閑話 悲願の叶う時
時は少し遡って。
ソフィアもまた、この変化に気づいていた。
彼女は、魔力を持たない。生まれつき、他の仲間のように魔法を扱うことが出来ないのだ。だが、彼女の華麗な槍捌きは、そのディスアドバンテージを補い、さらに他を遥か凌駕するに充分足るほどのものだった。彼女は第一線に立ち、龍族という強者にとっては微かなものであるにせよ、最大限の傷を与え続けていた。
何度、ドラークの硬く強靭な鱗に槍先を突き立てた頃だろうか。
「えっ……なに、これ?!」
体の中へ、何かが流れ込む感覚。全身に纏う皮膚の表面から、何かしらの抵抗を押し切り、流体のようなものが入り込んでそのままゆっくりと流れ巡る。
血の流れだろうか。……いや、それにしては初めての感覚だ。
ただ流れ巡るだけではない。
体内に、今まで塞がっていて気付きもしなかった道のようなものがあって、その塞がれたものを無理にこじ開け押し除けて進むような。
いつの間にか「それ」は、まるで昔からあって内側から次々と生まれてくるかのように、体を巡っていた。
どこからやって来たの?
いつからそこにあったの?
初めての感覚だ。
「くっ……!」
それは、彼女の体を蝕むように、痛みとともに無理やり駆け巡る。今までにない圧迫感が、全身を襲う。
思わずうずくまってしまう。このまま、体が壊れてしまいそうで。痛みに顔を歪める。立っていられない。だが、槍を杖にするのだけは何があっても避けたかった。それでも、願わくは、地に膝をつけたくなかった。
――大丈夫、ドラークはオットーが引き付けてくれてる。こっちには来ない。ユーリが、戦ってくれてる。だから大丈夫。私は……
何とか持ち場を離れ、遠くの木に掴まって立つ。
「ぐっ……はぁっ……」
体の違和感が、ようやく少し和らいだ。慣れただけかもしれないが。とにかくどうにか持ち堪えた。少し落ち着いたところで、彼女は何気なく、手首のブレスレットに目をやる。
そうして、目を疑った。
このブレスレットは、魔力に反応する石で出来ている。身に付ける人の適性に応じた色の光を放つ石だ。
彼女のそれは、今までどんなに願っても、ただの白い石でしかなかった。それなのに。
うっすらと、翠緑色の光を帯びていたのだ。
「……う……うそ? どういうこと? 本当に?!」
何度目を擦っても、頬をつねっても、この光は消えない。彼女の目は、次第に見開かれ、涙が浮かんでくる。
そうしているうち、体が再び悲鳴を上げ始める。
――そうか。この流れは魔力なんだ。これが、みんながよく言っている「魔力の流れ」というものなんだ……!
今まで何も流れなかった魔力回路に、突然に大量の魔力が強引に流れる。そんなことが起ころうものなら、常人ならば発狂するほどの苦痛が人を襲うものだ。だが、ソフィアは既に、武人だった。そして、それ以上に……
夢にまで見た、願ってやまなかった、どんなに願っても叶わなかった、そんな悲願が今、叶おうとしているのかもしれない――その感動は、彼女にとって、この程度の痛みなど軽々しく忘れさせてしまうほどのものだったのだ。
「かっ……風、よ……」
上擦ったような声で、呪文の詠唱をする。
それに呼応して、彼女の周りの空気が流れ始める。暖かく柔らかい風が、彼女の頬を優しく撫で、一つに纏めた栗色の髪をなびかせる。ブレスレットの光が、微かに強くなる。
それだけで、彼女は涙ぐみそうになった。
半ば諦めながらも――万が一、自分が魔力を手にした時のことを夢見て、今まで誰よりも多くの魔法知識を蓄えてきたのだ。
この高ぶった気持ちでは、頭が真っ白になりそうだったけれど。
彼女は、言葉を続ける。
「風よっ……刃と、なりて……かの龍をっ……穿てっ……!」
すると。
突如、風が彼女の槍先に集まる。
ただの空気であったはずの風が、柔らかく優しかった風が、槍先と一体化し、大きく膨らんで、鈍く冷たい輝きを持った刃と化す。
「……はっ!」
呆然としてしまう心を辛うじて現実に引き戻し、気合の声と共にドラークに斬りかかった。
ドラークが負ったものは、今までになく深い傷だった。
「――っ!」
喜ぶままに、声が出た。その声は、言葉を一切乗せずとも、彼女の感情で溢れていた。彼女の目に、涙が溢れた。
――この直後、ユーリがとどめを刺してドラークが倒れる。
そこで、彼女の体に、突然思い出したかのように痛みが走った。
とうとう堪えきれなくなって、倒れ込んでしまった。全身に優しい微風を纏いながら――





