第7話 厨二の教師と高二の私
混沌とした視界。
真っ暗な闇。
それが、次第に晴れていき――。
「……ん……」
「……良かった。気づいたか」
うっすらと、まぶたを開く。
男の声が、すぐ近くに聞こえる。
ようやく意識がはっきりし、自分がどこに居るのか分かり始め…………ない。
真っ白な空間。私はここがどこか知らない。
ぼんやりとした意識の中で、なおよく周りを見回す。
白い天井、白い壁。その中で、私は白いベッドで寝かされている。隣には、一人の男性。……多分、知らない人。
病院のような所だろうか。
「え……と、ここは……? 貴方は……?」
言った言葉は、完全に記憶喪失者のそれだ。
だが……。
「ここは王立リヒトスタイン魔法科学校の医務室。そして俺はここの教師だ」
「……へ?」
返ってきた言葉は、予想の右斜め上だった。
魔法科学校?
この人は一体何を言っている?
だが、相手は私の戸惑っているのにも構わず、言葉を続けた。
「君は……いや、貴女は、我々の生徒の命を大勢救った。心から、お礼を申し上げたい」
「命を……? 覚えが、無いんですが……」
「貴女はあそこで気を失っていたから、よく分からないかもしれないが……かと言って、状況を全て話そうという訳にはいかない。この後、この件で校長から正式に感謝状とささやかな贈り物をする手筈になっている。願わくはすぐにでも、校長室にご案内したいところなのだが……。どこまで把握しているんだ?」
「……何のことか全然分からないので……手短に、お願いします」
「では、どこから話そうか……」
相手はそこで一呼吸おき、何か考えを巡らすような仕草をした。
「貴女がいた所については分かってるのか?」
「……いえ、全く」
確か……例の神社では無いどこか……という結論には至ったんだっけ?
「そうか……。あの森は」
次の瞬間、彼は爆速で何かよく分からないものを立て板に水と言わんばかりの勢いで語り始めたのである。
「あの森は初級の冒険者向きと呼ばれているダンジョンだ。出現する魔物は弱いものから中程度のものが多く、あまり強いものは滅多に現れない」
「……ダンジョン……」
「だから我が校の生徒も週に一度の魔物討伐実習でよく使っていた。ところがその滅多にないことが起こって先程現れたのが『フランマ・ドラーク』と言って火属性のドラゴンの亜種だ」
「フランマ……ドラー……」
「ほとんど天災級と言っていいこの魔物が運悪く我々が実習に来ていた時その場所に現れ……あの状況では莫大な数の死者が出てもおかしくなかった。皆、冒険者としては未熟だったから尚更だ」
「……」
「そんな所に突如貴女が現れた。貴女はその手から光を放ち瞬時にその天災級魔物を倒したと聞いている。いわゆるレイドボスを単独で討伐したという訳だ。貴女は……」
「……あの」
私はそこで口を挟んだ。
挟むことさえ失礼だ。分かっている。まして……
「日本語、話して貰えます?」
こんな本音を言っては失礼極まりない事など、当然分かっている。
……分かってはいるけれど!
こんな厨二が教師なんて、果たしてこの学校は大丈夫なのか?! 魔法科学校、ダンジョン、魔物、ドラゴン、冒険者。明らかに相当のラノベ厨だよ、この人! しかもそれをこんな真顔で言っている! 初対面の私に!
……いくらなんでも我慢できなかったのだ。
だがそれでもやはり失礼だろうとは思う。言ってから顔が赤くなり、口を噤んだ。
だが……。
「……日本語、とは何かな?」
「はい?」
返って来た言葉は、予想の左斜め上だった。
これはもう、末期では無いだろうか?
そう思っていると、どこかでベルの音がした。
そちらに相手は顔を向ける。
口早に何かを呟く。
突如。彼の目の前に、何か、赤っぽい……光る文字のようなものが現れた。
「……こちらクレン。呼んだか? ……あぁ、分かった。早急に」
彼は、誰かと電話口で話しているような感じだった。
……えっ、今のって何に向かって話したんだろう?
「そろそろ、校長室の方でも準備が整ったらしい。……立てるか?」
「……は、い。……多分、大丈夫だと思います……」
「……?」
ベッドから出て、そこに置いてあった靴を履き、彼に従って歩き始めた。
「まぁ、念のため回復魔法もかけてもらっているから、大丈夫だとは思うが」
「回復魔法……」
私は多分大丈夫だ。
だが、この人は大丈夫なのだろうか……?
医務室を出た。
さっきまでの清潔感のある質素で真っ白な空間とは打って変わって、豪華な道が続いていた。廊下……と考えるより他にないが、廊下とは思えないような装飾。
学校というより、ここは宮殿では無いだろうか。
中世ヨーロッパの貴族社会の史料に、こういうのがありそうだ。
そんな事を考えながら歩いていると、不意に彼が立ち止まった。
目の前のドアには、確かに『校長室』と書いてあって、ひときわ目立つ装飾が施されている。
「ここが校長室だ。……貴女は来賓のようなものだから、そんなに気を遣う事はない」
「分かり、ました」
「……」
……校長先生は、まともな人だったら良いな……。
ノックして、金色のドアノブに手を掛けた。