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第85話 ほつれた糸は連なりゆく

 《ハルカ! 札を!》



 呆然としている時間さえ与えられなかった。私はリン様に言われるがまま、夢見心地で懐からお札を取り出す。


 すぐに私の周りに燐光の壁ができた。


 だから、私自身は無事だった……のだが。



「……あ……」



 思わず声が漏れる。



 《……》


「……リン様が視た通りの未来に……なってしまったんだね……」



 あと一刹那、反応が早ければ、ギリギリでも未来を変えることができたのだろうか。しかし、我に返る頃にはもう、祭壇の下は一面、ルナの魔力で染まっていた。そして、その青紫色の空気さえ、当人たちには見えていないようだった。


 きっと、もう、彼らは、私が偽物でルナが本物だと疑わないのだろう。私が何を言っても、言い逃れだと捉えられるに違いない。そうでなくとも、私の持つ情報は全て語った。いずれにせよ、もう私から話せることは何もなかったのだ。かといって、この場を離れることはできなかった。身を引いて大人しく認めるわけにはいかない。


 考えろ。考えなくては。


 あたりを包む、冷たい沈黙。


 それを、更なる悲劇が破る。



「そういえば、あの巫女とやらは、儀式の時間を取り替えよと言ったな」



 名前のわからない誰かの一声。出し抜けに放たれたそれが、やたらと響き、混沌の中を掻い潜って部屋の隅まで染み渡る。



「伝説によれば、神託の儀式は決まった時間でなければならないはずだ。あれが本物でないと言ったら、辻褄が合う」


「毎晩その時間は地下室に行って何かしてたらしい。酒泥棒かなにかだったんじゃないか?」



 ――違う、私は。そう反論しようにも、呟きのような声は言葉を紡ぐより前に儚く霧散した。呪いのせいとはいえ……こんな簡単に手のひらを返す人たちのために、私は、今まで……そう考えると、全身から力が抜けていく。


 私は、助けを求めようとして神様たちの方へと目を向けた。だが、その時。



「ひょっとして、帝国のスパイだったのではないか?」



 新しい憶測が、また泡沫のように浮かび上がって光を散らす。



「いつも彼女の居室からは声が聞こえててな。誰も他にいないはずなのに、だ。なんか変だと思っていたんだよな」


「我々が神のお姿と思っているその光といつも親しげに話しているが、それが実は帝国とつながる通信魔法なのかもしれぬ。第一、神などという存在に向かって人間があのような口を聞くことなど」



 そんな声に対し、コグニス様が《なんっ……なのよあの人間! 罰当たりね!》と声を荒げたので、慌ててリン様が止めていた。余計にハルカに矛先が向かうようなことはやめよ、と。


 私は、もはや他人事のように、半ば放心して、身じろぎもせずその場に座っている。


 最後の希望に縋るように――いや、もはや何も考えられないまま、私は無意識のうちに右手の指を左手の薬指に向けていた。しかし、群衆とは無数の目を持つもの。それさえ、見逃しはしないで攻撃の隙とするらしい。



「そうだ、あの指輪。あれは紛れもなく通信魔法の魔道具だ」



 その声で、反射的に右手を引っ込めてしまった。



「あれから出る魔力、あの者の部屋からいつも流れている。朝と晩の決まった時間にな」


「とすれば、やっぱりスパイなんじゃないか? 神託のふりして反戦を説いて士気を下げ、和平に向けて油断したタイミングで帝国から攻め込むとか」


「間違いねえ。呪いとかいうのも嘘で、地下室でも何か隠れて情報を流してるんだろう」



 その呪いにいまかかっているというのに……という、呑気に呆れる気持ちが、かえって私の心を落ち着ける。落ち着いてみて、今までの自分の行動をひとつひとつ思い浮かべた。いったいどこで間違えたのだろう。常に最善手を取り続けたと思っていたのに。君子李下に冠を正さず、という声が聞こえる。ひとつ糸口を誤った布のように、真実は次々にほつれては壊れていく。こんな状況だからこそ、何もできない代わりに可笑しいほど思考が巡る。


 しかし、まさか、私にとって心の支えだったユーリとの通話が、こんなところで槍玉にあげられるなんて。


 穢された空気のたゆたう混沌。止まないざわめき。


 そこに、ヴィレム王の声が響き渡る。



「皆のもの、鎮まれ!」



 鋭い声。ああ、これを鶴の一声というのだろうか。彼は、私を救ってくれるのだろうか……


 しかし、そんな望みを持って彼の方をひと目見たとき、すぐにその希望が打ち砕かれるのを感じた。彼こそが、誰よりも濃い靄をその全身に――瞳に、胸に、纏っていたからである。ルナはきっと、この国の人間で一番の権力者である彼に重点的に呪いをかけたのだろう。



「無秩序な議論はやめよ。ハルカ殿のことは、日を改めて、秩序正しき天秤にかけようではないか」



 ☆


 ヴィレム王の言葉通り、急遽次の日、王宮で裁判が行われた。


 昨日飛び交っていた噂話が、形ある疑惑と変わり、まるで罪状のように連ねられる。


 裁判という場だからこそ、真実を真実として語る権利を得た。防戦一方で、明らかに私が不利な状況であるとはいえ。だから酒泥棒などというくだらない疑惑はすぐに晴れてくれたし、コグニス様やリン様の光球のことも、神様だと信じるかどうかは保留として、通信魔法ではないという結論に至った。


 しかし。唯一にして最大の問題。



「その指輪型の魔道具はなんなのだ?」


「……」



 ああ、まさかこの問いから逃れることができないなんて。



「口ごもらず、はっきり答えよ」


「……これは……私の、恋人とのみ繋がっている通信魔道具でございます……彼は、リヒトスタイン魔法科学校の生徒で、紛れもなく王国民で……」


「それで、会話内容は?」


「……他愛もないことでございます。機密情報などを話すようなことはしておりません。毎朝毎晩、自由時間のうちに話しておりました」



 顔が一気に火照るのを感じ、俯く。なぜこんなことまで話さねばならないのか。伏し目がちにちらと様子を窺えば、人々は訝しげだったり、冷笑を浮かべていたり。私に無遠慮な問いを投げつける男は、壇上でふんぞり返っている。



「だが、この王宮に移ってから、外部の者とこうして通信して情報共有をしていたのは事実なのだな?」


「……はい」



 禁じられた覚えもありませんから……と続ける暇もなく、お偉いさんがたの審議が始まってしまった。


 判決など――ルナに有利なものとなるに決まっているではないか。


 その悲しい推測は、いうまでもなく当たってしまう。



「ハルカ殿。そなたを、帝国の間諜の可能性を持った者であるとして、魔力制限、発話制限の魔法処理を行なった部屋での謹慎を命じる」


「ルナ殿。そなたを、今後の対帝国戦に向けた策謀のひとりとして新たに採用する」



 高らかに唱えられた判決。魔力制限って、リヒトスタインの定期考査の、武術実技の試験室みたいな感じだろうか。話によれば、今まで暮らしていた部屋にそれらの魔法がかけられ、いかなる魔法を使うことも、声を出すことも、外に出ることもできなくなるらしい。それらをすれば罰せられるというのではなく、そもそも魔法の力によって不可能になる。


 これでもまだマシな処置だった。ユリウスが「まだ確定したわけでもないのにあまりに酷い仕打ちではないか。スパイが疑わしいのならばその活動のみ封じればよかろう」と進言してくれなければ、牢獄行きとなるかもしれなかったのだ。そして私のそばで小さく、濡れ衣だろうとはわかっているが証拠がない、覆せなくて心底申し訳ない、と囁くように謝ってくれた。君のことは信じておるから、準備ができれば必ず……とも。今の私には、それだけでも救いだった。


 一方で、どす黒い呪いに染められた権力者たちは、あまりに無慈悲だった。



「それから……その指輪は」



 彼らの人差し指が、私の手元を示す。反射的に、それを庇うように右手が動いていた。だが、それも虚しく。


 ひとりが呪文を詠唱すると、魔力の流れとともに、その指先で火花が散る。


 雷光は静かに、走馬灯のように、こちらに近づき――手元で、黄金色の閃光が爆ぜた。


 やがて、その光が収束する。痛みなどは何もなく、ただ暖かい感覚だけが残っていた。


 しかし、急いでそちらに目を向ければ、ずっと肌身離さずそこにあった指輪が、跡形もなく消滅していたのだ。



「まだ疑わしきに過ぎずとも、もう使わせるわけにはいかぬ。いかなる用途であれ、危険因子であるからな」



 再び、顔から血の気が引く。そして、それは怒りと化し、私は無意識のうちに彼らを睨みつけていた。



 ――ほんっと、わたくしなんかよりずっと見事な舞ですわね。



 鈴のような呟きが風に乗って聞こえてきたが、私以外の誰の耳に入ることもなかったように、そのまま溶けていった。

少し、ハルカをいじめすぎた気がします……が、夜なくして夜明けはない、と割り切り、心苦しくもなんとか書き上げました。しかしやはり逆境って難しいのです。ご指摘お待ちしております。

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