第109話 いざ道の先へ
ゴーレムの扉を抜けると、目の前に黒基調の造形美が広がる。
ここは塔か何かの内部なのだろうか。真ん中が吹き抜けになっており、丸い壁に沿って螺旋階段が渦を巻く。壁と反対側の手すりは灰色の石で出来ていて、緻密なレースのような細工が施されている。そこに手をかけて吹き抜けを見上げてみても、階段には終わりが見えず、紫色の靄にかすみながら、どこまでも、どこまでもぐるぐると続いている。靴を隔てて絨毯の毛足を感じなから、ふとあのヴァイリアの王城を思い出す。ああ、ここも王城なのだ。
壁にはいくつもの扉があった。このそれぞれが、ルイの言う何か「色々と特別な部屋」なのだろう。黒く、重苦しい雰囲気を纏っている。
「これの最上階が玉座の間だ。みんな、準備はいいか?」
「はいっ!」
「いよいよだね!」
ルイが先陣を切って駆け出す。道中で彼が何やら魔法を発動させた。その途端に私たちの足が一気に速くなり、階段を駆け上がるのが楽になった。きっと、身体強化魔法とかいうやつだろう。
不意に、ガチャリと音を立てながら私たちの脇にあった扉が開く。それに続いて見えた影を一瞥するや否や、ルイは即座に斬ってしまった。
「あいつは参謀だから、他の奴らに連絡を取ったら面倒なんだ」
ボソリと呟く。改めて、彼はついさっきまで魔王城の者だったんだと思い知らされた。
その先何度も、扉が開いては魔族が出てきた。皆がルイに薙ぎ倒され、時を移すことなく紫色の煙へと変わった。
「貴様っ……門番の分際で叛逆するか……」
ギギギと耳障りなノイズを立てながらそんな言葉を発する敵も居た。
「何が門番だ――僕はお前らの奴隷じゃない」
ルイがそう吐き捨てる声は、周りの空間から温度を奪い去る。次の瞬間、その魔族は聖剣に切り裂かれた。
女たらしの彼も、弱々しく泣き咽ぶ彼も、敵意の炎を目に宿す彼も――面影さえ見えない。
「僕は人間で、僕に手を差し伸べたのも人間だ。お前らなんか足枷ですらないんだよ」
彼の声には、瞳には、夜の海のように冷たく鋭い憎悪だけが響く。
「……あとちょっと行ったら、少し休もう。焦らないようにしなきゃ」
私たちに振り返ってそう提案したときの彼は、もういつも通りだった。さっきの冷酷なそれとはまるで違う、どこか甘いような声。しかしその目には、明るい炎が輝いていた。
そうか、彼は強くなったのだ。魔族への憎しみも、私たち人間を守りぬく意志も、一緒に仲良く心の中に生かして手なずけられるほどに。
「ルイ様……クールなのもスウィートなのも素敵……」
「……ミーシャは平常運転ね」
「だってかっこいいものはかっこいいんだもの!」
「そんなこと……僕、あんなに弱くて醜い姿を晒しちゃったけど」
「えぇー、むしろそれがギャップ萌え! それにしっかり私たちを守ってくれてるもの! はううううん」
「ルイ、気にしなくていいわよ。この子は元々そういう子だから」
悶えるミーシャ、呆れるソフィアと対照的に、ルイは真面目に驚いたような表情をしていた。
だけど……わかるような気がする。
気弱な自分を隠して勇者を演じていた……と、思っているのならきっと、あの涙を私たちに見せるのはさぞ怖かっただろう。それをミーシャは、ギャップ萌えだと喜んだのだから。
「あたしもミーシャに同感だなぁ。チャラ男が苦手ってのもあるけどさ、喋り方も甘ったるいし聖剣とかいうチート武器もあるし、正直胡散臭かったんだよね。だけどなんだか、勇者さんも人間なんだなーって、親しみが湧いたってゆーか。ウィリアムだっけ、あいつがヤバいやつなのは知ってたけどさ」
「ありがとう。……えっと……」
「あー、ごめん。ステラって言います。こっちは妹のセレーナ。姉妹で精霊術師やってるの」
「ステラちゃん……ありがとうね」
「なんのなんの。……って、なんか同情してるみたいに聞こえたらごめんね。そういうつもりじゃなくって」
「うんうん、わかるよ」
辺りは、この無機質な螺旋階段には似合わぬほど暖かい雰囲気に包まれていた。
ややあって。
「……ここらで作戦会議でもするか?」
ユーリが口を開く。
「うん。それもしようと思って、休憩を提案したんだ」
「いいね!」
「まず、いまで階段の半分ぐらいだ。あと同じくらい行くと、いちばん上に玉座の間がある」
「わぁ……もうそんなに来てたんだ」
「出現する魔族は上に行くほど強くしぶとくなっていくけど、まあみんな、最近雇われたばっかりの雑魚だから、今まで通り僕が薙ぎ払っていくよ」
「そうね……それはそのほうがいいかもしれないわ」
「ルイ先輩、よろしくお願いします!」
「ありがとう。それから――」
しばらくの話し合いののち、私たちの動きが纏まった。
「――よしっ」
「いよいよだな」
この道の先に、魔王がいる。
この世界に来たばかりのころ、一体誰が想像しただろうか。
魔法も使えぬ女子高生が、こんな場所に辿り着くなど。
魔王――どんな姿なのだろう。どれほど強いのだろう。ルイを除けば、ここにいる全員にとって全くの未知数だろう。
なんだかいつものダンジョン攻略ぐらいの気持ちで、みんなに必死でついていくような形でここまで来てしまった。
しかし、改めて考えると、唐突に恐ろしさを意識してしまう。
「ハルカ?」
ステラが、心配するような目でこちらを見ていた。
まずい、みんないつの間にか歩き出してた。
「ごっ、ごめんごめん!」
慌てて駆け出して追いつく。これでは危険に対応できないじゃないか。集中、集中……
「ちょっ、まず落ち着いて、ハルカ。深呼吸、深呼吸。吸ってー」
「すぅぅ……」
「はいてー」
「はぁぁ……」
「どう?」
「う、うん、ありがと、ステラ……」
「よしよし。……ほんと、あたしたちがこんなところに来ちゃうなんてね」
「……ね。びっくりよ」
「ここまで来ちゃったらもう引き返せないもんね。なんかもう、難しく考えちゃ駄目な気がする。なるようになるさーって」
「ステラはいつもそんな感じじゃない?」
「ちょっとー! そんなことないわよ!」
ケラケラと笑うけれど、私にはわかる。彼女がいま、普段以上に明るく振る舞って、私を元気付けようとしてくれていることが。
「……ありがとう、ステラ。絶対負けないよ」
「うん!」
階段を駆け上がるほどに扉は多くなり、見た目の重厚感も増していく。
中から出てくる魔族は、段々と、人間に近い外見と豪奢な衣服を纏うようになっていった。
無気味の谷、というものを聞いたことがある。人間を真似て作られた何かに対して私たちが抱く親しみは、その再現度が高くなればなるほど大きくなる。しかし完全な生き写しとなる一歩手前では、おぞましく不気味に感じられる――という話だ。
まさにその、一番不気味な種類とも言えるような魔族たちが私たちを迎え撃つのだ。あるいは、痩せこけたゾンビ人形とか、古びたマネキンとか、そう喩えることもできるかもしれない。死者を担ぐ死神の行列、といってもいいかもしれない。
そいつらが暗示する闇を、虹色の光が容赦なく断ち切っていく。
金髪碧眼の彼は華々しく鮮やかな剣筋で聖剣を振るい、さっきのゴーレムと同じようにして魔族たちを斬り倒していくのだ。
そうしながら、階段を段飛ばしに駆ける。
麓からでは果ての見えなかった螺旋階段。
しかし、ついにその時は来た。
「これが……?」
「そうだ。……みんな、準備はいいかい?」
「――はいっ」
長き旅の道の果て。いま私たちは、鉄と石と燻銀で出来たような、どこのものよりずっと壮麗で重厚で、それでいて繊細な装飾のなされた大扉の前に立っている。
ルイがその扉へと静かに近づく。彼の瞳よりわずかに高い位置に、鬼の顔をしたノッカーがあった。
それに手をかけ、力強く2回ノック。
くるみを割ったように軽快な音が、塔全体に張り詰める静寂を打ち破った。
同時に、重い扉は、誰の手を借りることもなく緩やかに開く。
「ふうん」
禍々しい模様をしたカーペット。脇には、従者だろうか、魔族たちがずらりと並び、ひざまずいて控えている。
ずっと先には、くすんだ銀色をした玉座が高く掲げられている。そこに座る者の姿は、この暗い部屋の中ではぼやけている――きっと彼女こそが魔王なのだろう。
「いくら呼んでも来ないと思っていたら、今度はあなたが不法侵入者……ねえ」
そして、いま聞こえているこの声こそ、魔王の声なのだろう。
鈴のごとく美しくありながら邪悪さをはらむ声に、私は妙な胸騒ぎを覚えた。
聞き覚えがある。その感覚とともに、得体の知れぬ不快な感じが心に湧き上がる。
しかし、その正体を突き止める時間もなく。
「――皆のもの。やりなさい」
彼女の合図とともに、側に控えていた魔族たちは解き放たれるかのように私たちの方へ躍りかかった。
寸分違わず整い、美しいほどに揃った動きで。
 





