第4話 少女の秘密
ハルカは、由緒ある家系の子孫であった。
母方の血筋は、清月家の流れを汲む。もうかなり昔だが、その家に生まれた娘はこの神社の巫女として「神様」に仕えてきたのだ。
見かけは年若い少女。しかし「神様」はこの家の変遷を、何世紀にもわたって見つめてきた。大事な巫女だから。唯一彼女の気持ちを分かってくれて、人々に伝えてくれる存在だから。
この神社は、無名だったとはいえ、その神秘性から、近辺に住むごくわずかな人々には心を許すかのように、静かに、それでいて深く慕われていた。「神様」の代弁が出来る巫女は、同じくらい慕われ、信仰されていたのだ。
そんな中、事件が起きた。まだハルカの祖母も生まれていない頃のことだ。
ある名高い絵描きがこの神社の美しさに感銘を受け、筆をとった。たちまちこの神社の名声が上がり、ここを訪れる人が急に増えた。一人の人が訪れればその人が友達を沢山連れてくるといった具合で、参拝者はかつてない数となった。
当時の巫女も「神様」も、初めはなんとなく嬉しい気持ちだった。沢山の人に出会えるから。しかし、次第に荒れていく森、疲弊する神主や巫女、評判が立つにつれエスカレートする「神様」への願い事……彼らはとうとう、一時的に神社を閉鎖するという決断をする。
それに関し、人々があの絵描きに対して抱く不満が芽生えた。美しい神社が閉ざされたのは彼の絵のせいだ、とばかりに、批判が膨らんでいく。
名高かった絵描きは、一気にその評判を失った。どんなに美しい絵を描いても見向きもされなくなったため、生計を立てるのが困難になり始めたのだ。
彼はその神社を恨んだ。
その神社の神に呪われたのだ、などと言って、自分に向けられたものの数倍ほどの怨嗟を、たった一人で発散し始めた。
その波は、ゆっくり、ゆっくり、尾ひれを次々にくっつけながら、彼のファンや何も知らなかった人々から広がっていった。
《細やかなることは、つゆ知らずなりぬ。かの言の葉らのあながちなるは、我もその心を読まんとしけれど、え分からざりき》
「神様」が分かったのは、強引な言いがかりをつけられ陥れられた清月家がとうとう社を追われる結果となった、という事だけだった。
神社の近所の人々は味方だったため、巫女だった女性は一般人として職を得ることができた。そのまま、彼女の代から、清月家の一族はひっそりとした生活を送ってきた。
しばらく、別の人が代わりにこの神社を管理していたが、やがてそれも途絶える。
人の手に穢された景観も助け、いつしか、誰一人その神社を記憶する者は居なくなっていた。
境内は元の閑さを取り戻し、そのまま何十年もの年月が流れ……今ここにあるのが、昔と変わらぬ姿で力強く輝く生命の森と、昔より傷みの目立つ寂れた神殿である。
変わったのは、「神様」が独りになったということ……それだけだった。
老朽化の始まった神社、そこで放置され続けた「神様」、何も知らない巫女の子孫。
彼らが、ここで、この神社の真ん中で、ついに出会ったのだった。
「えっ……と、じゃあ……」
ハルカは、ただ目を見開き、燐光を纏う少女の顔を見ていた。
《……さればこそ、そなたには、力あり。巫女たるにふさわしき力。そなたの先祖から受け継ぎし、大いなる力が……》
「……力?」
《さよう。現にそなたには、我が身が人のように見えざらんや?》
「……は、い、見えます」
《その力なき者に、我の声ぞ聞こえざる。我が身は見えざるか、見ゆともただの光なり》
「……」
その力は、ハルカの母や祖母には発現しなかったという。しかし、ハルカには隔世遺伝したのだ。
《巫女は、我ら神に仕えたる者。我が言を、我が意を、民に伝えるがその役目なり。そのための力、そなたは大いに持ちたり。さるべき……、疑いようなき、我に仕うるべき巫女……》
「ちょ、ちょっと待って……ください!」
ハルカの声は、冷たく澄み切った空気によく通り、森の中でこだまする。
目を見張っているハルカの周りを、あの色とりどりの光の粒が取り囲む。頭上には、瞬く星々が降り注いでいる。彼女を、あの不思議な香りが包み込む。
「それじゃあ私は巫女……に、ならなきゃいけないのですか?! 私は何も知らないのに!?」
《さにあらず。巫女なる職は、そなたの先祖が追われし日より途絶えたるべきものなり。……ハルカよ。そなたは、ただ我に顔を見せよ》
「えっと……ここに、来るだけで良いんですか?」
《しかり。……人目離るる時こそ、神の死なれば……》
「え、神様って、死ぬことあるんですか?!」
《我ら神は、人の心にこそ生きたるものゆえ……》
「……へえ……」
神の死。そんな概念を初めて突きつけられ、ハルカはただ黙ってしまった。
《! もうあけぼのなり。そなたも帰るときぞ!》
そう言われて東の方を見ると、確かに夜明けの空だった。
黄金色に輝く太陽が、神社の森をこの上なく美しく照らしている。辺り一面が光りだす。
しかし、ハルカはその神々しい光景に目を見張りながらも、心は上の空だった。
さっきまで闇夜だったのが、突然明るくなったように思われた。だいたい六時だろうか。
夜に溶け込むように、隠されているように感じられていたその風景は、朝の光で露わになった。
清々しい朝の風がハルカの体を包み、通り抜けていくようだった。
あの光の粒がまた森の出口に向かって流れ出す。
どうやら、家まで誘導してくれるらしい。
これらが何なのか「神様」に聞けば、この森に宿る精霊たちだという。
《そなたが来れば、彼らも喜ばん》
微笑みながら、「神様」が言った。
誘導されながら気づいた。
この神社が、通学路の途中にあるのだということに。
道の出口に立ち、日の出の光に照らされた道を見回せば、よく知った場所だったのだ。
「もう大丈夫だよ、ありがとう」
そう声をかけても、精霊たちはついてきた。
家に着いた。
ドアから入れば、その音で家族が目を覚ましてしまう。さっきは窓から家を抜け出したので窓は開いているが、二階だから手が届かない。そう思い、困って佇んでいると。
翠緑色の精霊たちが、ハルカの周りに集まってきた。
無数の光が彼女を取り囲み、周りを回っていた。
次の瞬間。
「えっ……きゃあ!」
ハルカの体が宙高く浮き上がる。
そのまま、気づけば自室のベッドにいた。
精霊は、人間にはない不思議な力を持つ。
風の精が中心となって、彼女を助けたのである。
疲れたハルカの体に突如睡魔がやってきた。そのまま何事もなかったかのように二度寝して、いつも起きる時間に居間へ行き、学校の支度をして、いつもの数倍眠い授業を受けて……なんて事のない一日を過ごすうちに、もしかして昨日のは夢だったのではなかろうかと思い出した。
しかし、彼女の脳裏に、ある言葉がまたよぎった。
神の死。
帰り道、居ても立っても居られない思いで、昨日覚えた道を進んでいく。
「こんなとこだったんだ……」
昼の太陽に照らされた風景は、真夜中のそれとも、早朝のそれとも違っていた。
だが、神秘的なことに、変わりは無かった。
キョロキョロと見回しながら、本殿に向かう。
「……神、様?」
《……! ハルカよ! 早速来たるか!》
嬉しそうな、「神様」の美しい鈴のような声を聞いた。
いかにも嬉しそうな、最大限にほころんだ顔を見た。
――これを見られるのも、私だけなんだ――
そして、何か分からないが、何かの全てがストンと腑に落ちるような、そんな感覚があった。
その日からずっと、彼女はこの神社に通っている。
神というより、「友達」に会うために。