第60話 忍び寄る混沌
「では、校長である私からご挨拶申し上げる」
全員が着席したのを確認してか、壇上の校長先生が口を開いた。
この世界にマイクはない。しかし、どうやら風魔法によって音を拡散させているようだ。
「新たな春を迎え、皆は志新たにここに足を運んだことだろうと思う。新入生諸君はご入学を、在校生諸君は進級を、心から祝おう」
定番の文句から始まった。ただ、ここにいる生徒たちは、私も含め、きっとそれどころではないだろう。
さっきクレンに何度も言われた言葉――「校長から話があるだろう」という言葉の意味が、本当にここでわかるのだろうか。そればかりが気になって、ありがたいお話も次々と耳を通り抜けていく。
「さて。ここから少し、大事な話になる。心して聞いてほしい」
その言葉に、男子も女子も、どの学年でも、身を乗り出さない人はいない。
「王立学校全体に、国王から伝令があった。もちろん、ここリヒトスタインも例外ではない。我々はそれに従わねばならない。だから、その内容をここで伝えておこう」
国王から各学校に伝令? 国のトップの命令だから、それはただ事ではないだろう。……ここの国王は、校長先生の話し方からすれば、国の象徴というのではなく実質的に国家を動かすだけの力があるはずだから。
しかし、続けて発せられた言葉に、私の思考が色を失う。
「ヴァイリア王国は、隣国、グローリア帝国との交戦を決定した。目的はグロース山脈の奪還ということになっている。来春、宣戦布告をするそうだ。そこで、我が校の生徒にも戦力になってもらいたいということだ」
ワンテンポ遅れて、周囲がざわつき始めているようだった。
校長先生は、もっともだという風にうなずいた後、話を続ける。
「まあ皆思うことはあるだろう。後でじっくり話し合ってもらうとして、今は連絡事項を全て伝えたい。これは予定だが、戦争の間、我々は、クラス単位で小さな部隊を組むことになる。諸君はまだ学生だからそれほど危険な任務を任されることはないが、攻撃や防御のサポートを担当することになるそうだ。特に第一学年は食料の供給や武器の製作及び補充のような雑用をしてもらうことになるはずだ。いずれにせよ部隊内の連携が鍵を握る。そこで少しでもクラス内の団結を図るため、今年はクラス替えをしなかった次第だ」
これでひとつ、謎が解決した。だが、些細な謎の解決と引き換えに、大量の謎が頭のなかを駆け巡る。なぜこんな過激な手段に出るのか……それでも、首を傾げる暇もなく話が進む。
「加えて、しばらくの間は授業のカリキュラムも兵隊の訓練に近いものとなる。魔物討伐実習も頻度を減らすか、場合によっては中止するかも知れない。放課後も、魔物討伐よりも個々人の鍛錬を優先すること……とのことだ。この他にも様々な活動が制限されるだろうが、追って連絡があるはずだ」
活動の制限。その言葉が耳に入ったとき、ある記憶が不意に呼び起こされた。冬休み前のあの事件。ヴァイリアの高ランクの冒険者が次々と命を奪われた。その脅威から身を守るために冒険者の行動が制限され、ギルドは閑散としていた――あの日の事件と、ユーリや神様との冒険。
あの野蛮な男達は、隣国からの密命を受けてこちらに来ていたと言うではないか。
あの時聞こえてきた噂。あの事件にはグローリア帝国が関わっていた、と。そうだとすれば、すでに帝国はヴァイリアに働きかけていた――戦争を視野に入れ、戦力を奪っていたのかも知れない。男達はすぐに処刑されたので人々が今確かめる術はないが……ひとつ、私には方法がある。
「ねえ、神様……冬に戦ったスパイのこと、覚えてる?」
《忘るることはなけれど、なにゆえ?》
「あの人たちがどこから来たか、わかる?」
《隣の国……名は、わからず。……されど、寅卯の方より……来たりけるべし》
「寅卯……東北東ってとこかな」
地理で学んだ、この世界の地図を何とか思い出す。北西の海に面したこの国に隣接するのは、東に広がるグローリア帝国と南の小国であるセクリア王国。これらを隔てて、南東の黒い森に覆われた山脈を越えた先にあるのが魔国……イヴリス王国。
なるほど、間違いない。あの事件は噂通り、帝国の仕業だ。
校長先生が「ということになっている」という言葉をわざわざ使った。ということは、他に真の目的があるということ。
きっと、国王は帝国の不穏な動きを感じ取ったのだろう。こちらが何もせずとも、向こうから戦いを仕掛けてくる可能性があるのだ。だから、先手を打つ――もしそうだとしたら、彼の判断は間違っていないだろう。
「諸君は若い。未来の希望だ。ヴァイリアのため、無茶をせずに自らを守りながら戦うことを忘れないで欲しい。まだ1年という時間がある。それまで、自らの力を高め、仲間との結束を養ってもらいたい。私からの言葉は以上だが、この後、各々の担任から具体的な話があるだろう」
この言葉とともに解散が宣言された。だが、ホームルームに帰る気が起こらない。
もう少し、考えを整理する時間が欲しかった。
魔国も不穏な動きをしている、だから獣は倒すなという話だったではないか。人間同士が戦う暇なんてあるのだろうか。……理不尽だ。
そういえば、クレンが言っていた。巫女の力を口外しないように、と。もし、私の力が特殊なものならば……確かに、王に知られても敵に知られても厄介だ。だから彼はそう言ったのか。
いろいろな謎が解決したところで、改めて、ことの重大さに思いを巡らせる。
魔物討伐実習や戦術基礎などにより、私達は比較的実戦慣れしている方だろう。しかし、それらは冒険者向けの授業だ。冒険者の仕事は、人間に害を及ぼしたり素材を提供したりする魔物を狩ること。一方、国家間の戦争となれば、それは魔物ではなく人を相手にすることを意味する。おそらく対人戦は誰も経験していない。剣術基礎の実習で一対一の対戦を時々するぐらいか。
戦争……戦争か。地球でも戦争はあった。しかし、正直言って、私にとっては本の中の出来事でしかなかった。受験対策の参考書や教科書で、紛争や世界大戦を学ぶばかりだったから。こんなことを言ってしまうと不謹慎なのは、頭ではわかっているけれど。
だが、自分がそう遠くない未来に当事者になると言われると話が違う。
もはやここは第二の故郷みたいなもの。だから失いたくはない、けど……
「ハルカ、どうした?」
「わっ! びっくりした!」
我を忘れて色々と考えていると、いつの間にかすぐ横にユーリがいた。
「みんな、もう帰ってるぞ?」
「え? ……あ、ほんとだ。気づかなかった」
「一緒に帰ろうか」
「う、うん」
ユーリに促されて座席から立ち上がった。膝が微かに震える。転びそうになったところを、ユーリが支えてくれた。
「大丈夫か?」
「うん、全然大丈夫……」
立った拍子に、ふと祭壇の絵画が目に入る。ひとつ希望が見えた気がして、そのとき、景色は少し色づき、地に足がつくようになった。
「そうだ。ちょっと待ってて」
巫女の力を使えば、ひょっとするとコグニス様の意見を聞けるかもしれない。私は、札を取り出して絵画の前に跪き、見よう見まねで祈ってみた。
すると……微かに、しかし確かに、頭の中で知らない声が響きだした。
――ハルカ。あなたにはこの声が聞こえるのですね。私はコグニス神の使いです。どうか……あなたの力で、この国の危機を救ってください。極東の女神のご加護に、我らの加護を加えましょう――
そこで、声は途切れてしまう。目を開くと、私の手はうっすらと黄金色の光に包まれていた。
今回は少しシリアスでした。それと、書いてることに飛躍がないか心配……
皆様のご指摘をお待ちしております。
次は、また和やかな雰囲気に戻ります。……嵐の前の静けさというべきか……





