第106話 勇者の追憶
少し気分悪いかもです。なんといったって、この小説で一番の下衆キャラが出てくるので……
「お前……ルイ、なのか?」
「ユーリ……ハルカちゃん……」
「ねえ、どういうこと?」
「ソフィア……そうか、あの槍は君だったんだね。意識がぼんやりしてたから、気づかなかった」
「はわわ、ルイ様っ……よくぞ、ご無事で……」
「ミーシャまで……?」
ルイは、目の前で膝をついてこちらを見ている。回復魔法で傷は癒えたが、まだ憔悴しているようだ。ひとりひとり、確かめるように見ては、涙を流していた。
ちなみにステラとセレーナは、ルイとあまり関わりがなかったために少し離れたところから見ている。
「なんでっ……なんで、君たちがここにいるんだよ……」
「……それはこっちのセリフだ。ルイ。何故お前がここにいるんだ。しかも魔族の格好で」
「そっ、そうよ。私たちは、あなたを探しに来たのよ?」
「えっ?」
「まあ、他にも目的はあるけどな」
腰には、虹色に輝く聖剣があった。さっきまでの濁った光とは全く違う。
肌も目も、いや、全身が人間の姿になったいま、そこにいる彼がルイであることは間違えようがなかった。
鎧などの装備は、未だに魔族のそれだけれど。
「……確かに、不思議に思うかな。なら、話すよ。僕が魔王……いや、前代魔王を封印してからのこと。きっと、誰にも知られてないよね?」
☆
ここは、数ヶ月前の魔王城。
普段ならばひときわ豪奢な一室である。
しかし、いまそこは勇者パーティによって蹂躙され、魔族がここで大勢倒され、紫色の魔力が溢れんばかりにたゆたっていた。
ルイは、玉座の上で無力化した魔王の前で、聖なる宝玉をかざす。水晶のように、汚れも何も知らぬというような、無色透明の宝である。
それから特別な魔法を発動すれば、彼の聖剣と宝玉は、息を合わせるように輝き出した。
やがて、辺りは真っ白な光に包まれる。そこにいる全員が、目を背ける。
再び玉座に目を向け直せば、そこに、さっきまでのいかめしい姿はない。
代わりに、宝玉はどす黒い何かに満たされ、ぼんやりと紫色の靄を纏っていた。
そう、魔王は、ルイの手によって封印されたのだ。
「ついに……」
ルイの心はもはや、世界平和などにはなかった。
愛すべき聖なる乙女――ユリアを、権力者によって奪われ、穢され、傷つけられ。人間の冷酷な一面を知った目で世の中を見たとき、理不尽の溢れるこの世界を恐ろしく思った。
こんなもの、滅びて仕舞えばいい。
だが、心の底からそう呪うことはできなかった。この世界には、ユリアがいるから。いかに傷つけられようとも健気に生きる彼女が。少なくとも幼い頃には無垢であった、追憶の故郷。人間界とは、そんな場所でもあったのだ。
だからこそ、ルイは勇者として救おうとした。自らが独立し、彼女と結ばれるその時が来るのを信じて。
しかし。誰よりも理不尽を体現する男――ウィリアムは、それをさらに振りかざす。
「おい。マジでこれだけで終わりなのか? まだあいつ、生きてるだろ」
魔王を封印したのち。ユリアとヘレナが魔王城の見回りに出ている間、玉座の前でふたりの男が睨み合っていた。
「はい。生きておりますよ。私は封印したまでです」
「はっ、封印しただけ……倒してねえの? お前のために、俺はあいつに散々魔法を放った。ヴァイリア王子であるこの俺が、セクリアの男爵家のお前に頭下げる形でな。魔王がいたから仕方なく従ってやったけどよ。そんな屈辱的なことさせるぐらいなんだから、てっきりお前がトドメを刺すんだと思ってたのに」
「我々には討伐するだけの力があるでしょう。ですが――」
魔王の魔力が放出されては余計に大きな被害が出てしまう、だから封印するだけなのだ。それは勇者伝説の中で語られていることであり、このパーティにとって常識であるはずだった。ルイは、柔らかくそう告げて思い出させようとした。しかし、ウィリアムはそれを遮って声を荒げる。
「あー、言い訳はいいよ」
「いや、ですから」
「倒せる魔物や魔族は倒すのが基本だろ。冒険者上がりのくせに、そんなこともわからねえのか。どうせ、『倒すだけの力がない』から封印しかしねえんだろ?」
「……違うと申し上げてるではありませんか! 一体何度言えばっ」
なぜ、こんなこともわからぬ相手に敬語を使わねばならないのか。ああ、なぜ神は、他でもなくこの彼に、「賢者」の称号を与えたのか。勇者と同じく、唯一無二の力を持った人間――魔王を封じるのに欠かせない人間としての能力を、なぜ、魔族の呪いがなくてなお平然と理不尽を振りまく彼に与えたのか。何を言っても通じない、と悟り、ルイは口を閉ざす。
そんな思いをつゆほども知らぬ、目の前の男はといえば。
「あー、はいはい。……なあ」
「……」
「お前さ、その分際で、何度も俺とユリアを引き裂こうとしたよな」
「……なっ」
「僕のほうがユリアを守るのに相応しい、だって僕、勇者様なんだから! ……とでも言いたいんだろ? 勇者がなんだ、魔王を倒せねえなら小国の男爵でしかないくせに」
「……」
この王子はまるで幼い子供の声真似でもするかのように、悪意の満ちた言い方をしてから、なおも鼻で笑う。実際のところ、ルイは一度も、そんなことを声に出したことなどない。
「ならよ、いまここで、魔王を倒してみろよ」
「……ですからっ」
「まあ無理だろうな。ヴァイリアに勝てねえセクリアの冒険者上がりのチビのガキには」
ルイ自身を貶されただけであれば、そのまま堪えるつもりだった。
しかし。それだけでは終わらなかった。
「魔王討伐は失敗でした、ルイは偽物でした、と父上に伝えておくよ。そうなりゃユリアは俺のモンだし、お前は辺境貴族の御子息らしくひっそりひとりで生きてな」
ここで引き下がっては、この下卑た、形ばかりの賢者に、ユリアは永遠に奪われてしまう。
――冷静に考えれば、あのヴィレム王がこのような言葉を簡単に信じるはずはないだろう。しかし、ルイにとって唯一の存在意義とも言える乙女の名を挙げられ、判断能力をすっかり失っていたのだ。
「……ああ、わかったよ。そこで見てろ」
普段の丁寧な口調を捨て、ルイの目には、声には、突如として、敵意を通り越した殺意がたぎる。
彼は、聖剣を手に取り、意識を集中させる。
宝玉が鋭い音を立てて割れると同時に魔王が再び現れ、その胴をルイがまっぷたつにしてしまうまで、僅か数秒であった。
傷口から、紫色の魔力が溢れ出す。いくらでも、いくらでも。そう、それはまさに、こんこんと噴き出す湧水のように。
「うっ、うわっ、ひぇっ! にっ、逃げろっ!!」
ウィリアムが玉座の間をあとにする。間抜けな声を上げながら、転がるように身を翻して。
ただひとり、立ち尽くすルイだけが、そこに残った。
――なんて愚かなんだ。あんな軽率な言葉に乗せられて、禁忌を犯してしまうなんて。
これまでの歴史に一度もなかった事態。
そこへ。
「ねえ、あなた?」
血の気が引き、立ち込める藍色の煙を呆然と見つめるルイのもとに、甘い声をかける者があった。
「ひとつだけ、人間界を救う方法があるわ。ええ、このやり方なら、あなたの想いびとも災難にあわなくて済むわね。ついでにあのお馬鹿さんを消すことだってできるかも――ただし、それと引き換えに、あなたが魔族になるのだけれど」
重い罪を犯した自分がひとり人外となり、ユリアを救う方法がある。
打ちひしがれた彼にとって、それはあまりに魅力的な提案であった。
「……どんな方法だ?」
振り返ると、そこには碧眼の魔族がいた。
顔に幾何学模様こそあれど、小柄な美少女の姿をして、その目を三日月のように柔らかく細め、鈴を転がすような美しい声で笑っていた。
理不尽な人間、描くの苦手です……うまくわがままになってるでしょうか? ご指摘お待ちしています。
今日はこのあと、もう一話投稿します!





