六月三日(水) 午後六時五十分
東の空は紺色に染まろうとしていた。東の空から西の空に向けて紺から朱色の淡いグラデーションが広がっている。西の空上空には、綺麗に朱色に染まった雲が浮かび、影になった西にある山脈と合わさって美しい絵になっていた。
こんな時間から二人で出掛けるなんて、大丈夫なのだろうかと隣で座っている光を見ると、光は興味深そうに神社――桃龍神社――の松林を見つめていた。
立地的に二人で来るのは避けたい場所だったが、どうしてもと言うので行くことになった。
「立派な神社だね」
「そう?」
うん、と自信を持って光は頷いた。パキリと手に持っていたパッキーを齧る。
「今日は鈴木と課外授業出るって言ってたけど、結局行かなかったの?」
「課外も行ったよ」
悪戯っぽく笑う光の金色の髪は、夕日に染められて明るい橙色だ。
「でも、ずっと僕と一緒に晴希の話聴いてなかった?」
「魔法で分身の術をしたんだよ」
「そんなこともできるんだ……」
どうして忍術に例えたのだろうかという疑問は、なんとなく口に出さないでおいた。
「桜井君って、晴希君の前だと結構口悪いんだね。ちょっと面白かった」
「あー、結構付き合い長いからなあ……」
「私と付き合ってるって言った時の反応は、さらに面白かった。晴希君って桜井君の恋人みたい」
「ちょっと待った、あいつはちゃんと彼女作るからね?」
「へえー、ちょっと意外。ちゃんと対面を考えてるんだね」
「……ちょっと、勘弁して…………」
昨日も似たような話を聞いたばかりで、頭を抱える。
――なんで、僕の周りはそういうことばかりを……。
昨日のことを思い出し、そして何故か昨日の晩御飯は赤飯だったことを思い出す。
「ねえ」
「何?」
と光は小首を傾げた。
「母親が赤飯炊くのって普段の生活で有り得る?」
「日本で赤飯を炊くのって、一般的に祝いの席とか吉日だよね? あと、稀に悪いことがあった時も炊くらしいけど」
「だよね、普通はお祝いとかだよなぁ……」
言って春斗は再び頭を抱えた。
「どうしたのいきなり」
「あ、うん。昨日いきなり晩御飯に赤飯が出てさ。『なんで赤飯?』って訊いたら、『なんとなく目出度い気分になって』とか母親に言われたもんで……。星野さんと付き合ったこと、一言も言ってないのに、もう知られたのかと思ってさ」
「んー。まあ偶然が重なる時もあるんじゃないかな」
「母さん妙に勘が鋭いんだよ……」
「凄いね」
光は屈託なく笑う。
「ちゃんと会ったことがないから分からないけど、たぶん桜井君のお母さんも魔力が結構高いんだろうね」
「勘と魔力って関係あるの?」
「あるよ。魔力は生物の持てる能力値を全てあげるからね。勘も洞察力とか潜在的な能力だし、魔力が高ければ勘も鋭い」
「そうなんだ……」
「だから、魔力が高い人は低い人より頭が良かったり、運動神経が良かったりするんだよ」
「あ……」
思わず賢人や則雪の顔が浮かんだ。賢人も則雪も昔からテストの順位は常に学内のトップクラスだ。
「なるほど……あれ、なら晴希と僕はどうなるんだ?」
春斗は小等部からずっと成績は真ん中レベルであったし、晴希も中等部からずっと成績は中の中だった。
光はその疑問には口を開かず、ただ笑みを浮かべただけだった。
「あと魔力は遺伝するんだよ」
「へえ、そうなんだ。じゃあ星野さんのご両親も魔法使い?」
「うん。二人とも魔法使い」
「凄いね」
「両親が魔法使いって家系は結構あるよ」
「そうなんだ……。星野さんは小さい頃から魔法の勉強してたの?」
光は少しだけ苦笑いする。
「まあ、そうだね」
春斗はその返答に曖昧に頷いた。
――まだ出逢って二日目なんだよな。
正直に言って、自分が女の子と出逢った初日に付き合ったり、二日目にはもう緊張せずに話ができるような人間とは思ってもいなかった。光の積極的で明るい性格に引っ張られていることが大きいだろうが、それにしても驚きである。
「暮れ始めると早いね……」
僅かに寂しそうに光は呟く。澄んだ空に星が多く瞬き始めていた。西の空も紺色に変わっている。
「門限大丈夫なの?」
光が今住んでいる学校の寮の門限は、塾などの申請がない限り十九時半までのはずだ。
「門限は分身の術があるから大丈夫だよ。でも桜井君の家族も心配するし、そろそろ帰ろうか」
「僕は大丈夫だけど……」
母には晴希と遊んでくるとメールを入れておいた。春斗が何かを言う前に光は立ち上がり、右手を差し出した。
「手、繋いで欲しいな」
「――」
自分でも頬が赤くなっているのが分かった。辺りが暗くなっているのに感謝する。
差し出された手を握る。
まだ夕方は少し冷えるこの時期に、暖かく柔らかい手が心地よかった。
「――?!」
急に光の身体が静電気に当たった時のようにビクリと揺れた。
「どうしたの?」
「ううん、なんでもない」
照れ笑いしながら首を横に振る、光の耳元がキラリと光った。
「あ、言うの遅れちゃったけど、そのピアス似合ってるね」
「ありがとう、見えてたんだ……」
少し驚いてから嬉しそうに光は言うと、春斗がよく見えるようにとピアスを着けている右耳の髪を耳に掛けた。洗髪料の芳しい香りが鼻腔を擽るが、頑張って意識を逸らす。
よく見ると街灯が反射して光ったのではなく、ピアスの先に垂れている石のようなもの自体が光っていることに気が付いた。蛍石など紫外線で発光する石は聴いたことはあったが、石自体が発光する石なんて聴いたことがなかった。
「これ何て言う石?」
そしてこんな綺麗な石は一度も見たことがなかった。
「女神の雫」
「女神の雫?」
予想外の単語に、思わず眉間に皺を寄せてしまう。ルビーとか、ブラックオニキスとかそんな単語を予想していた。
「世界に六つしか存在しない、この世界の創造主の魔力が宿った石だよ」
「話が壮大になって、より意味が分からないな」
そうだよね、と光は苦笑いする。
「本当はピアス型以外が良かったんだけどね」
「ピアス型以外にもあるの?」
「あるよ。首飾りとか指輪とか。それでそれぞれに宿ってる力が違うんだー」
「へえ、じゃあピアスは何なんだ?」
「魔力倍増」
「なら結構便利じゃないか?」
光は顔を顰める。顰めた際に傾けた首の反動で再び大きくピアスが揺れる。
「うーん。私にはいらないかなぁ……」
「なんで?」
「今でも余ってるくらいだもん」
そうなんだ、と春斗は何となく納得する。
「そういえば、昨日は着けてなかったけど、何か意味はあったの?」
「あー、それは単純に昨日『回収』したからだよ」
「回収?」
「これを使って悪さするかもしれない人から奪ったのです」
ふーんと春斗は頷く。
――確かに、悪さするやつが魔力増えたら面倒だもんな。
「そういえば、星野さんは魔力高いのに、ピアス着けて大丈夫なの?」
「ピアスの効果を打ち消してるから大丈夫だよ。それに下手にどこかにしまっておくより、自分の身につけておく方が安心だし」
「そうなんだ」
春斗はもう一度光の顔を覗く。
「うん。似合ってるし、やっぱり着けてないと勿体ないね」
光は照れて顔を俯かせた。そんな光を見て春斗も照れた。