L'hiver
終わり無き冬
閉ざされた空
世界を覆う灰
教会の残骸で45口径拳銃を握りしめる人間。
残された弾倉は一つだけ。残弾は9発。
少し大きめの迷彩服に身を包んで黒い軍帽を被っている。
彼は死を待ち続けていた。
頭蓋が割れそうな頭痛
意識が朦朧とする
骨を貫く苦痛
臓腑が悲鳴を上げ続けている
思考は散乱して
言葉が流れていくだけ
また次の敵と戦わなければいけない
いつ来るかもしれない敵への恐怖が心を縛り付ける
この義務から解放されたならどんなに楽だろう
彼は9mmを愛おしく見つめる。
救いはすぐそこにある
だけど、もしかしたら
この世界の先に、望みがあるかもしれない
まだ終わらせたくない
彼は深呼吸する。灰が入り、せき込む。頭を膝に打ち付ける。
だけど別の生き方があるんじゃないか
なんでこうしてのこされたものを競いあってとりあうんだ
理性が答える。
嫌でも時間は過ぎていく。現実は前に現れる。
憤怒した敵と戦わなければならない。
現実から逃げるな。
戦え。
そんなことはわかっている
でもどうして僕なんだ
どうして僕がこんなことをして生きなければならないのだ
まさか天からマナが降ってくると信じているのか。
もういい
もうこの痛みがひいてくれるなら
にげよう
しかし、武器を執って!
本能と理性が答えを一にする。
彼は瓦礫を踏みつけ、よろよろと立ち上がった。
僕はここにいる
ここにいきている
だれにもしたがわない
彼の目は怒りに満ちていた。残されたものを奪おうとするものが現れたら躊躇いなく引き金を絞るだろう。どうせ全てが敵だ。頼るな。聴くな。撃ち続けろ。彼は笑っていた。
彼は地獄を踏みつけて、前進した。
*
「原隊復帰しろ、クロウフォード二等兵」
ライフルを杖にして幽鬼のように歩く兵士。
「嫌だ」
敵は一名。
「命令がきけないのか」
ライフルを構えようとする。
「関係ない」
もう命令するな。
灰と一緒に小石を投げつける。接近し9mmを叩き込む。
「…自由だ」
相手は残弾無し。残り8発。
「何も持ってない…ハア」
疲労感。
もうやめたい
森林跡に入る。立枯れた木が一面に生えている。空が塵に覆われ続けた為に生物は次々と生き絶えている。人間ももう直ぐ絶滅するだろう。何億年も前から生き残ってきた生物の一部は第六の大量絶滅期も生き残りそうだが。
「見つけた」
冬眠中の蛇の頭を踏みつける。ナイフで皮を剥ぎ、そのまま食らう。
「最悪だなこれは」
岩山を登り始める。死ぬに足る場所。
岩窟を見つける。遠くで雷鳴。また黒い雨が降るだろう。暫く休もうと穴を覗く。
「!」
死にかけの老人が座っていた。
しばらく銃を構えて緊張していたが相手は身動き一つしない。貴重な銃弾を消費する訳にもいかない。仕方なく向かい合って座り込む。
「…おまえさん、人間か」
「ああ。あんた、目が見えんのか」
「そうじゃな。然し鼻と耳がきくんじゃ。金属の匂いがした。人の匂いじゃと気づいたわ」
「食うか?爺さん」
「蛇か、もの好きじゃのう」
そう言いつつもちびちびと肉のかけらを噛む。
「おまえさん、名は」
「ジョン・クロウフォード二等兵。爺さんは」
「ノジックじゃ、ロバート・ノジック」
「どうして生き残った」
「元々一人で山で暮らしていた。木こりじゃよ。山に助けられて生きてきた、空がこんなになる前からなあ。それよりジョンよ。おまえさんは一体どうしてこんなところに」
「高いところで死のうと思ったんだ。前は教会で終わりにしようと思ったが」
「自殺は青年の病じゃな」「言ってくれるな爺さん」
「この病には良いクスリがある。全てを諦めることじゃよ」
「そんなすんなりと受け入れられたら苦労しないよ」
「若いな」「老いぼれめ」
二人は笑う。雨が降り始めた。そしてあの日の話を始めた。
「光!岩と人間の区別もできんわしにもそれは分かった。そして耳を劈くような轟音と共に暴風が吹き付けた。夜中だというのに獣供は大騒ぎじゃ。わしはついに黙示録が訪れたと思った。然し冬が続くばかりじゃ」
「大陸間弾道弾が都市を破壊し、舞い上がった瓦礫が空を覆ったんだ。この冬は30年は晴れない」
脳裏に雲間から突き刺さる光の柱が蘇る。
「物知りじゃの」「普通さ」
「あの爆発で都市の連中も死んだのか?」「少しはな。死者の大半は食糧難による餓死や病死だ。EMPでインフラが停止した所為であの日から文明は石器時代へ逆戻りさ」「石器時代は言い過ぎじゃないかの」「言葉の綾だ」
「あの爆発で死ななかったなら、わしの孫も生きておるかもなあ」「孫がいたんか」
「ああ、たまに会いに来てくれる」「いつか会えると良いな。名は」
「ルシアという」「会ったら伝えよう」
「生きる気があるようじゃな」「どうかな」
「なあジョンよ。おまえさんのような物知りな若者が死んじゃいかんぞ」「だから普通だと言ってるだろう」
「…わしの形見じゃ。もしルシアに会ったら渡してくれ」
「鍵?」
「そうじゃ。鍵じゃよ。ルシアに渡そうと思ったが、もうわしは長くない。此奴を渡してくれ」
「爺さん、あんた一体…」
爺さん?
もう答えてくれない。岩のようだ。
「引き受けた」
僕は頂上から荒野を見下ろした。次はあの丘へ行こう。
*
丘の向こう。廃墟が続く街。屍体は古い。
「研究所?」
骸骨が散乱する廊下。B2のサーバールームへ。
人の気配。
「お前、誰だ」「……」
少年は体育座りをして下を向いたまま。不気味だ。
「女か」「男です!」
「…どうして生きてる」「もう直ぐ死にますよ」
缶詰を服の中から取り出す。胸元がチラリと見える。中身は乾パンが数枚。
「これ食うか」「何ですかこれ」「蛇」「皮付きですか…」
ゴホゴホ言いながらカケラを平らげる。
「…ありがとうございます。鬼にならずにすみました。私はルカ・フランクルと言います」
「私はクロウフォードだ」「軍人さんですか」「逃亡兵だがな」
「ルシア・ノジックという奴を知ってるか」「ええ。看護士さんですよね、私の病気を診てくれました」
「渡さなきゃいけないものがある。どこにいる?」
「東のレトの街に行くと仰ってました。何ヶ月も前の話だと思いますが」
「うむ。ありがとう。では」
「あの、私は、分子機械工学の研究をしていて、その、役に立てないとは知ってますけど…」
この閉ざされた場所で死ぬくらいなら
「ついてくるならついてこい。人間は自由だ。だが私は子守はしないぞ」「ハイ!クロウフォードさん!」「ジョンで良い」「ハイ!ジョンさん!」
人の気配。三人。
「…まだゴロツキがいるのか」「彼らが居るので街から出れませんでした。わたし達を食料としか思ってませんよ…手を貸してくれますか」
「報酬は金平糖だ」「お願いします」
「手順通りに」「ハイ」
「お前何を持ってる?」「…」「此奴ハジキを」
「可愛い顔してるくせに危ないじゃないかあ?」
「危ないのはお前の頭だ」
短弓で射抜く。2名も威嚇射撃で追い払う。
「凄いですね」「普通だよ。矢は回収する」
「金平糖どうぞ」
缶の底から取り出す。
「今は食べない。予約しておく」「ハイ」
「ところでルシアさんに渡すものって何ですか」「鍵だ。見るか?」
「...何百年も前のものに見えます」「どうだろうな。何でもアンティークになる時代だ」
この鍵にはどのような意味があるのだろうか。
恐らく意味は無いだろう。然し僕は約束を守りたいから旅を続ける。
*
橋向こうの街。
「ルカ下がれ、隠れろ」
「どうしたのですか」
「スコープの煌きが見えた。車の影に居るぞ」
「ライフルを持ってるのですか」「そうだな。この距離で戦ってはいけない。一先ず後退する」
「待って下さい!」
「なら武器を降ろせ!」
「ハイ」
「…子供か」「子供じゃ無いです!」
少年の次は少女か。俺は先生か。
「名前は」「ヘレナ・メイナードです」「その銃はレミントンM700か。狙撃手のつもりか」「私は猟師です。あなたは魔王ですか?」「ジョン・クロウフォード、二等兵だ」
「ジョンさんですね」「ヘレナ、ルシア・ノジックという看護士を知ってるか」「ハイ。怪我を診て貰いました。レトに向かいましたよ」「分かった」
「ちょっと待って」「何だ」「何故その人に」「鍵を渡すんだ、ルシアの祖父のな。じゃあな」
「…」
そんな郵便配達人みたいな理由で移動する人間など冬が来てから見たことがない。鍵というのは何かの暗号だろうか。一体彼らは何なのだ。何故彼らは笑えるんだ、こんな灰色の世界で。彼らの周囲だけは、冬が来る前の時間が流れているようだ。足が自然と彼らの方へ動いていた。
「…?勝手についてくるならそれで良い」「やった!」
「ところで金平糖はいるか」「ハイ!」
目的があると言うことは良いことだ。
「ヘレナは学校に行ったりしたのか」「ハイ。プログラマになる為に専門学校へ。ジョンさんはずっと軍人でしたか」「私も昔は学生だったさ、最初は弁護士か官僚になろうと思ったんだ。諦めたがな」
「法律詳しいのですか」「まさか。全部忘れたさ。この無政府状態で何が法だ。剣なき契約など言葉にすぎない」「やっぱり知ってるじゃないですか」「知らないと言ってる」
どうしてこんな事を話してしまうのだろう。相手が子供だからか。彼らに罪はない。
「ルカ。方位は大丈夫か」「ハイ。このまま直進です」
常に気にしていたので方位磁石をもたせていた。
無人の廃墟。瓦礫を踏み越え進んで行く。
空は暗く、日の光は二度と振り向いてくれない。
それでも前へ。誰に命令された訳でもなく。ただ自分の良心に従って。
生に意味を求めるのではなく、生が私達に何を求めているのか考えろ。
「…病院だ」
*
「生存者か」「ああ。看護士に助けてもらった。然し餓死するな」
「ノジックという看護士か」「ああ。上に居るよ」
黒髪の女性が窓の側に、本を膝に乗せて座り込んでいた。救急箱が隣に置いてある。
「ルシア・ノジックさんか」「ハイ。あら、ヘレナさんに、ルカさんも。一体どうしたのですか」
「あんたに届けたいものがあったんだ」「なんでしょう」
「あんたの祖父がわたしに託した鍵だ。あんたに渡すよ。約束はこれで果たした」
「ありがとうございます」
「何の鍵なんだ」「この鍵です」
救急箱から小さな木箱を取り出す。鍵を開ける。
「オルゴール、か」「ええ。お祖母様が若い頃につくったものです。形見として持ち歩いてましたが、最後の帰郷の際に肝心の鍵を実家に忘れてしまって…」「忘れるなんて、よくあることだ。忘れてしまっても、こうして取り戻せることもある」
ねじを回す。
音楽が鳴り出す。優しい音色。
ルカとヘレナは木箱のまわりに座り込む。記憶が蘇る。
眼前の灰色の世界ではない、沢山の暖かい色に満ちた世界。
二人とも目に涙を浮かべている。ルシアは子供達の頭を撫で、ぎゅっと抱き締める。
二等兵は壁を背にして座る。彼は目を瞑り耳を澄ます。拳銃が手から離れる。
これが僕の最後の日
僕は幸せだった
*
End