第67話 たとえこの場所を去るとしても
「巫女、といったか?」
「はい」
私が返事をすると、彼は再び私の顔をまじまじと見つめた。足がすくみそうになるが、もう逃げまい。
そして、彼は手元の書類に目を落とす。紙切れのようなものを取り出して何かを走り書きしてから、そのメモに手をかざして何やら魔力を込めているのが見えた。次の瞬間、白かった紙は黄金色の光を帯びる。
その光は、私が聖堂で祈り、コグニス様の加護を賜ったあと、私の手が纏っていたそれと同じだった。
「ハルカ君、と言ったね。君はこれを持っていなさい。……あぁ、ギルドカードを出してごらん」
「え? ……はい、承知しました」
私が、懐から銀色のカードを取り出して差し出すと、彼はそこに書かれている言葉を見つめ、続いて裏に先ほどの紙を押し付けた。薄く金色の光を纏った紙は、私のギルドカードに溶け込んだように見えた。しばらくして、再びカードが戻ってくる。カードの裏に、何やら新しい模様が刻まれていた。
「さっきの紙は、私の通信魔法の魔力をコピーしたものだ。今の操作で、ギルドカードにこの魔力を付与した。離れていても私から君に連絡することができるし、君も私に何かを伝えることができる。あぁ、仕事用の通信魔法だから、ごく短い事務的な連絡しかできないがな。それと、カードに王家の紋章が加わっているだろう。これは、この通信魔法が正式なものだと証明するものだ」
「ありがとう……ございます」
要するに、強制的に連絡先を交換されたということだ。自分の力を利用しよう、王国に近づいて戦争を止めよう、と決意した以上文句を言うつもりはないのだが、まだユーリの連絡先も知らないのに、と思ってしまう。まあ、あとで聞けばいいか。
「それと、ユーリ君。君にも一応。君もまた、大きな戦力になりそうだからね」
「あぁ、頼む」
こうして、私とユーリのふたりが、王国軍の……たぶん偉い人と、繋がったのだ。
☆
その晩。早速連絡が来た。寮のベッドで寝転がっていると、ギルドカードの裏の紋章が鋭く光ったのだ。手を触れると、空中に黒い文字が浮かび上がった。ホログラムのようだ。
『通信テスト。カードに手をかざし、言葉を念じることでこちらに届く』
本当に事務的な連絡だった。試しに、『承知いたしました。こちらからもテストします。届きましたらお返事ください』と頭の中で注意深く唱えてみれば、さっきのように空中に白い文字が生まれて浮かび、ゆらゆら揺れる。かと思えば、カードに吸い込まれていく。
10秒足らずで、再び紋章が瞬く。
『届いた。問題ない。では、今度の日曜の昼、王都の凱旋門前に来られるだろうか。正装を見繕ったのち、国王に謁見する。詳細は、学校を通じて正式な手紙が行くだろう』
突然の連絡だ。しかし、おそらく拒否権はないのだろう。
『わかり』
しまった。まだ念じている途中なのに送信されてしまった。地球では、チャットアプリで誤送信など日常茶飯事だったが、少しでも油断しようものならもっと頻度が増えそうだ。扱いが難しい。相手は上の立場にいる人なのに。
『失礼いたしました。日曜日の昼、王都で凱旋門前との旨、問題ないかと』
『構わない、この魔法の扱いが難しいのはわかっている。了解した』
それ以降、相手から言葉が来ることはなかった。
☆
次の日の朝。
「ユーリ! 昨日、あの人から何か届いた?」
「あぁ。通信テストだろ?」
「うん。えっと……その他には?」
「いや、来ていないな」
そんな。早速、嫌な予感がする。しかし、なんとか顔に出すまいとする。
「……そっか」
「来たのか?」
「……うん」
「なんて?」
「……日曜に凱旋門前で待ち合わせ。その後、王様に謁見って」
「……そう、なのか」
短い言葉。しかし、その声の中に、微かに、しかし確かに動揺が混ざっているのが、今の私にはわかる。
私が予感したこと――ユーリと私が物理的に離れ離れになってしまうこと――を、彼も予感したのだろうか。
「ハルカ。今週土曜、時間あるか?」
「え? ……土曜なら、1日空いてるはずだけど」
「その日、勉強会も訓練もなしだ。行きたいところがある」
☆
ユーリとの約束の日まで、また放課後ごとに図書館にこもって一緒に勉強する日々が流れた。今までよりもずっと長い時間。時には、図書館の司書が帰るタイミングまで本棚の陰に隠れ、施錠されてから再度本を探す、と言うこともあった。隠れている時の、悪戯っ子のような高揚感……それは、ふたりで学校の勧告を破ってダンジョンに繰り出した時のそれと同じだ。思えば、あの頃には既に、私にとって彼は特別だったのだろうか。
外が真っ暗になり、図書館の中が消灯してから、私はレベル5になった光魔法を発動させる。光の壁が、私たちふたりだけの空間を作り出す。私と、ユーリと、何冊もの本を積み上げられた机。それらを、まばゆい光がぐるりと取り囲む。外の黒に、金色が映えていた。桜色の空間に包まれていた、春のことを思い出す。ふたり肩を寄せ合って、先人の知恵を、ほんの少しでも多く、とばかりに吸収しようとする。
金曜日。クレンを通じ、手紙を受け取った。ギルドカードの裏に刻まれたのと同じ紋章の描かれた封筒、同じ紋章の刻まれたシーリングワックス。
中には、確かに、先日受け取ったメッセージと同じことが書かれていた。厳しい文体で、美しい筆跡で。
しかし。詳細を見て、愕然とする。
来週から、王城暮らしになる。だから荷物をまとめておくように、と。
私は、クレンの顔を見上げた。目を伏せ、静かな声で言う。
「王城……きっと宮殿の一室での生活になるだろうな。きっととても華やかで楽しいさ。おそらく、目的はハルカの力を利用するためだろうけどな」
「……私も、そう思います」
「俺の憶測だと願っていたが、お前もそう感じていたか。ここからの生活、物質的には今よりずっといいだろうが、精神的に辛いことも多いと思う。俺は、ハルカの意志を尊重する。だから止めはせん。だが……これだけは忘れるな」
「……」
「俺もユーリも、いや、この学校にいる奴全員、何があってもお前の味方だ。たとえ王国に背を向けることになってもな。お前があれほどの覚悟を持って、これから学校を離れるんだ。俺らにも、それぐらいの覚悟はある」
「ありがとう、ございます」
「あとはなぁ、もう1年半ぐらいか。そろそろタメで喋ってくれると思ったんだがな」
クレンが大袈裟に笑ってそう言う。私は、中途半端な笑いになってしまった気がした。
「先生。本当に……先生は、私の恩人です。これまでも、これからも。学校では、今まで本当にお世話になりました」
「あぁ。……これからの活躍、期待している」
「……はい!」
ふたり、堅い握手を交わした。
それから、いつの間にか、私がリヒトスタインを去る話が学校中に広まっていたらしく、友達がみんな駆けつけてくれた。
オットーと握手を交わし、アイリスと抱き合い。
「絶対手紙書いてね? 精霊術の師匠であるあたしからの命令よっ!」
「ハルカ先輩っ……私も、その、色々教わるの……姉と一緒にお待ちしてます!」
「ハルカ。あなたには本当に救われた。私も、武術で闘うから……負けないわよ?」
親友たちの言葉。私は、つい頬を綻ばせながら……その上に、涙の流れるのを感じる。
「ありがとう、みんな」
こうして、土曜日を迎えた。
ユーリとの約束の日である。