第79話 この戦いはひとりじゃない
またイチャイチャ回になってしまいました。これは想定外でした、信じてください……
呆然としながら札を握りしめ、先ほどまで人影のあった方向を見つめる。
音もなく、すぅっと消えていった。なんの手応えもなかった。これは、私が消したのではないだろう。
《我が会いし時も、かのごとく去りき》
「……」
やはりそうだ。
――私は、あの怪しい人物を取り逃してしまったのだ。
「……ごめん……なさい」
《ハルカは気にしちゃ駄目よ。……私の方こそ、本当にごめんなさい。さっき力を使ったばかりなのに、焦ってスキルの発動を急がせちゃって》
《しかり。ハルカを心しらわざるは、我らがあやまちぞ》
「……ううん、そんなことない。……ありがとう」
悔しい。無力感。
私は、門番と神様たちに続いて道を引き返し、地下室を後にした。
ふと嫌な予感がして背後を振り返ると、ぽつり、ぽつりと、床に米粒ほどの黒い粒がいくつか置かれている。さっきの女がまたどこかで現れて、この地下室に呪いをかけ直している……ということだろう。
「……このやり方じゃ、いたちごっこになるのか……」
やっと手がかりを掴んだと思ったのに。一瞬気を緩めた隙に取り逃がしたのが不甲斐ないやら、自分の渾身の祈祷が無駄になるやら、解決の糸口を見失ってしまうやら。
自室に戻り、枕に顔を埋める。泣いているのではない。こういう時は寝るのが一番だと心得ているからだ。メイドさんに呼ばれる時まで寝れば、精神力も体力もすっかり復活しているだろう。
……前言撤回。寝付くどころか、フカフカのベッドに自分の体重を預けた途端に涙が溢れてきて、枕が濡れてしまった。リン様が静かに後ろから抱きしめてくれた。かたちを持たぬ身だろうと関係ない。体温なのか、優しさなのか、どちらなのかはわからないが、ずっと心を通わせてきた親友の温もりを感じ、少し落ち着いた。
「……ありがとね、リン様」
《……さるべきことなり》
それから、リン様は私の顔を覗き込み、優しく微笑んでくれた。それにつられて私の口角が上がったのを確認してか否か、素早く私の右手を取り上げる。
そして、私の指は引っ張られるがままに左手の指輪をなぞっていた。
「えっ、ちょ、リン様?!」
《かかるとき、こころ安らがすは思いたる人の声ぞ!》
「ちょっと待ってよ!」
騒ぐうちに薄桃色の宝石が光を放つ。彼に繋がってしまった。今日は平日じゃないか、と思うとますます顔が火照るのを感じる。《リン、ナイス!》とコグニス様の声が聞こえた。
『……もしもし?』
しかし、意外にも、向こうから声が聞こえるのが早かった。
「もしもしっ……えっと、急に、ごめんね? 今日って学校だよね」
『今は昼休みだ。……その、学食で食べてる』
「あ、そっか。そうか、もうそんな時間か」
『あぁ。……珍しいな、ハルカの方からかけてくれるなんて』
「あー、まあその、色々あってさ」
そんなやりとりをしている時。
『あれー、ユーリ、通信魔法使ってんの?』
『……! あ、あぁ、そうだ』
すぐにわかった。ステラの声だ。そこに、多少の狼狽をはらんだユーリの声。
私の心が、かすかに、しかし明らかにざわつくのを感じた。
『相手はハルカ?』
『……そうだけど』
『へー、いいじゃん! あ、ねえ、3分だけ借りていい? ほんとに3分!』
『いいけど、きっかり3分計るからな。あと少しでもハルカを傷つけたら許さないから』
『大丈夫だってー。あ、もしもしハルカ、聞こえてる?』
「……うん、聞こえてる……よ?」
さっき一瞬生じた心のざわめきが尾を引いていて、反応が遅れてしまう。しかし、ユーリの牽制と、ステラの普段通りの明るさにすっかり安堵すると同時に、親友兼師匠に疑いの心をむけてしまったことになんだか申し訳ない気持ちになった。
『あたしあたし! ステラだよ!』
「わかってるわかってる! 元気?」
『相変わらずだよー、そっちは?』
「うまくやってるよ! ……多分!」
明るい雰囲気に乗せられ、反射的にそう返してしまう。強がってしまうのは幼少期からの癖のような気がする。でも、本当にうまくやっているようにひとりでに心が明るくなるのを感じるので悪くはないと思っている。
『よかったぁ! いやー、だってさ、王城でしょ? すっごく遠いとこに行っちゃったなぁって思ってたけど、こうやって声聞けて嬉しいや』
「こっちのセリフー! でもほんと、ステラのおかげだよ。こんな強くなれてさ」
『ふふーん、もっと言ってくれていいのよ? でも、あたしだって、ハルカに教えるためにたくさん勉強してたもん。次会って一緒に戦うってなった時に追い抜かされてないように、頑張るからね!』
「おぉっ、期待してる! 私がステラを追い越すなんてないと思うけど……いや、私だって頑張るわ」
『ふふふ、負けないよ?』
それから、他愛もない言葉を分け隔てなく交わして。
『3分だ。すまないが、外出る』
『わかってるってー、邪魔しちゃったね。……あ、そだそだ』
ステラが何か思い出したような声をあげたかと思えば、再び彼女のいたずらっぽい声が聞こえてきた。
『ハルカ、あたしたちはユーリのこと取らないから安心してよね? 今日はまあ、ハルカがいなくて沈んでるって感じだったからセレーナと一緒に連れ出したって感じだったけど』
「あはは! ……信じてるからね?」
心を見透かされたのかと思って内心どきりとした。彼女にはかなわない、と改めて思う。
それから、少しの空白のあと。
『ここならいいか。せっかく通話してくれたのに、すまない』
「いいよ、いいよ。こっちこそ、急にごめんね。リン様……神様がいきなり……」
そういえば、リン様は身体を持たないはず。どうやって私の手を掴んで動かしたのだろう。……まあ、そんなことはどうでもいいか。ユーリの声を聞いて、少し頬がゆるむ。
「そうだ。ねえ、ちょっと聞いてよー」
『どうした?』
「あー、ちょっと愚痴なんだけどね。時間あるの?」
『次は魔法理論だし、ハルカのためだったら少しぐらいサボっても構わない』
「それは悪いなぁ……まー、時間やばくなったら、というか鬱陶しかったら勝手に切ってくれていいんだけどさ」
『それはないから安心しろ。どうした?』
いつの間にか、私の口は今日あったことの数々を取り留めもなく喋っていた。地下室の呪いのこと。怪しい女を取り逃したこと。
「――で、後ろ見たらまたもとに戻ってんの! もうほんっとわけわかんない!」
『そりゃあ悔しいな……』
「でしょ! あ、それでちょっと話が戻るんだけどさー、……」
どんどん声が大きくなるのがわかる。途中わずかに涙ぐみながら、完全に一方的に話してしまった。それを、ユーリは静かに聞いてくれた。途中で苛立つ様子も見せず、正論を投げることもなく、私に寄り添ってくれた。
「……はぁ。ああ、ほんと喋りすぎちゃった。というか、八つ当たりなんかしてごめんね」
『謝るな。俺にとっても有益な情報だったし……でも何より、今の俺にはこうすることでしかハルカを支えてあげられないから』
「そんな、支えてもらってばっかりになっちゃって……」
『それが嬉しいんだよ。……ハルカは、嫌か?』
「えっ、そんな……いいの?」
『当たり前だろう』
ユーリの、いつも通りの半ばぶっきらぼうな声音の中に溢れる優しさに目を見開く。小さく「ありがとう……」と呟けば、温かい涙が滲んだ。もう、さっき枕を濡らした冷たいそれとは違う。
『……あー、リーナ先生に呼ばれた。流石にこれ以上サボったら怒られるからそろそろ行く』
「うん。また、夜にね」
『夜と言わず、いつでもいいぞ。じゃあ』
通話が切れる。途端に眠気がやってきた。窓から差す陽気に誘われてまどろむ。ふんわりとしているのは、このベッドの柔らかさか、ゆめとうつつの狭間にいる私の心か。
今週から大学の新学期が始まるので、更新が遅くなるかもしれません。気長にお待ちいただけると幸いです。
次からは(次こそは)、イチャイチャばっかりせずに物語が動いていきますので、お楽しみに。





