第80話 神の代弁者と人間と
更新が随分と遅くなってしまって本当にすみません……
今回は説明回です。
神託の儀式の時間が来た。
昨日、一度スキルを使って熟練度が上がったのだろうか。今日は、コグニス様が私の身体に憑依している間、私の意識は完全には暗転せず、生き霊のような状態だった。つまり、霞に包まれた景色ながらも、客観的に私を見ることができたのだ。祭壇の上の少女の、流麗で、しかし無機質な舞が空気を鋭く切り裂いたあと、その目に黄金色の炎が宿るのが見えた。普段自ら聞いているのとは異なる、艶かしさをはらむ凛とした声が、儀式の間の空気を隅々に至るまで揺るがすのが感じ取れた。
どれも私のものとは思えない。実際声はコグニス様のものであって私のものではないのだけれど。
それでも、そこにいる少女は確かに、私が毎日鏡の中に見ている者……の、そのまた鏡像だった。
「人間の勢力を惑わす者は、毎夜酒蔵に現れる」
「葡萄酒の呪いに用心せよ」
一気に、随分と具体的な指針となり、祭壇を取り巻く者たちからざわめきが聞こえる。それが感嘆なのか、困惑なのか、それはわからない。
「この戦、勝つとも負けるとも、人の身を滅ぼすこととなろう。すぐにでも目を醒まし、魔国に打ち勝つ術を身につけねばならぬ」
その言葉とともに、「私」はふっと目を閉じながら、その場に倒れ込んだ。同時に、視界が暗転する。
夢見心地で、重い瞼を開ける。ああ、ここは確かに、初めに連れられた祭壇の上だ。体が重く、力が入らない。頭がゆらゆらする。――自室に戻ったあとでリン様に聞いたところでは、どうやら昨日の倍近くの時間を使って今と未来を説いていたらしい。神託の時間に応じて、私の体力は消費されるということだ。ただし、熟練度が上がれば、ここまで疲労することなく力を使えるという。《ハルカが力いみじう使うをかくまでにやすらいたるに》、とリン様が小さくぼやき、コグニス様は《うん……ごめんなさい。次から気をつけるね》と決まり悪そうにしていた。
神託が終わってどれほどの時間、祭壇の上でじっとしていただろうか。ようやく思考の靄が晴れてきた。体も動くようになり、顔を上げて、祭壇の前に集まった人々を見る。怪訝なような、苦々しいような、そんな目が惜しげもなくこちらに注がれているのがわかった。まあそうなるだろう。ここまで王の……それも呪いなき常ならば常に間違いなく賢明な判断を下してきた賢王の命令で、対帝国戦に向けて尽力してきたのに、それを突然、全て否定したのだから。
だが、今は、コグニス様の言葉を伝えることと、酒蔵の呪いをなんとかして祓いその根を止めること。戦いを止める手立てはこれらしかないだろう。後者はせっかく鍵をつかんだと思ったら見失ってしまった。
だから、コグニス様の言葉を寸分違わず伝える。その結果としてどう思われたって、気にするものか。そう、決めたのだ。
王がこちらに近寄ってくる。仮面のような、硬い笑みで。
「……今日はもう、行って良いぞ。夕食は、侍女にハルカ殿の部屋へ運ばせるから、待っているがよい」
「ありがとうございます、王様」
私は、跪いて礼を言ってから、自室へと戻った。
☆
再びベッドに潜り込み、目を閉じる。既に睡魔が私の後ろ髪を引っ張っている。
だが、ぼんやりとする意識の中で、ふと考える。
――ああ、昨日リン様が言っていたことは本当だったんだ。誰も、神の声の導きに従おうなんて思っていない。これからの戦いの、後ろ盾が欲しかっただけなのだ。神に対帝国戦を認めてもらって、安堵を得たかった。それが、本当の巫女によって打ち破られた。そうでなければ、こんな空気にはならない。
そういえば、勇者伝説の書かれた本に、巫女は滅多に出てこない。確かに魔王討伐では重要な役割を果たしていたはずなのに、図書館にあった、一番古い1冊に出てきただけだし、ルイやユリアのような勇者パーティのメンバーは知っていたのにクレンと出会ったばかりの頃は彼も知らないようだった。ひょっとして、その時代にも、巫女と他の人間との間にこういう軋轢があったのだろうか。
《……そうみたいよ。うん、そうだった。まあ私が空気読めなかったのもあるけどねぇ……》
「こ、コグニス様、いつの間に?!」
《ずっとここに居たわよー。あと心も勝手に読ませてもらったわ》
知らない間に枕元にコグニス様がいて、眠気が覚めてしまった。
《あら、ゆっくり寝てればよかったのに。さっきはたくさん力を使わせちゃってごめんね、疲れてるでしょう? お話も聞かせてあげるわよ》
「うん……お願い」
魔王を討伐するまでの話は、既に知っていた。だが、問題はその後――それは、どの伝説にも描かれていない物語であった。
――あの、コグニス様からのお告げなのですが。
そう、巫女がおずおずと口を開いた。4人からなる勇者パーティ。魔王城の祭壇の最上階、黒い宝玉の中にその禍いを封じ込めることに成功した、その凱旋の道中。最後尾から、遠慮がちな声をあげたのだ。
――あ?
――ブレイド、その顔やめなさい。
当時の勇者は、ブレイドといった。口が悪く傲慢な性格で、パーティ内の不和を引き起こしてきたのだが、唯一無二の、かつなくてはならぬ能力を有するせいで、誰も咎めることができなかった。賢者として同行していた幼馴染――ヴァイリアの第四王女として自由に過ごしていた――を除いては。
巫女は、ブレイドのしかめ面に怯えたような様子だった。だが、恐れているのは、これから話す神託の内容ゆえであったかもしれない。
――この封印は、長くはもたない……と。数十年もすれば、またこの悲劇が……
勇気を振り絞り、彼女はそう告げる。その声に、ブレイドは激昂した。そうなるのは、誰もがわかっていたことだった。
――お前は一体何様のつもりだ?! ちっとも戦わねえくせに、いつも後ろから指示出してばっかで。神のお告げとかなんとかいうから拾ってやったのに、今度はなんだ、俺の封印にケチをつけるのか?
――ブレイド、その辺にして! ちっとも戦わねえって、あんたどんだけ神の光に守ってもらったかわかってないわけ?
――そんなもんお前にもできるだろ。だいたい目障りだったんだよ、自分こそこの世界を創造する神です、みたいな顔で、この俺に指図して。
わかっていた。少なくとも、あの激戦のあと、勝利の喜びの中いうべきことではなかった。だが、今言わねばならないと、直感が告げていたのだ。それで思い切って言ってみれば、この返事。すっかり、後悔で萎縮していた。聖女であるセクリアの第二王女は、俯いたまま何も言わない。しばし、彼らの間に沈黙が流れる。それを破ったのは、賢者だった。
――けどさ、ブレイド。封印を補強する魔法ぐらいあるでしょ?
――おい、お前、あいつの肩持つのか?
――肩持つも何も仲間でしょうが。もう向こうに戦力がないんだから、魔王城に引き返したってこっちに何もダメージないじゃん。封印し直すぐらい手間でもないし、強いに越したことはないでしょ。それか、天下の勇者様がそんなこともできないってこと?
――チッ。わかったよ。行けばいいんだろ。
結果、パーティは再び、魔王の閉じ込められた宝玉のもとへと向かうこととなった。ブレイドが聖剣を手に取り、渾身の呪文を唱える。黒い光は硬く、鋭くなり、周りを取り囲んでいた紫色の靄が消えた。
十数年でほどけてしまうとされた封印はあらためて堅く結ばれ、千年ののちにようやくわずかずつ綻びが見え始めるほどとなった。巫女の言葉がなければ、どうなっていただろうか。
勇者との不和ゆえ、彼女の話が語られることはなく、揉み消されたも同然だった。だが、ただひとり、確かに心を通わせ、互いに信頼していた女性……つまり賢者により、たった1冊だけ、巫女の真実を語る伝記が綴られた。その一冊こそ、私が図書館で出会った、あの古びた本である。
次もちょっと遅くなってしまうかもしれませんが、気長にお待ちいただけると幸いです。
それと、「てんみこ」をこの小説の略称にしたいと考えております!!
皆様、改めて、「てんみこ」をよろしくお願いします!!!!