第24話 そんなこと言われましても……
「グヒュ?」
「……ひぇっ?!」
不気味な鳴き声に、慌てて後ろを振り返る。
すぐ後ろに、二足歩行のケダモノ……いや、これが何か分かる。魔物学にあった。
トロール。ゴブリンに似て非なるもの。間抜けだけれど強いもの。
「ひっ……!」
声さえ出ない。
次に――あの時のように神様が助けてくれたら、と思って、お札を探す。
……あれ、どこだっけ?
「神様っ……助けて!!」
《ハルカよ! 札を出さねば、我になすすべなし……!》
「えっ、うそ?!」
クレンが走っていった方向を見る。どうやら、かなり遠くまで行っていたらしい。気づいてくれない。
そしてふとトロールの方を見る。にぃっと顔を歪めながらこちらを見ている。至近距離で。
ソレはいきなり殴りかかってきた。力は強いと習ったから、攻撃を受けたらひとたまりもないだろう。だが、札を探す間もない。魔法も使えない。よって、武器が何もないのだ。
絶望。
それが頭をもたげ、私の頭は、体は、鉛のように動かなくなった。
「……! グッ……グヒャア……」
いきなり、目の前のトロールが崩れ落ちる。
ソレの腹部に、血が滲んでいる。
ソレがいた場所に、代わってひとりの少女が立っている。
全然知らない子だ。
私の頭は混乱していた。
緊張の糸が切れ、真っ白な頭のまま無言でヘタリと座り込んでしまう。
一方、彼女は口を開く。甲高い声。
「何やってるの?! 死にたいの?」
「え……」
「ボケッと突っ立ってんじゃないわよ! さぼらないでよっ、さっきから何もしてないじゃない! ここで学ぶ気あるの?! ないなら帰って。迷惑なのっ、いいえ、目障りなの!」
いきなり叱られた。
叱ったかと思えば、反論も感謝も謝罪もさせず、すぐ走り去ってしまった。
――何なの、あの子。
命の恩人なのに、ついそんな思いが浮かんでしまう。
木陰に座り込んでしまったまま、彼女の方を見る。
すぐ、その強さを知ることになる。
彼女の武器は槍らしい。それも、複数の槍を自在に操っている。彼女の手足だ、なんて言葉では陳腐かもしれない。それに、そんな言葉以上の動きを見せている。彼女の持つすべての力が、槍先の一点に集まっているようだ。
身のこなしもまた、綺麗。詳しいことは分からないのにこんなことを言っていいのやら知らないが、彼女の体全体が、槍と一体化しているみたい。
――仕方ないじゃない。私は、あの子のようには戦えないんだから……
心の中に渦巻いたモヤモヤは、やがて、一つの思いつきに変わる。
すなわち、私でも、自分が気づいていないだけで何かが出来るのかもしれない、と。
私は、魔法が使えない。剣術は授業でやっているけど魔物を殺すことは出来ない。だけど……だけど? ……だけど!
本当に魔法が使えないのか? いや、ステラのような精霊術師は精霊の持つ魔力を利用しているじゃないか。私の周りには沢山の精霊たちがいるではないか!
試してみよう!
「水の、精霊よ……」
手を前に突き出しながらそう言うと、青系統の色の精霊たちが、私の手の周りに集まってくる。
その輝きは、いつ見ても幻想的だ。
「……大気なる水をして……矢ならしめ……かの壁を、穿たしめよ……っ!!」
試しに、前の学校で学んだ古典文法の知識で唱えてみる。使役の助動詞の使い方とか色々、合ってるのかな?
すると――精霊たちの群れの周りの空気が、私の声に呼応するように揺らぎはじめる。それはまるで陽炎のよう……あぁ、魔力が動いているのだ、きっと。
その揺らぎは、私の手を中心にして、四方八方から集まってくるかのようである。
しばらくすると、私の手の中に透明な球が浮かぶようになった。かなりゆっくりではあるが、それは大きくなっていくようだ。……大気中から、水が集まっているとすれば……それが矢に変化してくれたら……あの呪文は、正しかったということ……!
浮遊する水玉がピンポン球くらいの大きさになった時。突然それは前方に伸びた。
糸のようにか細いけれど、水が一筋、私が指した壁に向かって走ったのだ。
「わぁっ……!」
自分で作っておきながら、さっきまで目の前で起こっていたことを回想して改めて感動する。
さっきの、この、神秘的な光景……今更だが、信じられない。
やっていることは多分単純だし、魔力を実際に動かしていたのは精霊たちだけれど、でも……私が、現実世界から来た私が、初めて魔法を使った。それが何より、嬉しかった。
けれど……
「……今の矢……壁に届いてすらない……」
私がついそう呟くと、目の前の光の粒たちは左右に体を揺らす。
そんなこと言われたって、あれ以上はムリムリ。無邪気な子供がそう言って首を振る姿が目に浮かぶ。
「まあ、いきなり言っちゃってごめんね? これから、頑張ろうよ! ね?」
今度は、上下に体を揺らしていた。
可愛い。懐いてくれて愛らしい。いつ見ても綺麗。また、彼らを撫でる。思わず、頰が緩む。
「……ハルカッ!」
名前を呼ばれて横を見ると、そこにはクレンが立っていた。目を見開いて、顔面全体から驚きが滲んでいる。
「さっきの見てたぞ! いつの間に、魔法を……」
「えっ……と……」
「今唱えたのって精霊使役の呪文だろ? あれはこの世界でも苦戦する人が多いのに……いつの間に覚えたんだ?!」
現実世界の知識を使ったなんて言ったら、説明が難しい。
一体、どう言ったらいいのやら。