第17話 復習という名の予習
私が自分の席に駆け込んだのとクレンが教壇に立ったのは、ほぼ同時だった。
「遅れてすまん。じゃあ始めるぞ」
「うぃーす!」
「クレンが遅れるとか珍しー」
「1分さぼれたぜ!」
「おいジャックス今なんつーた。お前だけ授業延長な」
「そんなっ、お許しください! 何でもしますから!」
やっぱりこのクラスは……ノリが独特だ。
「まあ今日はプリントで今までの復習ってことにするよ。ハルカも入ったばかりだしゆっくり行こう」
「やったぜ!」
「次からフルスピードだがな」
「やってやらぁ!」
そう言いつつ、プリントが回される。
私も受け取る……が、白紙に見えた。
「先生ー、これって魔力通したら見えるやつー?」
「ミハイルの言う通りだ。火で炙ったら問題文が見えて、丸印の位置に合わせて上手く魔力を流せば答えが見える。一問一答と、魔力の流れを自力でコントロールする練習の両方を兼ねてるって訳だ」
「画期的だよねー」
「ちょ、後半が分からない」
「コントロールしないで魔力流したら一気に全部の答えが見えるから注意な」
「あぁー、理解」
つまり……受験生にとってお馴染みの赤シートみたいなことが、魔法で出来るのだ。
魔力の流れのコントロール……つまりは、無詠唱魔法とやらをするための練習だろうか。
みんな、プリントを手にするや否や言葉を唱え始める。
あちこちで「火よ!」とか「炎よ!」とか聞こえる。それに続く言葉は多様だけれど。
「うわっ、火力強すぎた!」
炎よ、と言っていた1人が、焦りの色を帯びた声で叫ぶ。
「え、お前馬鹿かよ!」
「先生、プリント焦げたから新しいのちょうだい……」
「ったく……一年に戻るか?」
ふと隣を見やると……隣の席の少年――ユーリは、手元の小さな紙に、無言で何かを描き始めていた。
繊細な線によって紡がれていく、緻密な模様。
きっと、何かの魔法の「術式」なのだろう。
教室の真ん中でやらかした人がいるらしいが、その喧騒には目もくれず、静かに、淀みなくペンを走らせている。
その模様は、とても複雑な構造美をはらむ。引き込まれるような、不思議な美しさが、緩急のある筆から生まれていく。
そしてそれを生み出しているユーリも、水色の輝く髪と同じ色をした瞳をすぐ前の筆先に向けている。整った顔立ちは、模様の美しさをより際立たせていて……
「何を見ている?」
「えっ……」
彼を見ていたことを気付かれたらしい。
何も言い訳が思いつかず、顔が火照るのが自分でも分かる。
「見られたら集中出来ない。自分の紙でも炙ったらどうだ」
透き通る青をした目をこちらに注ぎながら、苛立っているような、しかし落ち着いて静かな大人びた声で言い放った。
つい、体がすくんでしまう。
「ご、ごめん、なさい……」
ほとんど出ない声で、やっとの事で謝罪した私の言葉を、彼は聞いたのか聞いていないのか、はたまたそれどころでないのか。完全に無視して再び魔法陣に向き合った。
怖い人……そう、つい思ってしまう。
彼が紙の上の模様に左手を当てる。
すると、さっきクレンが見せてくれたかげろうのようなもの――魔力の流れが、彼の手の周りに見えた。
その揺らめきは、すぐに黒いインクに吸収され……いや、その線の上を駆け巡る。輝く「何か」が、水の流れのように走る。
そうして、魔法陣の全ての線に行き渡ったように見えた時だった。
突如、その空中に小さな火が生まれたのは。
暖かな火が、魔法陣の上で輪となって、可愛らしい踊りを始めたのは。
ユーリはそこに、配られたプリントをかざす。
……が。
「……くそっ……だから火魔法は苦手なんだ……」
火力が弱く、上手く炙れないらしい。
それでも、少しずつ文字が浮かび上がっていた。
「あぁー! また穴開いた!」
「お前ふざけんなよー!」
「またか。もう予備は無いぞー。まあ、そっか、オットーは火魔法使わないしな」
またどこかでやらかした人が居るらしい。
そんなのに比べれば、ユーリの静かな火の方がずっといい。
彼は結局プリントの文字を全て、綺麗に浮かび上がらせていた。
かと思えば、書かれてある言葉に目を通してはその横の丸印に指を当てる、という動作を猛スピードで繰り返す。
いや、よく見ると。彼が指を当てた時、一瞬だけ、あのかげろうが見える。
その後すぐに、その印の中にだけ赤い文字が浮かぶ。
きっと問題の答えなのだろう。
いや、よく聞くと。彼は何かを小さく呟いた後で、答えを見ている。
その言葉は、浮かび上がる文字とピタリと一致しているのだ。
きっと、彼は優等生なんだろうな……そう思いながら、様子を見ていた。
「ほら、替えだ」
「やったぜ!!」
クレンが、何度も紙を焼いている少年――オットーに新しいプリントを渡した後、その足で私の席まで歩いてきた。
「これ、ハルカの分だ」
小声で言いながら、私にプリントを渡す。
黒い文字で埋め尽くされている。魔力のない私でも読めるのだ。
「ありがとうございます!」
「次補習するとき、このプリントを持ってきてくれ。ここに書いてあることを中心に教えるから」
「えっと……戦術基礎、ですか?」
「そうだ。……それと、補習の事や、魔力のない事は、人には言うなよ」
「え? ……そうですか、わかりました」
「とりあえず、この紙で用語は一通り整理してあるから、理解しなくていいからなるべく覚えて欲しい」
「……はい」
クレンが去った直後、授業終了を知らせるチャイムが鳴った。
私は、よくわからない用語の羅列とひたすらに睨めっこを始める。
訝しげな視線を、横に感じながら――





