第93話 新しい生活
クレンの手配してくれた羽馬車に乗って、新居と初の対面に臨んだ。
しかし、実際にその場所へ来てみると。
「あれ……既視感が……」
そこは、とても神秘的な場所だった。山の深く、といっても、小径にかけられた魔法のおかげで、重い荷物を持っていても何の苦もなく駆け上がれる。ここは王国の北の端。ユーリとの最後のデートで訪れた場所とほど近いところだった。既視感はそのためだろうか。
まだ肌寒さの残る気候のはずなのに、暖かい生命感に満ちた緑が、視界の限りを柔らかく包んでいて、春を実感させる。桜の木だろうか、所々、紅色の堅く結ばれた蕾が見えた。その光景を目にして、ようやく既視感の真の正体に気づいた。この場所は、日本の、リン様の社のある森とよく似ているのだ。
駆け回る小動物や、水のせせらぎによる、生命のハーモニー。
さらに小径を進んで、故郷の森であれば神社の本殿が見えるはずの位置に、私の……いや、私とリン様と精霊たちの、新しい家があった。この異世界は全体的に中世ヨーロッパ風だというのに、この家はやけに日本風だった。中学の修学旅行で見学した銀閣の書院造を思い出す。風通しも、日当たりも、開放感も抜群。それに、「和」の雰囲気がとても気に入った。苔むした岩が守る静かな池に、ししおどし。砂に模様が描かれた庭園。今は緑色だけれど、もみじの木も生えている。
しかし、この家の魅力は、それだけではない。
クレンが「魔道具のサービスも充実している」と言っていたが、見かけによらず、とてもハイテクなのだ。
風魔法、火魔法、水魔法に氷魔法。これらを絶妙に組み合わせた魔道具により、空調は完璧。風呂も、毎日の気温と私の体調を検知して最適の温度で沸かしてくれる。照明も周りの明るさに合わせて最適の明るさになってくれる。壁は快適に暮らせる最小限にとどめられていたけれど、雷魔法などの防犯も充実しているし、光魔法で自在に目隠しができる。防虫・防獣もまた然り。洗濯も自動。掃除も、家具全体にかけられた魔法のベールによって菌も汚れも防がれているから不要なのだという。……片づけだけは、自分でせねばならないが。
食材は、街に降りればすぐに手に入る。ここは山奥だが、小径にかけられた魔法のおかげでほとんど自動的に昇降できるようなものだったし、麓には鈴があって、いつでも羽馬車を召喚できた。
この家の最寄り、北の街にもギルドがある。第二学年のころ通っていた本部に比べれば小さいけれど。だから、気が向けば冒険者活動もできた。今の私には光魔法も使えるし、魔物を倒せないわけではない。しかし、それはしないだろう。
だって、ユーリがいないから。
クレンは、ユーリと連絡がつかないと言っていた。今、彼はどこに居て、どうしているだろうか。荷解きがあらかた済んでひと段落したとき、そればかりが思い出された。
☆
それからおよそ1ヶ月の日々が、静かに過ぎ去った。
リン様とおしゃべりしたり、街に繰り出してショッピングを楽しんだり。また、周りが森なので、日替わりで美しい色とりどりの花を見せてくれた。いや、四方八方、景色はいつでも絶景で、しかも1日として同じ顔を魅せることはなかった。
季節はいよいよ春の盛りになろうとしていた。和やかな陽気が辺りを照らしている。家の前の桜は、いよいよ萌え出ていた。
知り合いには会わなかったけれど、あの謹慎期間と比べればずっと穏やかで自由。何を背負うことも、何に縛られることもなく、ひたすら自由を謳歌する生活。気ままに歩き回り、気まぐれで獣と追いかけっこしながら、日々が過ぎていく。今までの重圧の反動もあって、いくら時間があっても飽きることはなかった。国王の前で私が所望した「平穏な生活」は、しっかりと守られていた。
そんなときだった。
私はふと、新しい道を開拓してみようと思い立ち、今まで通ったことのない細道を歩いていた。
途中、何かを感じ、足の進みが早くなる。
どんどん道は細くなるが、まだ途切れない。ふと不安になってリン様の方を見たが、彼女も同じ面持ちをしていた。
――と。急に、視界が開ける。
それに驚きながら顔をあげ、まもなく目に飛び込んできたもの。
「これ、って……」
それは、以前ユーリに連れられてやってきた、校舎裏の祭壇と同じものだった。
黄金色の光に包まれた宝玉が、ぽっかりとひらけた空間の真ん中に鎮座していたのだ。
私は、その祭壇の前に跪いた。ほとんど無意識のうちに、体がそう動いていた。
――そこにいるのは、コグニス様なの?
そう、心の中で呟いた……次の刹那。
《ハルカ! ハルカじゃない!!》
「コグニス様!!」
目の前に、宝玉と同じ、陽光のような黄金色を纏った艶やかな女性が立っていたのである。たたっと走り寄り、実体のない光にまた抱きつく。
「すっごく久しぶり!」
《久しぶりねえ! まさかまた会えるなんて……。例の戦争の時、上から見てたわよ。ほんと、すごい活躍だったわね! すっかり英雄じゃない!》
「え、英雄なんて、そんな……。ねえ、コグニス様は、ずっとどうしてたの? 私が謹慎処分くらってから」
《そうだったね。えーっと、どこから話そうかな》
魔力規制のせいで、私と直接喋ることができなくなってからは、リン様から私の様子を聞いていたらしい。随分つらかっただろうけどよく耐えたね、と言ってくれた。それで、リン様と手分けしながら王国や帝国の動向を見ていた。私がリン様から聞いていた情報のうち、半分ぐらいはコグニス様が仕入れたものだったようだ。
人間界で戦争が勃発すれば、そこを統治する神は全ての人間の動きを把握せねばならない。これは、神々の間で決められたルールだった。ひとりひとり残らず観察するうち、リヒトスタインのメンバーの危機に気づく。なんとかしなきゃ、と思ううちに、私の【精霊の加護】が発動し……そこからは状況の変化が目まぐるしく、追いかけるのが必死だったという。
《戦争があったら、報告書書いて主に提出しなきゃいけないのよね。王国と帝国が仲悪いの、仕事増えるから勘弁してくれって常々思ってたんだけど……やっと昨日、書き上げて》
「ええっ、そんなにかかるの?」
《今回大規模だったから、時間かかっちゃってね。全部の人間の行動をひとりひとり報告しなきゃいけなくって》
「うわあ……」
神々の世界、案外ブラックなのかも知れない。
《正直、そう思っちゃうわよ。……ああ、それでね。ずっと忙しかったし、機会を逃しちゃってたんだけど……ハルカに、渡さなきゃいけないものがあって》
「……え? 渡しもの?」
私が首を傾げていると。祭壇の宝玉のてっぺんが、ひときわ強く鋭い光を放つ。それは、やがて黄金色の光球として分離し、ふわりと浮き上がり――やがて、私の手のひらの上に乗った。
そうして、光が収束した瞬間。私は思わず「あ!」と声を上げることになる。
「これっ……! え? 何で?!」
見間違えようもない。
あの指輪。
私の手のひらの上には、確かに、ユーリからもらった指輪が乗っていたのだ。
《ほら、裁判の時さ、雷魔法で指輪を壊そうとした奴いたじゃん? あたし、その魔法の光に偽装しながら、指輪を4次元空間の中に隠したのよ》
「あっ……!」
謎が解けた。
あの時、私の手は金色の光に包まれた。暖かい感覚とともに。それはあの男の魔法ではなくて、コグニス様の力だったのか。彼女がバレないように指輪を取り上げたから、壊れることもなく、私の目の前からは跡形もなく消えたのだ。
「ありがとう……ありがとう……!」
《なんのなんの。いつもお世話になってんだから、これぐらいするわよ》
ああ、本当に幸せ者だ。
私は、指輪を左手の薬指にはめた。
ぼんやりと、台座に載せられた薄桃色の魔法石が光を放つ。
もう二度と、放すまい。そう心に決める。
つぅ、とその宝石を指でなぞる。この感覚も、懐かしく、愛おしい。
それから、ほんの十数秒ほどしか経たないうちに。
『……もしもし?』
「ユーリ?」
『ハルカ……? ハルカ、なのかっ……?!』
「うん。ユーリっ……私。私だよ!」
ユーリの声が聞こえた。その喜びを噛み締めながら、暖かい涙を流す。
季節は春。薄紅の花びらが、祝福するように私を包む。
互いに懐かしみ、無事を祝い、いくらかの言葉を交わしてから。
『ハルカ。今、どこに居る?』
「いま? 王国の北の端っこだよ。そこに新しく住み始めたの」
『そうなのか。俺はいま、実家で親父を手伝ってるが……もうすぐ、自分の仕事は終わって、また冒険者活動を再開できそうなんだ』
「わあ、そうなんだ! よかったぁ……じゃあ、また一緒に戦おうよ!」
『それも含めて、ハルカに相談したいことがあってな』
「相談? あ、じゃあさ、明日にでも会お!」
『それがいい。……ああ……やっと、ハルカと会える……!』
ユーリの心底嬉しそうな声を聞いて、私まで嬉しくなった。私と会えることを、こんなに喜んでくれる人がいるなんて。明日が楽しみで仕方がない。ここでの生活はずっと楽しかったけれど、この感覚はずいぶんと久しぶりだ。
――私はつゆほども知らなかった。これが、新たな旅の幕開けであったとは。
ついに第二章が完結しました!!!
ここまでお付き合いくださった皆様、本当に感謝感激です!
さて、前にも後書きで言いましたが……まだまだハルカの物語は続いていきます。第三章がいよいよ幕を開けます。少しでも、いいなとか、続きが気になるとか、思ってくださった方は、ブクマをよろしくお願いいたします……!