第1話 桜吹雪が舞い躍っていた故郷
所狭しと植えられた桜並木が美しい道路。
硬くて黒いその道は、風が吹けば川となる。
生暖かい風が、薄く色づいた柔らかな丸い花弁を捕まえ、黒いコンクリートをまだらに彩りながら、まるで川のように、どこまでも、どこまでも流れていくのだ。
ザァッと風が通り抜ける音や、葉や砂や花が巻き上げられる音や、小鳥や小動物の声。
生き生きとした自然がめいめいに音を奏で、ハーモニーを紡ぎ出す。
ひとつ強い風が吹き、それとともに花吹雪がくるくると生まれる。
同時に、暖かな春風が、これまでに聞こえなかった音を捕らえ、花弁とともに流していく。
音の主は、その流れと同じくらい軽やかに、こちらに近づいてくる。
ある程度近くなれば、その音に輪郭が生まれ、ひと続きの言葉が紡がれる。
「はー、やっと終わったぁ……」
「いろんな意味でねーっ!」
「ほんっとそれ! ねぇ、打ち上げ的な感じでカラオケにでも行かない?」
「ナイスアイディア!」
時折きゃらきゃらと鈴のような笑い声が交じる声。
甲高いながら親しみ深い、大人びていながら幼さが充分に感じられる声。
「ねー、さっきの模試さー、マジで死んだんだけどー」
「それなーっ!」
「あの古文やばくなかった? 何の話かも分かんなかったし!」
「うん、あれは『はっ?!』ってなった」
「いやいやーっ、ハルカに限ってそれはないでしょーっ」
「いやホントにあれは死んだもん」
「いや、あのさ、ハルカの『死んだ』と私たちの『死んだ』では、レベルが違うじゃん?」
「いやいやいやいや、みんなが見ても納得するって! あれはガチで!!」
ハルカ、と呼ばれた少女は、手をぶんぶんと振りながら何かを必死に否定している。
まっすぐで短めの美しい黒髪が、それに合わせてゆらゆらと揺れる。
声の主は、五人ほどの少女の集団である。
彼女らは制服のブレザーを着こなし、ある者は自転車を押しながら、ある者は地面を歩き、笑いながら帰路についている。
その声音、笑顔から、彼女らの仲の良さが容易にうかがえる。
「ほんっと、高二に進級して早々模試って、うんざりするよね」
「ほんとにねー! 結構、中間テストも早いしねー」
「ハルカは古典いつも満点なんでしょ?」
「へっ?! いや、それはさすがに無理よ!」
「でもいつも九割超えてるでしょ?」
「……まあ……」
「ほらーっ! 満点も九割も誤差の範囲内じゃんーっ!」
「なっ、なんでよ……?」
「現文も高いしさ。まず古典なんか、日本語じゃないじゃん」
「いや日本語は日本語だし」
「どうやって勉強してんのー?」
「ハルカは文系の女神だもんね!」
その言葉に、ハルカは一瞬顔を強張らせた。しかし、すぐに柔らかく笑い、口を開こうとする。
だが、その声を出すかどうかというタイミングで、遮るように話し始める人物がいた。
「だーってさ、ハルカにはーっ、若くって年上で何でもできちゃう『先生』がいるんだもんねーっ」
「えっ……」
ハルカの顔が、一瞬で薄紅色に染まる。
「……ちょっ……。そんな話、私したっけ?!」
「したしたーっ!」
「きれいな人だって言ってたじゃーん、こないだ『彼氏いないの?』みたいな話になった時に、さ!」
「ちっ、違うのっ、違うちがうチガウ!!!」
「あっははは、可愛い反応ー」
「そうそう、あの時『先生って人とはどんな関係なの?』とか『男の人? 女の人?』って聞いた時のハルカの反応がなんか珍しくってまだ覚えてるよ」
「いーよねーっ、好きな人に勉強教えてもらってさ! リア充爆発しろーっ!」
「……」
見る見るうちに、ハルカの顔は赤くなった。
――その赤は、図星という意味ではなかった。ハルカに、彼氏は居ない。しかし、中学の三年間と高校の一年間を共に過ごした友人たちにさえ隠したい、ある「女性」との関わりがあった。便宜上、カモフラージュとしてでっち上げていた「彼氏」の話を突然蒸し返され、この上なくきまりが悪かったのである――
ハルカは、今すぐにでも逃げ出したいという衝動に駆られた。
カラオケは楽しみだったが……そうだ、今日はどのみちその「人」に会う予定にしていたではないか。
そう考えたハルカは、結局、虚構を重ねてしまう。
「あーっと、今日は……その、『先生』と、デート……なんだよねぇ……」
「あーっ、そりゃあ大事だわーっ!」
「もうー、わかったよー」
「行きな行きな!」
「い、いいの?」
「いーよ、カラオケは明日でも行けるしー」
「お・し・あ・わ・せ・にっ!」
「……あ、ありがと。じゃね!」
揶揄を声と顔にこれでもかというほど湛えていながらも邪魔はしないという友人たちの優しさに、ハルカは心から礼を言った。
そして、彼女たちと違う道を歩き出す。
ハルカがある程度遠くに離れてから。
「はー、うらやましいわー」
「ま、いいんじゃない? 中学の時、あの子……」
「皆まで言うなーっ! そんなの私よりましじゃんっ! 私なんか『彼氏いない歴>年齢』だってーのーっ! まさかハルカにまた抜け駆けされるなんてーっ!」
「いやなんで年齢超えてんの」
「胎児期間含むっ」
「……あぁ……。にしても意外だなぁ。中学の時のアレから立ち直ったって事で、まあいい事か」
「……でもさー……、本当に、彼氏、なのかなー……って」
「あの感じじゃ間違いないだろうね」
「……まー、そうだけど……」
友人の一人が、ハルカが消えていった道をいぶかしげに見つめていた。
彼女は、この道をだれよりも知っている。
幼少期、いつも遊んでいたから。
いま一緒にいる友人たちと出会う前は、この場所こそが親友だったから。
――この道の先には、神社しかないはずなのに……
注: 一応、百合ではないです。