第2話 少女の向かった先
ハルカは、小路をずんずんと進んでいく。
人が二人、互いに体をすれ違わせることができるかどうかというほどの細い道。
その入り口から先を見ると、道がどこまでも続いているように見える。
さらに目を凝らして遠くを見ようとすれば、かすかに森が見える。
木々が密生していて、見るだけで圧迫感を覚えるほどだ。
この小路は、進めど進めど分岐点がない。
ただ、終着点である森に向かって、曲がりくねっていながらもただ一つの線が繋がっているのみだ。
進むに従い、地面はアスファルトから土へと変わっていく。
ただでさえ細い道が、さらに狭くなっていく。
どこかにぎやかな場所に繋がる裏道ですらない。
ただ、窮屈そうな森に向かって進むのみだ。
たった一本しかないこの小路を、わざわざ通る人はほとんどいない。
それを、ハルカは慣れた足取りで進んでいく。
小路を三分ほど歩いたころ、足元に突然草むらが現れる。
見上げれば、その木立の高さに圧倒されざるを得ない。
森に着いたのだ。
ひとたび中に入れば、意外にその視界が開けていることに気づく。
森の周縁部は、中を護るように、大きい木々が取り巻いている。
外部から、中の様子はわからない。
しかし、その「壁」を潜り抜ければ、そこには神秘的な風景が広がる。
うっそうと茂る木々、柔らかな草、コケ、花々。
その間を縫うように駆け巡る、小さな昆虫や小動物。
今の時期であれば、植え込みの桜の花弁が舞い踊り、空中にカーテンを作る。
時折、水の流れる音が聞こえる。細い帯のように流れゆく小川があるのだ。
その水の透き通っていることはこの上ない。
加えて、春の陽気が霞を作り出し、そのぼんやりとした輝きが、辺りの景色をさらに幻想的なものにしている。
木立の暖翠が美しい。
空高くそびえたつ木々に護られたこの森の中では、絶え間なく動き続ける生命の清らかなハーモニーが奏でられているのである。
この森に通じる道は一本だけ。あの細い小路だけである。
そして、この小路を通る人間は、いまやほとんどハルカだけと言ってよい。
彼女の友人の一人に、幼少期、毎日ここに通っては小動物と戯れていた少女がいる。が、彼女は小学校中学年ぐらいでここを訪れなくなった。
それゆえ、今となってはハルカだけが、この地の来訪者なのだ。
その美しさ、それを知る人の少なさ、この森は、秘境と言ってなんら差し支えはないだろう。
土の地面はしっかりと踏み固められている。
森に入っても、まだ道は続いているのだ。
両側が、ちょうどハルカの膝くらいの高さの草むらに覆われている。
彼女が五歩くらい歩いたあたりで、脇の草むらから何かが飛び出す。
それらは、一見すれば蛍のようである。
眩しい光を放つ小さな玉が、生きているようにいくつもいくつも舞い上がるのだから。
しかし、ちゃんと見ればそれらが蛍ではないことは明らかだ。
その光に、影を持った体はない。光だけが独立して動いている。生きている。
そしてその小さな光は、黄緑色の鋭い光ではない。
どちらかといえば、燐光のような、火の玉のような。明るく眩しいけれどどこか優しくて、でもその小ささに似合わない存在を放っていて。
何より、色が違う。
どの二つをとっても同じものがない。一口に赤と言っても、緋色、朱色、ワインレッドに深紅……。一口に青と言っても、水色、浅葱、コバルトブルーに紺青……。緑に黄色、橙色に紫色。
空にかかる虹の無数の色を、すべて分解して無数のかけらに出来るならば、だいたいこの不思議な蛍のようなものを再現できるだろう。
この上なく彩られ華やかな、光の戯れ。
その光の群れが飛び上がるように舞っているのを見て、ハルカは微笑んだ。
「最近忙しくって、会えなくてごめんね。でも、今日は来たよ」
それを聞いてだろうか、無数の光の粒が、さらに飛び乱れる。
まるで喜んでいるかのように。
「ふふ。みんな元気そうだね。よかったよ」
彼女は、顔をさらに一層綻ばせ、光の粒の群れに手をかざす。
その手が薄く光を帯び、それに呼応するように、色とりどりに光る粒たちがあらゆる方向から、ちょうど懐いた猫が体をすり寄せるように集まってくる。
それを撫でるようにした後、彼女はその場を離れた。
いくつかの光は、彼女を慕うように、ふらふらとついてくる。
さらに小路を進んだのち、ハルカは足を止めた。
目の前に、立派な神殿がある。
そう。
これこそが、この森の中心である。
この森は、神社の神域なのだ。
そして、その本殿が森の中心にあって、鳥居がない代わりに外側を囲む木々が結界として機能している、そんな神社である。
古代に建立されて以来、まったくの無名である。
いや、孤高を保ち続けた、というほうが正しいかもしれない。
神主は世襲制、巫女も世襲制でかつ処女でなければならないという原則を固く守り、アルバイトのような外部のものはまず入り込むことがない。
もはや誰が建てたかすらわからないが、建築の随所に残る装飾からは、もとはとても立派な神殿であったことがうかがえる。
手前に、神楽殿がある。
かつて巫女がこの神社に仕えていた時代、ここで一子相伝の神楽舞が奉納されていたのだ。
そこから少し遠くに目を移せば、本殿がある。
神籬が、美しい建物に守られている。
ハルカはそれに向かって手を伸ばし、瞑目した。
厳かに、口を開く。
「――神様。ハルカでございます」
先ほど友達と話していた時からは想像がつかない、透き通った、凛とした、大人な、それでいてどこか甘えたような声。
次の瞬間。
神籬が、青白い光を放った。
その光は、するりと軽やかに岩を離れ、神殿の柱を潜り抜ける。
ハルカの前まで駆け寄るように飛び跳ね、「口」を開く。
《ハルカよ。いま姿を見せたるか。なんぞ来ざりけん、寂しかりき》
その雰囲気こそ、古語なのもあり荘厳に聞こえるが……そこに響いた声は、ネアカの少女のそれだった。
――「彼女」こそ、この神社でまつられている神であり、そして、ハルカの大親友なのである。