第78話 いざ作戦開始
儀式は毎日夕方に行う。そのため、昼間は基本的に自由時間だ。
だからこの間に、昨日立てた作戦を実行する。
「それで……その地下室ってのはどこ?」
《いざ、来よ》
メイドさんに声をかけて自室を出て、そのままリン様の誘導で外に出る。
建物の隙間を縫うように歩く。新しい土地で、こんな入り組んだ場所を見つけ出すなんてすごい。そういえば、リヒトスタインでもいつの間にか学食の位置を把握していたっけ。神だからなのか、なんなのか。
《かの戸のあなたに、求めたる室あり。されど……》
「あれって……門番、かな?」
地下室の入り口に、男の人が立っていたのだ。背が高い。遠巻きに見ているので顔はよく見えないが、いかつい感じがする。
《そうみたいだねえ……まあ、頼んだら通してくれるかな?》
《夕べに行きし折、彼あらざれど》
《おおかたサボってたんじゃない? ラッキーだったじゃん》
とにかく、入れてもらえるように交渉せねば。
「あ、あの……」
「ん? お前は誰だ」
頭上から鋭い視線を向けられて、思わず怯んでしまう。だが、私には、大義名分がある。
「王様にお招きをいただきました、巫女のハルカと申します。コグニス様のお告げを受け、来たる戦いに関して確かめたいことがございますので、少し通していただけませんか?」
「巫女? よくわからんが、神様のお告げとやらなら仕方がない。だがここの酒は特別だから、同行させてもらう。酒泥棒ならすぐこの手でとっちめるからな」
「ありがとうございます」
なんとかなった。人ひとり入れるかどうかぐらいの狭い道の入り口。門をくぐれば、一気に視界が窮屈になる。だが、光魔法だろうか、その壁を作っている石のブロックのひとつひとつがぼんやりとした光を放っていて、暗いということはなかった。この細い道を、リン様、私、門番、そしてコグニス様の順に連なって進む。
《呪いの力放ちたる石あり。黒々としたる石どもを踏むべからず》
「了解。えっと、門番さん……この黒い宝石みたいなもの、踏まないように、だそうです」
「へえ? ……いや、これ、踏まないで歩くの無理じゃねえか?」
「えっ。……うわ、ほんとだ」
黒いような、少し紫がかったような宝石は、先へ進むほどに数を増していく。
「ねえ……これ、全部浄化したほうがいいかな?」
《室に至るより先にハルカが力使うは、いささか心許なし。敵に会うことあらば……》
「えぇ……でもさ、その……呪い? にかかる方がまずくない?」
《ことわりなり。されば、祓い串を取り出でよ》
「わかった!」
祓い串を手に取り、スキル【加持祈祷】を発動させる。
狭い中では普段通りの舞とはいかなかったが、充分なようだ。周りの景色が青白い光に包まれる。同時に、床にばら撒かれていた石たちも、火に投げ入れられた氷のように融け、禍々しい色をした煙と化していく。門番の体からも、ちょうど水中を上っていく泡沫のように、黒い何かが、逃げ出すように浮かんでは消える。煙も泡も、舞を舞うにつれてやがて色を失い、透き通るそれへと変わっていった。
リン様に制止されて舞をやめる頃には、黒い宝石は跡形もなく姿を消していた。それに、地下道も心なしか明るくなった気がする。
《なんか、視界がクリアになったねえ》
《紫の靄、たゆたいたりければ、見ゆるもの、いささか暗かりけり》
そのまま道を進めば、やがて突き当たりが見えた。王宮の中は重厚な金属の扉が多いが、ここは例外だ。いや、重厚であることに変わりはないのだが、木でできていて、温かみを感じる。真木の戸、とでもいうのだろうか。
「ここの鍵は俺が持っているから、今開けよう」
「ありがとうございます」
「それにしても、鍵なんざ使うのいつぶりだろうな。さっきも言ったが、いつも地上で用済みだから、ここに来るのは年に1回ほどの点検ぐらいなんだ」
そんな話をしながら、鍵を開けてくれる。私の寝起きしている部屋と同様、専用の魔法石を扉にはめて開けるタイプだ。魔力が流れると、かちゃりと音が鳴る。
一気に視界がひらけた。年季の入った木の樽がズラリと並ぶ光景は壮観だ。天井に交わされている柱は巧みな幾何学模様を作り上げている。照明はないが、部屋全体が暖かい光に包まれている。酒の品質を下げないためか、その光はそれほど強くなく、ぼんやりとしているが、それゆえの神秘性がある気がする。
……と、しばらく見とれていたが、そんなに呑気ではいられない。
床には、あの黒い石が隙間なく散りばめられていたのだから。
「門番さん……中に入ってはだめですよ」
「あぁ、さっき言ってたやつがあるからな。これが何かわかってねえが」
「よかった、話が早いですね。では」
再び、【加持祈祷】を行う。床から、樽から、どす黒い何かが浮かんでは離れていく。今度は数が多すぎるので、どれほど祓い串を振っても景色に変わり映えがないように見えた――だが、それもやがて終わりを告げる。半時間ほど経っただろうか、私が祓い串を仕舞う頃には、木目の美しい床がくっきりと見えていた。樽の数も増えた気がする。壁際の、遠い場所にあるものまで視界が届くようになったからだ。
長かったにせよ、うまくいったらしい。それを確認すると同時に、身体に疲労が押し寄せる。膝が笑うのを、なんとか堪える。これは帰ったら仮眠を取らなくては。
《その状態で、そもそも帰れる?》
「それは多分大丈夫……って、あれ?」
引き返そうとしても、足に力が入らない。
《ほら、無理しちゃだめだって》
「うん、ありがと……多分、なんとかなる」
そう口では言ったものの、流石に動けないほど力を使っていたのは想定外だった。だがそこで、王城に来る直前の特訓を思い出す。イチかバチかでやってみよう……
「光よ、我が身体を癒せ」
回復魔法【光の加護】を発動させると、たちまち私の身体が金色の光に包まれた。まともに歩ける程度には体力が戻ったのでほっと一安心する。
《……リンから聞いてたけど、ほんと、ハルカって甘えたり頼ったりしないんだねえ……私の力で回復させることもできたのに》
「え、そうだったんだ……ごめん、ありがとうね」
そんな言葉を交わしていた時だった。
地下室の通路に、突如藍色のつむじ風が起こり、その中心から人影が現れたのは。
黒いローブに身を包み、繊細な指と漆黒の髪を覗かせている。真っ白な仮面で顔を隠しているが、その目が、私に向けられているのだけはわかった。瞳だけが見える。そこに乗せられた多少の狼狽も。
《かの者ぞ! 我が見しあやしき女!》
「……! そうだよね?!」
《ハルカ、札を用いよ!》
《魔力や体力なら私がサポートするから、安心してスキル使って!》
「は、はい!」
そう言われ、懐から札を取り出しているのを……目の前の女性が、嘲笑っているように感じたのは、気のせいだったか。気のせいだろう、表情は見えないのだから。
その姿は、やがて、輪郭をなくしていった。辺りの空間との境界が曖昧になる。向こう側の景色が透けていく。
それに気を取られていた一瞬、ほんの一刹那、詠唱が遅れてしまったのだ。





