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      猫とことわざ その3

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 昂平がまだ小学1年生の頃。季節で言えば夏。

 廊下を歩く昂平を、後ろから呼び止める女の子がいた。彼女は、昂平と同じクラスの生徒だった。

 昂平が彼女の方へ向き直る。

 周りにはちょうど誰もいない。女の子はそれを確認すると、顔を赤らめながら、

「あ、あの、昂平君。私、昂平君のことが、好き、で、その……付き合って、下さい」

 最後は消え入りそうな声だったが、彼女はそう言った。

 しかしそれに対して昂平が返したのは、

「ごめん、意味が分からないです」

 という言葉だった。女の子は涙ぐみ、廊下の奥へと走り去ってしまった。

 残された昂平は、首をかしげながらも再び歩き出した。


 当時の昂平は、そしてあるいはその女の子も「好きだ」と人に言うことの意味がどういうものかは分かっていなかったのだろう。しかしその時の記憶は、昂平の中にくすぶり続けた。

 ――あれは、どういうことだったのだろうか

 後日そんな疑問を抱き、友人になぜかと聞いてみる。けれど答えはなかった。彼の友人もやはり、好きだと人に言うことの意味が分からなかったのだ。それ以来、彼は周りの友人にその疑問をぶつけるようになった。

 月日が流れても、彼は時折周りに、自分が持つ疑問を話していた。しかし、昂平の疑問に答えられる友人はいなかった。中学生活も半ばになってのことである。

 ある時ついに彼は、父親にその疑問をぶつけてみた。昂平の父親は、国の教育を担当する公的機関で働いていた。

「どうしてその子は泣いたんですか、お父さん?」

 父親は厳しい顔をしていた。じっと考え込むような目つきで、昂平の方を見る。どのくらいそうしていただろうか、父親は重そうに口を開いた。

「私には、分からないよ。分からない」

 肩を落とす昂平に、父親は一転して明るい調子で付け加える。

「そんなに気を落とすことはない。……ところで、私の職場を見に来たくないか? 君の幸せな将来のためにも、有意義だと思うが」

 昂平は父親を尊敬していたし、いつかは父親の職場で働くことになっていた。だから昂平は、もちろんです、と頷いた。

 そして昂平は、父親と共にその"職場"へと赴いた。

 彼がそこから出てきた時には、彼の疑問は消えていた。素晴らしい職場を見学して、彼の将来計画は揺るぎないものになっていた。

 そして例の女の子についての記憶も、彼が疑問を抱いていたという記憶自体も、その日を境に消失していた。



 しかし、それでも彼の疑問は再燃した。きっかけは、克彦との出会い、そして鈴との出会いだった。




*/




 昂平主体のサッカー練習の翌日。克彦は筋肉痛の体をさすりながら玄関を出た。

「行ってきます」

 早速庭へ向かう。黒猫はすでに庭にいた。

「おはよう、クロ」

 猫はあくび混じりに、にゃおと一鳴き。

 克彦は鞄から、ラップで包んだ皿を取り出した。中には昨日鈴が作った餌が入っている。細かく刻んだ鶏肉に、ミックスベジを混ぜたものだ。

「野菜って、食べるのか?」

 そう言いながらラップを外し、猫の前に置いた。

 猫はするりと寄ってきて、小皿に顔を突っ込む。

「よかった。食べるのか。……って、すごい食べっぷりだな」

 食べ物に夢中になっているその背中をそっと一撫でしてから、克彦は学校へ。

 

「ああ。体が、痛い」

 昼休み。眠気と体の痛みを引きずりながら、克彦は図書室へと向かった。猫の世話の仕方をもっと詳しく調べようとしてのことだった。

 相変わらず人のいない図書室で、克彦はまず、前に見た雑誌のある本棚へと向かった。

 "ペット大好き"は、克彦が戻した状態のまま。手にとってじっくりと中身を見返したが、見逃した頁にも役立つことは書いていなかった。

 雑誌を本棚にしまい、他の本を手に取ったところで図書室の扉が音を立てて開いた。克彦は慌てて本を元に戻し、扉の方に向き直る。

 入ってきたのは、鈴だった。克彦はほっとした。

「あ、ミケ。よかった。どこ行っちゃったのかと思ったよ」

「悪い、鈴」

「昂平君に聞いても、知らないって言うし」

 そう言って室内を見回す。

「へえ。図書室って、こんな感じなんだね」

 古い書籍群の間を歩きながら、克彦の傍に来た。手を後ろに組みながら話しかける。

「猫の本、見てたの?」

「ああ。まだ調べ始めたばっかだけど」

「そうなんだ。……でもさ、まず、一緒にご飯食べない?」

 鈴はそう言って、持っていた包みを克彦の前で持ち上げた。中身は弁当だ。

 克彦はその包みを見ながら、頭を掻いた。

「うーん、いや、俺はいいよ」

 そして再び本を探し始めた。

 鈴の顔が曇る。

「でも、お腹空かない? 昂平君も待ってる……と思うし」

 棚から本を取り出して、パラパラとめくる克彦。

「先に食べてろよ。昂平と」

 鈴は下を向き、弁当の包みを降ろした。

「……そっか。じゃあ、分かった。3人で食べたかったんだけど、昂平君と食べてるね」

 うつむきながら、図書室の扉へと向かう。

 そんな鈴の様子を横目で見ていた克彦は、黙って本に目を戻した。


 鈴が図書室の扉をくぐろうとした時、克彦が呼びとめた。本を棚にしまって言う。

「分かった。悪い。一緒に食べよう」

 鈴が振り向き、少し上目遣いで克彦を見る。真意を計ろうとしている目だった。けれどしばらくじっと克彦を見た後、ゆっくりと頷いた。

「行こっか。3人の方が、ゴハンも、おいしいもんね」

 克彦も頷いた。

「ああ、そうだな」

 そして2人で図書室を出た。廊下を並んで歩きながら、教室へ向かう。

 鈴の表情は少し固い。

「あー、スズ?」

 克彦がそんな前置きをして話しかける。鈴は目だけを向けた。

「クロの餌、ありがとう」

 鈴の顔が、陽を浴びた花のように晴れやかになった。

「うん、どういたしまして」

 克彦はスイッチが入ったように話しだした。

「猫ってさ、臭いで分かるのかもな。餌の皿を出す前から、もう鼻をひくひくさせて鞄の方見てたんだ。いつもは鞄から餌、出してないのに。ていうか、そもそも全体に能力が高いよな。塀の上にするっと登ってたりするし」

 相槌を打つ鈴は、興奮気味な克彦の様子を目を細めて見ていた。

「あ、それから、スズ手製の餌。クロはすごい勢いで食べてたよ。野菜も食べるんだな」

「そっか、良かった。クロちゃんは私の料理、気に入ったんだね」

「ああ。……ん、早く戻らないと昂平の奴、先に食べてるかも」

 鈴は首を振った。

「大丈夫だよ、『待ってて』って言ったし」

「大丈夫か、な」

 昨日の夜、分かるだろと同意を求めた時の昂平の表情、そして克彦に分からないと言われた時の落胆した顔が、克彦の頭をよぎった。

 ――あんなにがっかりするなんて……

 大仰な口調に対する軽いしっぺ返しのつもりだったが、申し訳なく感じられた。

 ――何が言いたかったんだろ、あいつ

 

 教室に着くと、鈴が引き戸を開けて先に入った。克彦が続く。

「ね、大丈夫だったでしょ」

 教室で昂平は、いつもの場所で座っていた。手には参考書を持ち、机と椅子はすでに並べられていた。昂平が2人に気付いて、口を開く。

「遅いよ、君たち。早く食べよう」


 克彦のお腹が、ぐううと鳴った。




「カーゴパンツ」って、カーゴというポケットの付いたパンツのことなんですね。ごついパンツ、って意味だと思ってました^^;

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