第62話 ご加護のあらんことを
お久しぶりです。ようやく、私のもとにも夏休みがやってきました。尤も、他のやりたいこともあって執筆時間がどれほど取れるのか……
放課後。
私は、ユーリとふたりで図書館に来ていた。
よく考えれば、ここに来てから図書館に足を踏み入れたことがなかった。日本ではあんなに本が好きだったのに、予習、鍛錬、復習と、しなければいけないことに囲まれて、すっかり図書館というものから足が遠のいてしまっていたのだ。――私が告白したあの日、図書館の裏に隠れた以外では。
重い金属の扉を開けた瞬間の、ふわりと鼻をくすぐる本の香りが懐かしい。赤い絨毯の毛が、靴を隔てても感じられる。顔を上げてみれば、古風な、木目の美しい木の本棚が、見渡す限りずらりと並ぶ。本棚と本棚の隙間に、暖かな木の机が並べられていて、生徒が椅子に腰を下ろして勉強できるようになっている。絢爛豪華な装飾に埋め尽くされたこの世界だが、図書館だけは、何故か心の落ち着く空間をはらんでいた。ふたりを取り巻く時間も、空間も、ゆったりとしていた。
「ここで、今日は何するの?」
自然と、自分の発する声が小さくなる。静かな空気に溶け込むように。
「魔法のことと巫女のこと……もっと、知りたくて」
「……知識がなきゃ、戦えないから?」
「うん。魔法使いは特に、知識が物を言うから。1年しか時間はないけど、もっと強くなっておきたい。だけど……」
「……だけど?」
「……強くなりたい、だけじゃなくて……ハルカのこと、もっと知りたい。ずっと戦友だったけど……ハルカと、いつまで一緒にいられるか、わからないから……平和な、今のうちに……」
「……」
意外だった。ユーリは、未来にやってくる戦争を淡々と受けいれているように見えていた――急な話についていくことさえ出来ていない私とは違う、と思っていた。どこか冷たいとさえ。だけど、さっきの言葉が乗せられたのは、珍しく重苦しい声。彼の顔はよく見えない。他に誰もいない、放課後の図書館。私と彼の声だけが響く。
「……大丈夫よっ。私がここに来る前からあったことなんでしょ? 私は知らないけど、ユーリがそう言ったじゃん。きっと、大したことないまま終わるのよ! それに……今までみたいに一緒に戦うことだって……できる、よね?」
本当かわからないことほど、スラスラと言葉が流れ出てくる。だけど、私自身が、そう信じたかった。きっと――
「……ありがとう。すまない、ちょっと焦ってしまった」
「……ううん」
――彼もそうなのだろう。
「本、探そ? 私だって、もっといろんなこと知りたいし」
この世界のこと、私は何も知らない。1年間もここにいたから、ある程度は知っている気でいたけれど。
まして、巫女――自分の職業のこと、それこそ何ひとつ知らないのではないか。
「そうだな。魔法関連の本はどこだったかな……」
穏やかなような、危ういような、なんだかふわふわとした時間と空間が、私たちの側を流れていく。
彼はそう呟きながら、勝手知ったるというふうに、分厚い魔導書や魔法理論の教科書の並ぶ書架に向かう。取り残されてしまった私は、巫女に関する書棚を探して案内板に目を凝らす。
☆
気がつけば、窓から橙色の光が差していた。紅い陽は、輝く宝石のようにこちらにこぼれ出ていて、たくさんの先人の知恵の結晶を柔らかく照らす。
結局、この部屋には私たちの他に誰も来なかった。
私の腕の中には、1冊の本。それとは別で、今はもう1冊の辞書か聖書のような本を開いている。伝説、というか神話のようなものが綴られた本で、小説のように読める。隅々まで本棚を見たけれど、巫女の歴史とか能力に関する本はこのふたつしかなかったのだ。
一方、椅子に座るユーリの目の前には、専門書の山脈が出来ている。まさか、これを全部読んでいるのだろうか。
「ユーリ、今日はそろそろ帰る?」
「……本当、読めば読むほどわからなくなるな……」
「え?」
「なんだろう、何かを理解しようとすればするほど、それに近づくはずなのにむしろ遠ざかってるっていうか……逃げ水みたいな感じだ」
「……箒木、みたいな?」
「よくわからないが……学べば学ぶほど、自分が何もわかってないことを知らされるというか」
私はまだその境地に達していないけれど、なんとなく、その感覚はわかる。ユーリのちょっと沈んだ声の中には、確かに興奮に燃える声音があった。
「私も、もっと勉強しなきゃ。ねえ、明日も明後日も、毎日一緒に来ようよ!」
「ああ、もちろんそのつもりだよ」
「それで……一緒に」
そこまで言ったところで、閉館時刻の鐘が鳴る。あたり一面に響く音に、私は一瞬口をつぐむ。
「一緒に、一緒の本読みたい! 私じゃユーリの足手まといかもしれないけど、ひとりより、ふたりの方がわかることもあると思うからっ」
「……!」
彼は、一瞬だけ目を見開いてこちらを見た。しかし、すぐにそれは微笑みに変わった。
「そっか、そうだな。こんな当たり前のことに気づかないなんて」
ふと窓の外を見る。
日が暮れ始めると時の進みは速い。暗闇に彩られた、夕陽の残り火がチラチラと輝いていた。月の静謐な光、星々のちっぽけな光さえ、斜陽を飲み込んでしまいそうだった。
ユーリがおびただしい数の本の貸し出し手続きをするのにならって、私も、カウンターで2冊の本の手続きを済ませた。外に出ると、毎日見ている景色がなんだかそぐわないものに思える。ついさっきまで、目の前には「勇者パーティ」と呼ばれる伝説の軍隊を陰ながら支えるいにしえの巫女の姿があったのに。――この不思議な感覚も、なんだか懐かしい。日本で、ひとりで図書館に通って本の虫と化していた時のことを思い出す。
でも、今はひとりじゃない。
隣に並ぶ彼は、今どんなことを考えているんだろう。
寮までの道は、すっかり暗かった。――暗い? そういえば、私は……
「……光よ。我らが前に現れ、道を照らせ」
光魔法の詠唱はしたことがなかったけれど、前に手を伸ばし、それっぽいものを唱える。
期待通り、目の前がぱっと明るくなり、夜の校舎、石畳がはっきりと見えるようになった。
「ハルカ……」
「祭壇でコグニス様にお祈りした時、我らの加護を加えましょうっていう言葉が聞こえたの。私が魔法を使えるようになったのは、それからだから……」
「……コグニス……様って、本当にいたんだな。こんなことが起きてしまっては、信じるしかない……か」
こちらの世界の神様の加護。それで私は魔法が使えるようになった。魔力回路が現れた。だけど、それは……なんのために?
私がそういうことを考えていると、ユーリはふと立ち止まった。
「そうだ。さっき、精霊術師の力に関する本を読んでいたんだ。ハルカは精霊を操ることもできるから、何か繋がりがあるんじゃないかと思って」
「そうだったんだ……!」
私は巫女の歴史とかから何かわからないかと思って探していたけれど、彼は実際の力に注目していたらしい。
「そしたら、【精霊の加護】っていうスキルがあるらしいんだ。ハルカにも……使えないかな?」
「えっ?」
その名前なら、私も聞いたことがある。……多分ステラから聞いた。精霊術師の最高スキルって言ってたっけ。
「そんな……私なんかに、使えるものなのかな……」
「明日、ここに来る前にちょっと確かめてみないか?」
ニヤリと笑ってそう提案する彼の顔を見ると、つい乗っかりたくなってしまう。
「うん、そうする!」
馴染みの神様の加護に、コグニス様の加護。愛らしい精霊たちの加護もまた、ありますように。





