第92話 ふるさとの街
リヒトスタインのある街に帰ってきた。
なんて懐かしい。もう何ヶ月ぶりだろうか。
重い鞄を両手で持って、右へ左へ揺れながら石畳の道を歩く。日本の故郷とはもちろん違うけれど、ここはやはり、ふるさとともいうべき親しみに満ちている。
周りを精霊たちが取り囲み、隣にはリン様が並んで歩いている。勝手知ったる道を行き、向かう先はもちろん――
「はあ、着いた!」
――『リヒトスタイン魔法科学校』という文字が刻まれた校門の前に立ち、一息つく。
みんなに会えるかな。でも事前連絡もなしに来てしまったし、難しいかもしれない。今日の曜日や日付も忘れてしまった。けれど、職員室に行けば、クレンに会えるだろうか。
半分ばかりの期待と共に、私はよく知った通路を渡って職員室へと向かった。
2回ノック。中から人の声、軽い足音。
その声の主は、扉を開け、私の姿を認めるや否や「あっ!!」と小さく声を上げる。そのまま、慌てたように「ちょっと待ってね」と言い残して、部屋の中へ引き返してしまった。
数十秒ののち。さっきよりも激しい足音が近づいてくる。
さっきよりも荒っぽく、扉が開かれ。
「ハルカ!」
「クレン!」
「ハルカ? ほんとにハルカか!?」
「はい! クレンの買ってくれた服、着てるじゃないですか」
思い切り顔を綻ばせながらそう言うと、その言葉が終わるかどうかぐらいの時に抱きしめられた。
背の高い男の大人なのでちょっと苦しかったけれど……それをゆうに凌ぐ勢いで、嬉しさと、安堵感が溢れてくる。
「おお、無事だったんだな……」
「クレンこそ。こうしてまた会えて、嬉しいです……!」
「それはこっちのセリフだ。……ああ、こんなことしてるとユーリに怒られちまう」
「え?!」
彼は茶目っけたっぷりの声とともに、笑いながら急いで私から離れた。まさかクレンが私たちの関係を知っていたなんて。まあ、彼なら全ての生徒のことを把握していそうだから、おかしくはないか。
「いやあ、それにしてもよかった。またハルカの元気な顔が見れて」
「本当です。あと、相変わらずって様子ですね、何よりです」
「まあな。お前こそな。けどやっぱり、ハルカの顔つきがちょっと大人になった気がするぞ」
「そんなことあります? けどそっか、色々ありましたからねえ……」
「そうだ、ゆっくり話聞かせてくれよ。流石にもう戦争も終わったし、タブーもないだろう」
「はい! ……あれ、授業はないんですか?」
「……ああ、そのことなんだが」
どうやら、戦争が終わったばかりという事で、授業は全て2週間ばかり休みなのだそうだ。だから大体の生徒は帰省しているという。それでなくとも、第三学年はもう卒業式を迎えたらしい。例年の式より少しばかり早く、開戦の直前に。
「えっ、もうそんな時期ですか?!」
「そうだ。いつも3月頭に卒業だが、今年は戦争がどれほど続くか分からなかったからな……。犠牲がどれほど出るかも分からない、それにもう学生じゃなくていっぱしの大人として戦えってことで、戦争前に式を済ませておいた。ハルカをないがしろにするようで心苦しかったが……」
なるほど。どうりで、ここに来るまでの道がやけにひっそりとしていたわけだ。たまに顔見知りの先生とすれ違って「おかえりなさい」と言ってくれたが、生徒には一度も会わなかった。――ああ、つまり、ここじゃユーリに会えないのか……途端に寂しい気持ちが湧き上がってくるが、こらえて、頭をかきながら笑う。
「マジかぁ……ずっと向こうにいると時間感覚がおかしくなってました……」
「そうか……。それにしても、来るなら先に言ってくれよ。そしたらみんなを集めることもできたろうに」
「たしかに。ただ今日王宮を出たばかりだったし、他に行くあてもなかったもので」
「なるほどな……。あ、そうだ」
何かを思いついたようなそぶりのあと、彼はまた慌ただしそうに職員室に戻る。
それから、出てきたのはクレンと校長先生。
「ハルカさん、今回の活躍はユリウス大臣から聞いていますよ。本当に……貴女は我らの誇りであり、恩人だ」
「あ、ありがとうございます……」
「貴女だけは、卒業式をできていなかったからね。ささやかで形式的なもので申し訳ないけれど……」
どうやら、私ひとりのためにわざわざ校長先生が来てくれたらしい。そんな、お構いなく、と言ったが聞かなかった。
「ハルカ・カミタニ殿。右の者は、このリヒトスタイン魔法科学校の全課程を修了したことをここに証する」
丁重に卒業証書が渡され、私はうやうやしくそれを受け取る。いつの間に出て来ていたのか、先生方全員が暖かく拍手してくれた。
そうして、ひとしきり言葉を交わして。
「せっかくだから応接室に行くか?」
クレンに促され、応接室に入った。
ここは――この世界に来たばかりのとき、彼に私の身の上を話した場所。私が、この世界の正式な住人となった場所。
ある意味、リヒトスタインでの生活全ての始まりと言える部屋。装飾が荘厳で気づまりだったけれど、ここもまた、思い出に溢れていた。
テーブルを挟んで、クレンと向き合う。フカフカのソファに座りながら、王宮での生活を、過去も未来もごちゃ混ぜに行ったり来たりしながら語った。その全ての言葉に、彼は耳を傾けてくれた。
「……大変だったんだな……そのとき、支えてやることができなくて申し訳ない」
ルナとのあれこれを話したとき、彼はそう言ってくれた。心からそう思ってくれているみたいだった。彼がこのことを知っていたとしても、なすすべはなかっただろうに、やはり生徒思いの暖かい先生だ。
戦争でのことを話すと、ひとつひとつに驚いていた。しかし、精霊の加護の話になったとき。
「やっぱりな。ユーリとも話したんだが、お前が敵味方関係なく全員を助けようとしているのは何となくわかっていたよ」
「そうでしたか……!」
やはり一枚上手だ。全部見抜かれている。
それから、クレンの話も聞いた。私が王宮にいる間、学校では何があったか。といっても、指輪を壊されるまではユーリと通話していたので、そこで聞いていた話も多かった。戦争訓練に重点を置いたカリキュラムでの通常授業が続いていたこと。予定より早い宣戦布告だったので、教師陣で緊急会議が開かれ、配置や役割分担が決められたこと。などなど。
「アレックスがやられた時は、流石に焦った。帝国の奴らが変なスキルを使えるのは知っていたが、それで総崩れになるところだった。……ハルカのおかげだ。犠牲なく終戦を迎えられたのも、何もかも」
「買い被らないでくださいよー。……けど、ありがとうございます」
「なに、事実じゃねえか。まあ、ここまでビッグになったんだから、いい加減タメでしゃべってくれたらいいんだがな!」
「あっはは! お決まりの!」
相変わらず、というのが、どれほど嬉しかったか知れない。
「……まあ、善処します」
「いつもそれ言ってるじゃねえか! まあ、いいけどよ」
ふたり、爆笑を交わした。
続いて他愛ない会話をひとしきり続けたあと。突然、クレンは真顔になった。
「ハルカ。その……こんなに活躍して、疲れて帰ってきているだろうに、本当に申し訳ないんだが」
「え……なんでしょうか?」
今まで、私は、このリヒトスタインに住まいを確保してもらっていた。しかし、もう私は卒業生であって在校生ではない。その上、もう入学者選抜も済み、新しい入居準備も始まりつつあるのだという。
「あいにく空き部屋もなくてな……なんとか事務を説得しようとしたんだが」
「それは仕方ないですね……」
「……ユーリの家も、いまは忙しくて連絡がつかなくてな」
「……あぁ……」
私は、無意識のうちに、元々指輪のあった左手の薬指を見やる。
「――って、それはつまり、連絡がついたらユーリのお家に暮らすように取り計らおうとしてたってことですか?!」
「ああ。嫌だったか?」
さらりとそう問い返された。気遣いなのかなんなのか。まさかクレンにまでからかわれるなんて。
「あんまり言ったらセクハラですよー!」
「……その言葉を知らないんだが。怒らせたならすまん」
「あ、いえ、冗談です」
せめてもの反撃は、真顔で返された。
……とはいえ、家のことはどうにでもなるだろう。
ドタバタしていたのであまり気に留めていなかったが、今回のことで、王宮から報酬金も支払われていたのだ。ギルドカードを改めて見れば、一千万近くの額だった。こんなの私のような小娘が持っていいものではない。
とにかく、お金には困らないはず。ささやかなものなら一軒家だって買えるだろう。そう呑気に考えていた時だった。
「まあ、それでだな。俺らのことを守ってくれた感謝の意を込めて、ひとつ、家を買い取って贈ることにした。学校全体で意見が一致してな」
「……へ?」
「ちょっと町外れで申し訳ないんだが、広さと快適さは保証する。生活魔道具のサービスもしっかりついてるしな……もちろん、ハルカが気にいればの話だが」
「そんなそんなっ、申し訳ないですよ! むしろ私がこの学校に寄付したっていいぐらいなのに」
「気にするな。こっちとしちゃあこうでもしないと気が済まないんだよ」
「ええ……私こそ、拾って教育してくれたことを恩返ししなきゃ気が済まないのに……」
「釣り合わないからこうしてんだ。そこは気を済ませてくれ」
幾らかの押し問答ののち、とうとう、私の新たな住まいが決まった。





