第57話 薄桃色に輝く時空
こうして迎えた春祭り当日。
初めて回る春祭り。初めての……好きな男の子とふたり腕を組んで回る祭り。
図書館裏で告白したあの日から毎日、喫茶店やら、図書館やら、ふたりでいろんなところに行っていろんなことをした。
だけど、まだ慣れない。
いや、少し前までは一緒にいたって別にどうということもなかった。ユーリは私にとって、多分ただのパーティリーダーだったから。だけど、今は違う。近づけば心臓が跳ね上がり、離れればさっきまでの温もりが名残惜しい。
ただ……何れにせよ、彼といる時間が、空間が、愛おしい。景色が変わったとはこのことだ。
ちゃんと地面を踏んでいるか怪しいほどのふわふわした気持ち。周りを囲むあらゆるものがキラキラと輝いている。甘酸っぱい空気にクラクラしそうになりながらも、心は暖かい。お酒はないけど、酔っているみたいだ。
彼と私のふたりきりの空間がここにあるように感じた。
ふたりだけの特別な時間が、そこには流れている。
行き交う他人とは全く違う時間軸がここにあって、彼らと私たちを隔てる壁のようなものがぐるりと取り巻いていて、他人事のように外を眺めている。
私たちだけが、違う世界の中にいる。透明な、繊細な、それでいて存在感を放つ……緻密なガラス細工でできた部屋の中。
――ユーリも、同じこと考えてくれているのかな……
「ハルカ?」
「ふぁいっ!」
考え事をしていたら、名前を呼んでくれたのに間抜けな声を出してしまった。しかも、さっきまで隣で歩いていたと思っていたのに、いつの間にか怪訝そうな顔をこちらに寄せていた。恥ずかしすぎて顔が火照る。
「どうした?」
「な、なんでもない!」
「なんでもないようには見えないが?」
「え、えと、そのぉ……」
「俺に話せないことか?」
少し険しい顔をするユーリを見て、彼に隠し事しても無駄だと悟った。気恥ずかしいけど素直に言おう。
「……ユーリと一緒にいる時間は特別だなあ、幸せだなあって考えてたら、急にその本人の声がしてびっくりしただけだよ」
「えっ」
目を見開き、一瞬固まるユーリ。そんなに予想外の答えだったのかな。
普段は色白の頬を赤く染めて、いや耳まで真っ赤にして、そっぽを向いてしまった。かと思えば、手だけを私の方に近づけてきたので、私は彼の手を握る。また、さっきまでのようにふたり並んで歩く。普段の彼のクールな様子からは想像もできない。
「……すまない」
「何が?」
「いや、その……疑ってしまった」
「何を?」
「ハルカを信用してないとかじゃなくて……昔、ジャックスの失恋話を聞いたことがあってな」
「うん? ……あぁ、ジャックスの話は知らないけど……私が他の男子のこと考えてるとでも思った、とか?」
「……本当に、申し訳ない」
真剣な顔をして謝るユーリ。私は、思わず吹き出してしまう。
ふと、中学の時の彼氏を思い出した。賢くて、優しくて――ひどい彼。あの人は私の浮気を一方的に疑って束縛しておきながら平然としていた。対して目の前のユーリの、なんとピュアなことか。そんなに謝る必要ないのに。
「あっはは、まあクラスの男子率からしてそれ疑うのも無理ないよね。でもそんなの絶対あり得ないから! 私はユーリしか興味ないもん!」
と、笑いながらそう言った自分の声が大きすぎることに気づき、今度はまた私が顔を赤くする。
「……つ、次どこ行く?」
「……そう、だな……」
春祭りでは、クラスごとに模擬店を出す。普段は鍛錬に使われる中庭には屋台が所狭しと並び、甘い香りやらソースの香りやらが漂っている。会計や調理などの担当は、有志によることが多いらしい。その内訳は、クラスに貢献したいというものからぼっち回避というものまで、様々。私たちは店の外装を担当し、祭りの当日はずっと自由だった。
「春らしいのがいいなぁ」
「お、ちょうどいいところに」
ユーリの視線の先を見れば、そこにはパンケーキのお店があった。しかも、看板には大きく「さくらパンケーキ」の文字。私は一瞬で心を奪われてしまう。長蛇の列ができていたが、構わずふたり最後尾に並んだ。
「というか、この世界にも桜なんてあるんだね」
「ん? どういうことだ?」
「……私の故郷にしか、咲かない花だと思ってたから」
そういえば、こちらの世界にやってきたあの日も、故郷は桜が盛りだった。
模試の帰り道だったかな。神様が住むあの森には、桜色のカーテンがひらひらとしていた。
懐かしいと物思いにふけるうちに、自分たちの番が来た。
「いらっしゃいませ、ご注文はお決まりでしょうか?」
「はい、さくらパンケーキをふたつ……って、あれ、セレーナ?」
普段は大人しくて、毎日昼休憩に会っていても肉声を聞くのは稀……そんな彼女が、接客をしていた。
天使のような笑顔を浮かべて、天使のような声をして。ついでに言えば、メイド服を着て、白い猫耳をつけていた。彼女の綺麗な銀髪と華奢な体によく合っている。
「は、ハルカ先輩……! と、隣にいらっしゃるのは……ユーリ先輩っ……?!」
急に慌てた声に変わる。かと思えば、他のクラスメートの背後に隠れる。彼女は人とすれ違うたびにステラの背後に隠れていたから、見慣れた光景だ。
「何よー、さっきまで順調だったじゃない」
「だって、王子様とお姫様が一緒にっ……」
「王子様? えっ、ユーリ先輩が来てるの?!」
「うん。か、かのっ……えと、ハルカ先輩と一緒に……」
「「見たいみたいー!」」
さすがはクールインテリ美少年。年下の女の子たちに人気らしい。店員をしていた第一学年の女の子たちが一斉にやってくる。黄色い声とともに。隣のユーリはたじろいでいる。
その間に、調理係をしていたらしい男の子が、パンケーキをふたつ焼き上げ紙に包んで私に手渡してくれた。彼のファインプレーに感謝しつつ、お代を払って受け取る。
「ユーリっ、行こっ?!」
「あ、あぁ」
少女たちに囲まれ身動きの取れなくなっていたユーリの腕を左手でガシッと捉え、右手にパンケーキを持って、なんとか人波から抜け出した。できるだけ早く、その場から離れようとする。残念そうな声が後ろから聞こえるが、気にしない。
「ここなら人も少ないね」
「ありがとうな、ハルカ。助かった」
「そんな大したことしてないよ」
無我夢中で走った先には、桜の木があった。
薄紅よりもさらに淡い……あの独特の儚い色で、空をいっぱいに覆っていた。
「すごい……ほんとに、桜が咲いてる……」
「綺麗だよな」
「うん。すごく……」
桜の木の根元。ふたりで並んで座り、さっき買ったパンケーキを頬張る。
桜の花から、ピンク色のパンケーキから、甘い香りが漂ってひとつになる。
そこに、一陣の風が吹いた。つむじ風が柔らかく繊細な花弁を運ぶ。
酔いしれそうなほどの桜の香りと、輝くような花吹雪。それらが、私たちふたりを優しく包み込んでいた。