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第112話 闇夜の覇者

「でかい……」



 その言葉だけが口から溢れる。


 いや、もはや脳内の語彙力も、これに尽きる。


 それほど、目の前の異形の姿に圧倒されていた。


 恐れもなく、憎しみもなく、ただその存在感に押されていた。


 コロコロと鈴の笑い声が聞こえる。黒い体の中で縁取られた眼が細められ、青白い光を鋭く放つ。


 グレート・ドラークさえ赤子同然に倒せる私たちだ。だが、立ちはだかる竜があれらと全く違うということは、もはや言うまでもない。色と大きさ以外、体のつくりなどは似ているはずなのだが、見かけではない()()が根本的に違う。邪悪とも威厳ともつかぬ、()()が。



「――いつも通りに戦うまでだ。いけるな?」


「ええ――もちろんよ!」



 そうだ。私たちは、共にここまで来た。


 もうのっぴきならない。


 ならば、やるだけ――怖気付くことなどあるものか。


 人間界のため、なんて大袈裟なことは言わないけれど、自分のためなんて独りよがりなことも言うまい。


 ここに居る仲間。居場所を与え、多くを教えてくれた彼らのために、出来ることを尽くすのみ。



「我が神よ、そして眷属の精霊らよ――我に、その大いなる力を与えたまえ」



 私は静かに、しかし万感の祈りを込めて、そう唱える。



「精霊たちよ――汝らが力を、我が仲間らに分け与えん――!」



 あらゆる色をした光の粒が、私の手に集まったのち、みんなの上へたっぷりと注がれていく。


【精霊の加護=10】を発動させたのだ。


 そこで扇を取り出す。【神楽舞】だ。もうすっかり慣れている。


 視界は暗転した。けれど彼らの力があれば――次に目を開けた時には、きっと全てが終わっているだろう――


 ☆


 いつも通りの布陣だ――竜はそう見て、油断していたらしい。


 虹色に光る剣を振るのは元臣下の少年。傷をつけようとちっぽけな刃を突き立てる少女ふたり。さほど強くも見えぬ精霊を操る姉妹に、少し目を凝らせば解読出来てしまうような魔法を構築する魔導士。


 そして、かつて自らが陥れた、哀れな()()()


 対して今の自分には、この世の何よりも堅い鱗、何物をも焼き払うブレス。こんな幼き()()()相手では少し可哀想かしら、とも思う。


 あのままの姿でも充分勝てただろうに、どうしてこの姿を解放してしまったのか。竜の姿をしながら、魔王はそう呑気に考えを巡らせる。


 彼女は、油断していたらしい。



「――ひっ」



 その時、尾にわずかな痛みを感じた。……それと同時に、喉の奥で短い悲鳴を上げる。



 ――この姿でありながら、人間たちに傷をつけられるなんて。



 少年の聖剣は、彼女の知らぬ閃光を宿していた。いや、この場にいる人間の誰もが、未だかつて見たこともない彩を纏っていた。柔らかく、優しく、明るい光。


 だが、それより。



 ――さっきのはなんだったのかしら。たかが擦り傷で、あんな情けない声まで出してしまって。



 変な胸騒ぎがする。


 このざわめきは、背後で剣を突き立てる人間どもに対してではないだろう。


 玉座が崩れ去るような幻が、一瞬頭を掠めた。そうだ。竜の姿をとる直前に感じたのもこれだった。


 初めてこの肌に傷をつけられて感じたのは、痛みではなく、焦燥と儚さだった。


 たったそれだけで我を忘れて――気づけば、まだ手の内を明かすべからざる今、最終形態を晒していたのだ。



 ――まぁ、遅かれ早かれ、どんな姿をしていたとて同じことよ。さっきはあんなことを言いましたし、せめてわたくしの全力でもって天国に送り出して差し上げましょう。痛くないように、苦しくないように、一瞬で。過分のサービスですわ。



 竜の首が、ぐるりと曲がる。


 まるで虚を突くかのように、なんの前触れもなく口が開いた。


 竜の息吹(ブレス)


 赤黒い炎が噴き出され、いかめしい壁に囲まれた小さな空間を包み込む。


 紅蓮の炎が燃え盛り、辺りを毒々しい光と熱が支配する。



 ――ああ、絨毯を燃やしてしまったわね。仕方ない、明日にでも作り直しましょうか。



 しかし、その炎が消えたとき、竜は目を疑った。そうして、今度こそ畏れを自覚した。


 跡形もなくその姿を消すだろうと思われた人間たちが、先程までと変わらぬ姿でそこに立っていたのだから。


 ☆


 ハルカによる【精霊の加護】があれば、ほとんど不死身になれる。それは、精霊が不死の存在だからだ。


 ブレスを受けた彼らは、当然すぐに死を悟った。だが、彼らの身体に宿っていた水と氷の精霊が即座に強力な魔法を生み出し、彼らを守ったのである。



「あのブレスにも耐えるなんて、お前たちは一体どれだけ強いんだ……」



 ユーリが、飛び交う青い光の粒たちを見つめ、そう呟く。


 続いてハルカを見る。彼女は燐光の壁に守られていた。リンの【神の光】が緊急発動したのだ。


 ひとまず、想いびとの無事に安堵の息を漏らす。


 だが、そこに一瞬の隙が生まれてしまう。



「――ぐっ?!」


「あらあら、よそ見とは、ずいぶん余裕ですわね?」



 身体に衝撃が走る。


 遅れて、痛みが駆ける。


 彼の視界に、黒光りする何かが映る。ようやく、それがあの竜の爪であると思い至った。



 ――肩がやられたか。紫色の靄……毒が仕込まれているのか?



 今度こそ本当に死を覚悟した。今はただ痛いだけだが……いや、もう既に傷口から黒い模様が広がっている。


 なんて回りの速い毒なのか。視界がぼやけ始めた――その時。



「……ユーリ!」



 女性の声。その声さえ、耳の奥でいやに反響している。


 しかし次の瞬間、ぼやけ始めた視界が、にわかに輝くのを感じた。


 それは、燐光。どこか優しく、暖かい光……眩しさに、重いまぶたを閉じた。


 やがて、光の収束を感じて薄く目を開ける。



「ハル……カ……?」


「ユーリっ……よかった、間に合った……」



 彼の目の前には、手に祓い串を握りしめ、目に涙を溜めて息を弾ませるハルカの姿があった。


 ☆


 竜の姿をした魔王にとって、ブレスと爪こそが最大の武器であった。


 彼らは、その両方を攻略したのだ。


 だが、互いが互いの策を攻略したとあらば、続くのは消耗戦である。


 竜は、その堅い鱗の恩恵もあり、これまでに負った傷はほんのわずかだ。


 一方で人間たちは、あれから竜の攻撃を幾度となく受けた。ほんの少しでも取りこぼせばすなわち死を意味するほどの。


 攻撃と防御の比からすれば、圧倒的に敵が有利なのである。



「ぐっ……はあっ……」


「しぶとい奴め……」



 ハルカの【加持祈祷】では、呪いや毒のたぐいを取り去ることは出来ても外傷は癒せない。


【精霊の加護】と【神楽舞】の恩恵で無尽蔵の魔力を授かり、攻撃魔法、防御魔法、回復魔法、身体強化魔法……それらを絶え間なく発動させることが可能であるが、それでもなお、追いつかなくなりつつあった。


 疲労に朦朧とする意識、傷だらけの身体、時折絨毯に滲む血のしずく。


 致命傷を受けることこそないものの、既に人間たちは限界を迎え始めていた。


 対して、目の前の竜は――



「あら、ここまでですの?」



 ――スキルなしにもほぼ無限の魔力と体力を持っているがゆえ、この余裕である。


 他の部位に比べて切り傷の多い尾。それでもまだまだ皮は繋がっているのだと見せつけるかのように、風を切って横に薙いだ。



「……うっ……」



 皆、悲鳴を上げる身を叱りつつ、辛うじて回避する。


 今の彼らには、ブレスや毒より、このような物理攻撃の方がつらいのかもしれない。


 リンは、この光景を静かに見ていた。


 隣の巫女は【加持祈祷】を終え、再び初めと同じように舞を踊っている。


 最早、どれほど精霊の力があっても、魔王を打ち破るだけの力が誰にも残っていない。――誰も認めようとしないこの現実を、リンは神の目によって確信した。



 ――されど、道塞がりたるにはあらず。



 リンのなかに、ひとつの活路が浮かんでいた。


 このやり方であれば、魔王を倒すことができよう。ハルカも、ユーリも、ステラも、セレーナも、ソフィアも、ミーシャも、ルイも……()()()誰ひとりとして失うことなく。



 《ハルカよ。いま、そなたらを救うすべ(方法)、ただひとつあり》


「……ただひとつ?」


 《しかり。我が見ゆるうちに、ほかの道はなし。……されど》



 この方法には、()()()()()()がある。


 そのうちひとつは何があっても口にするまい、とリンは心のうちに誓った。


 ハルカが何としてもそれを許さないという未来が、未来視を使うまでもなくあまりにもありありと見えたから。


 だが、もうひとつは言っておかねばなるまい。



 《かかるわざをなさば(こんなことしたら)、ハルカの身はいみじ(絶対に)う傷む(ひどく)ことと(傷つい)なりぬべし(てしまうわ)


 ☆


 リン様からのお告げ。


 もう、今の私たちにはひとつしか道がない。だがその道を選べば、私が傷ついてしまう……と。


 そんなの、答えはひとつに決まっているではないか。



「やるわ。みんながあれほど傷を負って、私だけが平然としているなんて、耐えられないから」


 《……さればよ(やっぱりね)。ならば、(ふだ)を持ちて梓弓を弾くべし》

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