第3話 少女たちの出会い
神谷晴華――ハルカには、目の前に少女が見えていた。
十二単を身に纏った、燐光を放つ少女――それが、「神様」の本当の姿である。尤も、彼女以外の人物にはその代わりに光の玉が見えるのだが。
話を聞く限り、少なくとも千年はここにいる。しかし、それは神々からすればまだまだ短い年月であり、声や外見は年若い少女。
今までの生涯のほとんどは古語で話してきたため、彼女は現代語(口語)をうまく話せない。しかし、ハルカはそれがいいと言った。古典の勉強になるかも、という期待をしたからだ。
当然、神の身ゆえ、人間にない強大な力をも秘めている。
「若くって年上で何でもできちゃう」人から古文や漢文を習っているというのは、あながち間違いではないのである。
それを「彼氏」という設定にしておくことで、ハルカはこの特殊な関わり合いを隠そうとした。
「最近参上できず、申し訳ございません。色々と忙しかったもので」
《試験かありけん?》
「そうなんです。でも、やっと終わりました。今日からまたいつものように参ります」
《良きかな。……人目の離るる時こそ、神の死に等しかるゆえ……》
「……そうでなくっても。私は、神様とお話しするのが楽しいんですよ!」
それを聞いた神は、顔を綻ばせた。
本当に嬉しそうに。
「あっ、お香か何か焚いてるのですか?」
《しかしか。我の好く香なり》
「……これって……私たちが初めて会った時の……!」
――彼女たちが初めて出会ったのは、ハルカが中学生の頃だった。
彼女は、自分をいたって普通な少女だと思っていた。
母親は慈悲深い人だ。心から自分を愛してくれて、全力で支えてくれているとわかる。父親も、働いていて家にいる時間が短いなりに、最大限に自分のことを思ってくれている。
学校でも、友達とバカな事したり、一緒に勉強したり、流行りの曲や漫画について語り合ったり。
そして中一の頃、同世代の友達と同じように反抗期を迎えた。
過保護な両親に対して、何度も軽くあしらったり、荒い言葉を投げつけたりした。
しかし、そんな彼女に対してさえ、全てを包み込むように受け入れてくれる両親を見れば、結局いつも反抗心よりも罪悪感の方が上回り、口を噤んでしまう。
結果、誰よりも早く、この誰もが通る道の果てにたどり着いた。
ちょうど、そんな時期だった。
ある夜、彼女は夢を見た。
そこいらに、霧のような、靄のようなものが立ち込めている。それは……どこか、なぜか、懐かしいような……彼女の心を揺らす、不思議な香りをしていた。
目の前に、若い女性と、若い男性がいる。その語らい合う様子から、彼らの仲がいかに睦じいものか分かる。
何を言っているかよく聞こえなかったが、和やかな声が響く。顔はよく見えない。だが、長く真っ直ぐな黒髪を持つ女性を見たとき、後ろ姿だけで、ああ美しい人だな、と思った。
女性は、手に何やら服を抱えていた。真っ白に光る装束と、真っ赤な袴。
彼女の脳裏にその鮮やかな色彩が焼きついた時……目が覚めた。
――ハルカは、未だかつて、そんな服を見たことがなかったはずなのに――
それから数週間して、その紅と白とを忘れそうになっていた時、また夢に二人が出てきた。
女性は今度は、美しい白の服、鮮やかな紅の袴を、しっかりと身に纏っていた。
そして、この上なく華麗な舞を舞っていた。
今度は、彼らの顔をよく見ることが出来た。二人ともこちらを向いていたから。
どこか、記憶にある……しかし、名前はおろか、彼らについて、ほとんど何も思い出せなかった。
ただ、既視感のような「何か」が、彼女の脳裏をくすぐるだけだった。
と……二人と、目が合う。どきりとする。
――ハルカ。
自分の名前を呼ぶ、男性の声がした。
耳に聞こえるのではない。脳内に響くような声だった。
――ハルカ。君に、知ってもらわねばならない事がある。だが、ここで全てを伝えるより前に、朝が来て、また離されるだろう。
その声は、一続きの言葉を語った。
――行きなさい。神社に行きなさい。そうしたら、「神様」が……
女性が動きを止め、こちらを見据え、男性に代わって話し始める。
彼女が口を閉じるより前に、その二人の姿は、白い靄にかき消されてしまう。
その靄と共に、不思議な、それでいて覚えのある香りに、ハルカの身が包まれていく……
ハルカは、うっすらと目を開けた。
窓の外は、まだ闇夜だった。
真っ暗な空を彩るように、沢山の星が見えた。
闇に縁取られて、鮮やかで……いや、あれは星ではない。
色とりどりの光の群れが、うごめいている。
ハルカを手招きするように。窓の外へ外へと、誘うように。
彼女は、まだ夢見心地のぼんやりとした頭のまま、夢遊病のようにふらふらとした足取りで、窓枠に手をかけ、足をかけた。
裸足で、パジャマのまま、何も考えず外に飛び出す。
暖かな常夜灯の灯る部屋から一転し、広がっていたのは冷たく鋭い真夜中だった。
しかし、彼女の周りには、さっきのような光の群れが取り巻き……彼女を導くように、一斉に同じ方向へ「流れて」行った。
導かれるまま歩いて行った先こそ、あの神社だったのだ。
本殿で明々と輝く、小さな火が見えた。
建物の真ん中。そこから、煙が立ち上り、辺りに広がっていく。
「あっ……いい、匂い……」
ハルカは、思わずそう呟いた。
桜のように甘い。かと思えばキンモクセイのような重苦しい匂いがチラチラと見え隠れしている。いや、爽やかな海風の香りがサッと流れていき、しかし後には氷のような冷たさが残る。
――こんな香りに出会ったことはなかったはず……なのに、何故か、どこか懐かしい。私を包み込み、それでいて心を揺さぶり続けて――
《……そなたが、ハルカか?》
突然、声が聞こえる。
火のそばを改めて見れば、今まで気に留めていなかったが……青白い、「何か」がある。
いや、それは、人だった。少女だった。美しい和服に身を包み、美しい顔立ちが火に照らされて輝いてよく見え、そして、美しい燐光を放っていた。
「……綺麗……」
《我がか? さように言わるるは初めてなり》
その少女は、嬉しそうに微笑んだ。この上なく美しい、鈴のような声を弾ませながら。
その声音から、気さくな人だとわかった。少なくともハルカの直感が、そう言っていた。
《我は、この社に宿りたる神なり。そなたはハルカなりや?》
「……えっ……は、はい……。神……えぇっ?!」
《さればよ。……そなたが先祖の霊より、言ありなん》
「……え?」
《そなたは……出自を、知りたるか》
「……出、自……?」
ハルカが、何のことかわからないと戸惑う中、「神」を名乗る少女は、構わずに話し始めた。
彼女自身すら全く知らなかった、彼女の秘密を。