながらその命令を呑んだ。
「ユリア様。このルイを、騎士としてお側においてはくださいませぬか」
「ルイ……わたくしだって、そうしたいわ」
「……不躾なことを申しまして、失礼しました。ユリア様。どうか、あちらの国でも、ご無事で……」
涙を流しながら、手を握りあうふたり。
そのまま、ふたりは離れ離れになってしまった。





