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      猫とことわざ その4

 放課後、帰宅しようとした克彦を昂平が引きとめた。

「三毛山君、今日も練習だよ」

 克彦はちょっと苦い顔をしたが、

 ――昼休みのこともあるか

 結局付き合うことにした。鈴にメールで連絡を入れる。

"今日もクロ、頼む。人、確認よろしく"

 すぐに返事が来た。

"オッケイ、任せて"

 克彦の言葉が片言めいているのは、一応の策だった。猫の飼育は違法なのだ。それと知られないように、それとなく内容をぼかす必要がある。

 ――とは言ってもなぁ

 正直克彦は不安を感じていた。注意しても周りに監視の目は見当たらない。ただ、先日の寝ぐせ男子の憂き目を考えると、どことなく常に見られているような気がしてくる。

 克彦がそんなことを考えていると、昂平がせかした。

「ほら、早く行かないと。他の人はもう待ってるんだよ」

 頭を切り換えて、克彦は外に出た。いつの間にか雲行きが怪しくなっている。午後から急激に気温が下がるという予報を、克彦は思い出した。


 今日の練習は寒空の下で行われた。そのため最初はぎこちない動きの者がほとんどだったが、身体が温まってからはむしろ快適そうにしていた。

 克彦の動きも、前日と比べて良い。昂平は練習中、満足そうに眼鏡をクイッと上げていた。





 同じ頃、鈴はひとり三毛山家の玄関前に立っていた。あと30分ほどで日が暮れようかという時間帯だったが、曇り空のため、既に大分暗い。

 一旦家へ帰ったのだろう。空豆色のパーカーにダークグリーンのカーゴパンツ姿で、手提げの袋を持っていた。中には先ほどスーパーで買っておいた鶏肉とミックスの野菜などが入っている。

 鈴は少しためらったあと、インターホンを押した。

"ピンポーン"

 気の抜けたチャイムの音が、インターホンから響く。返事はない。

「よーし。いない、よね」

 もう一度押してみるが、やはり返事はなかった。

 鈴は胸をなでおろす。猫に餌をやる前に、家に人がいないことを確認することが必要だった。

 一段高い玄関を下りて、庭へとまわる。

 まず鈴の目についたのは、ぽつんと転がっていた皿だった。中身を見てみると、人参だけがポツリポツリと残っていた。

 ――嫌いなのかな、ニンジン

 鈴は猫の姿を探す。すぐに見つかった。

 黒猫は縁の下にうずくまっていた。小声で話しかけてみる。

「クロちゃん、こんにちは」

 黒猫は首をもたげて、鈴の方を向いた。暗い縁の下で、緑色の眼だけが光る。

「ちょっと待っててね。今から、ご飯作ってくるから」

 そう言って鈴は玄関へ戻り、扉を開けた。鍵はかかっていない。

 中に入ると、鈴の家とは違う芳香剤の匂いがただよう。それに混じってカレーの匂い。外光の少ない室内で、鈴は明かりを点けずに靴を脱いだ。

 ――昨日はカレーだったのかな

 それともカレーコロッケだったのかな、と小さく悩みながら、勝手知ったる家の中を台所に向かって歩く。鈴は今までにも何度かこの家に来たことがあった。

「さて、やろっか」

 流石に台所の電灯は点けて、鈴は腕を軽く(まく)った。袋からがさごそと材料を取り出す。

 まずは電子レンジで、小皿に分けたミックス野菜を解凍しておく。次に取り出した鶏肉を細かく刻んでミンチ状に。それから、解凍した野菜の皿の中で、玉ねぎと人参を取り除く。取り除いたものは、鈴がつまんで食べてしまった。

 ――おいしいのにな

 ここまでは、大方昨日と同じ作り方だった。

「今日は、どうしようか」

 暫く思案したのち、鈴は三毛山家の冷蔵庫を開けた。

「なにか、いいもの、ないのかな?」

 節をつけながら、他人の家の冷蔵庫を物色する。ちなみにこの国では、他人の持ち物を勝手に使用するのは、犯罪として立派に認定されていた。

「お、カレーだったの」

 冷蔵庫に入っている、残り物のカレーが目についた。結構な量が保存されている。どうやら今日の晩御飯もカレーらしい。その傍、

"母の 克 食べるな"

 という張り紙のついたプリンに、鈴の食指が動いた。

 ――克、ってミケだよね……

 つまり克彦以外ならば、食べてもいいと言うことだ

 ――……な訳はないか

 鈴はプリンを盗み見しながらも、他の食材を探すことにした。

 

 結局、見つけた冷凍ご飯を煮込んでどろどろにした後、材料を全部混ぜて完成とした。

「やっと出来た、けど」

 鈴はどうも不安だった。彼女はあまり料理をしたことがない。その上、出来上がったものは生の鶏肉のミンチにみじん切りの野菜、そしてどろどろご飯の混ぜものだ。あまり人受けのしない見栄えである。明日の分まで作ってしまったので、これで猫に残されては、どうしようもない。

「まあ、大丈夫だよね。クロちゃんも気に入ってた、って言ってたし」

 ――いざとなったら塩振って焼いちゃえば、いい

 そう考え、餌を皿に盛って庭に出る。すでに日は暮れていた。それでも家の明かりや街灯のおかげで、周りが見えないほどではない。ただ、寒い。

「あれ?」

 どこにも猫の姿が見えない。鈴はフードを被り、腕をさすりながら周りを見渡した。

「いないなぁ、クロちゃん?」

 餌時には絶対現れるという克彦の話を聞いていた鈴は、狭い庭の真中で首をかしげた。

 と、ふっと背中に生き物の気配を感じ、鈴は後ろを振り向いた。

 ――クロちゃん、かな?

 しかし、何もいない。鈴はため息をついた。

「わ、息が白いっ!」

 暦の上ではもう春になろうかというこの時期。それにしては随分と冷え込んでいた。

 寒さも手伝い、早々に家の中に戻る鈴。

 ――折角ご飯、作ったのに

 鈴は台所に戻り、作った餌を冷蔵庫にしまおうとして少しの間考えた。そして、ふっと微笑む。

"克の 母 食べるな"

 鈴はそんな張り紙を付ける。

 満足しながら、餌を入れた皿を冷蔵庫にしまった。

「さてと……。帰るか」

 台所を片づけて、玄関に行き、電球のスイッチを入れる。玄関だけが、温かい橙色の光で満たされた。鈴は靴を履き、つま先で数回地面をつついた。

「おじゃましましたー」

 言いながら鈴は、スイッチを消した。とたんに玄関は元の暗闇に。鈴は静かに扉を開けて外に出た。



 誰もいない三毛山家のリビング。電灯がともらない室内は、外よりもずっと暗い。その中で、二つの光る点がある。時折瞬くその光点は、ゴロゴロとくつろいだ鳴き声を上げた。

 誰もいないはずの三毛山家のリビング。

「……あぁ。寒かった」

 そう囁く声があった。





"クロはいなかった。食事は作っておいたよ"

"ありがとう、もう帰った?"

"うん、今は家"

"そっか、お疲れさま。それじゃあ"

"ミケも、お疲れさま"

 その着信メッセージを確認すると、克彦は携帯をしまった。

 今、克彦は練習を終えて家に帰るところだった。

 昂平のおごりで今日はファミレスへ行くことになっていたのだが、克彦はそれを断っていた。理由の一つは昂平の懐具合が心配だったから。そしてもう一つは、汗で冷えた体を早く温めたいからだった。昂平には渋い顔をされたが、構わず別れた。

「あー、寒い」

 ようやく家の前にたどり着く。玄関の扉を開けようとして、克彦はふと手を止めた。

 ――クロは……大丈夫だよな。毛皮があるんだし

 まずはシャワーを浴びることが先決だと判断して、克彦は滑り込むようにして家の中に入った。

「ただいまー」

 母親の桃子は、まだ帰っていないようだった。玄関で靴を脱ぎ、リビングの電気を入れる。

 パチリという音と共に、真っ暗な部屋がいつものリビングの光景に戻った。克彦はため息を吐いて、コートを脱ぐ。

 とりあえずと、自分の部屋へ向かう。着替えを取りに行くのだ。一旦廊下に戻り、そこから克彦の部屋へ歩いて行く。

 扉を開けるとそこには、いつもの克彦の寝室があった。横積みの参考書の位置も同じ。しかし――

「なんだ?」

 克彦は、何か違和感を覚えていた。

 思わずきょろきょろと周りを窺ってしまうが、違和感の正体は掴めない。

 すっかり冷えたはずの体に、別の汗が滲む。

 自室で突っ立ったまま、1分ほどの時間が過ぎた頃、

「ふーっ、あほらしい」

 着替えを取り、再びリビングへ向かった。風呂場などの水回りはリビングの奥にあるのだ。

 ――きっと被害妄想の類だな

 そう考え、気を落ち着かせるためにテーブルの上のリモコンを取る。テレビを点け、ワイドショーからバラエティにチャンネルを変えた。

 そのまましばらく芸人同士のやりとりに見入る克彦。そのために、気づくのが遅れた。

 足元に何かが触れている。

 最初に感じたのは、その程度だった。しかしすぐに、その何かが生き物の気配を纏っていることに気づく。下を向いて克彦は目を丸くした。

 克彦の足元には、外にいるはずの黒猫がすり寄って来ていたのだ。克彦を見据えるその眼は、餌をねだるいつもの目をしていた。

「クロ、なんで家の中に?」

 もし桃子が先に帰って来ていたら、状況はかなりまずくなっていただろう。克彦はすぐに鈴のことを考えた。しかし、すぐに思い直す。

 ――スズは、人の言うことを無下にはしない


 では、クロはどうやって? そう考えたところで、後ろから声が響いた。



「へえ、あなた。クロの知り合いなの?」



 克彦はハッと後ろを振り返る。


 まず見えたのは、2階への階段。そして一段一段と降りてくる人の影だった。電気を点けていない2階は暗く、全身はまだ見えない。

 驚きと緊張で身動きの取れない克彦は、ゆっくりと降りてくるその人影をただ見ていることしか出来なかった。

 徐々に明かになるその姿は、黒のジーンズにコーヒーミルクのような色あいのセーターという出で立ち。

「か、母さん……じゃないよな?」

 桃子がよく好んで着ていた服装。今それを着ている女性はしかし、桃子とは明らかに体格が異なっていた。

「あぁ。これって、あなたのお母さんの? ちょっと借りてるわよ。……だいぶ緩いけど」

 聞く人を引き付ける、どこか不思議な響きの声だった。

 電灯の下で見る、その女性の肌はほの白い。そして泥と血の跡。

 克彦は圧倒されていた。口を開き、しかし声が出ない。

 見知らぬ女性は、最後の一段を降り切る。ぼさぼさのその髪は、おそらく元は肩までかかるストレート。その髪色は、夕昏の空を掬って流したような深い紺だった。

 泥や傷がついた顔だが、それが却って整った顔立ちだということを強調する結果になっている。

 そして一見感情というものが読み取れないほどの、黒い綺麗な瞳。ただ、よく観察すると、切れ長の目は克彦を射竦ませようとしていた。

 ――なんで、こっちを睨んでるんだ?

 克彦が混乱した頭で考える。そしてようやく絞り出した言葉が、


「…………あー。と、取りあえず、シャワー浴びる?」

 そんな一言だった。


よく考えると、ちょっと危ないセリフだと思えてきました。

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