六月三日(水) 午後五時十五分
放課後の特殊棟、五階にある地学講義室に三人はいた。
魔法科――桜庭学園では魔法に関する授業を『魔学』といい、それを受講する生徒を『魔法科生』という――の授業があるから放課後ついてこい、と晴希に言われた春斗は自分以外に受講生がいないこと、そして講師が晴希であることに戸惑いを隠せないでいた。
「とりあえずこれが当面の教科書な」
そう言って晴希は春斗の机に一冊の本を置いた。本はB5サイズでさして分厚くない。春斗は本の表紙に書いてある文字をそのまま口に出して読んだ。
「小学生からのまほう学?」
「一からの勉強だからな」
本を開くと、ページのあちらこちらに細かく書き込みがしてあるのが見て取れた。字に晴希の癖がある。小学生の頃の晴希が、授業で聴いたことを書き込んでいたのだろう。意外に真面目に受けてたんだなぁと妙な感慨に耽る。
「先生は?」
「俺だ。中等部からは基本的に授業は生徒同士でやるからな」
「大人の先生は?」
「いる。そこそこの人数。けど忙しいし、教え合える方がお互いの勉強になるから、基礎勉強は基本的に生徒同士だ」
へぇ、と春斗は頷く。
――魔法科は変わった教育体勢なんだな。
「まあ、嘘だけど」
「……どうでもいい所で嘘を付くな。じゃあ先生は?」
「どっちにしろ、俺が先生だけどな」
「帰るぞ?」
「いやいや、本当だって」
春斗は軽く晴希を睨む。
「嘘と冗談ばっかりじゃないか」
「いやいや、これは本当だって。俺、こう見えなくても優秀だから、『上級魔法士』っていう一人前の魔法使いの中でも更に優秀な魔法使いだから。教えていいんだって。
ちなみに一般的に一人前とされるのは『下級魔法士』で、下級魔法士の一つ上の階級が『中級魔法士』。これら三つの階級の魔法使いを総称して『魔法士』っていうんだ」
「キャッサバ?」
「それは主にアフリカの主食で、タピオカの原料な。俺が言ったのは魔法士な。
下級魔法士より下の階級に『見習い(サートン)』ってのもある。見習い(サートン)は魔法士としては扱われないからあまり自由に魔法は使えない。階級を上がるためには、一番下の下級魔法士から順に試験に合格していかないといけない」
へえ、と春斗は曖昧に頷く。正直に言って春斗にはどうでもいい知識だった。そんな春斗の態度に気づいてか、晴希は春斗を軽く睨む。
「おい、ちゃんと覚えろよ。お前もこれから見習い(サートン)の一員なんだからな」
「いやだよ、なんでそんな特殊そうな人達に混じらないといけないんだ」
今朝は思わず晴希の言葉に頷いてしまったが、魔法使いなんてそんな『平凡』から逸脱したものになる気はさらさらなかった。
自分が魔法使いなんて、想像しただけで吐き気が込み上げてくる。
仕方なく今日は授業を受けにきたが……今も気分が優れない。
「魔法使いの才能があるやつは、魔法使いになっとかないと不幸になるんだ」
「なんで? というか、僕にはそんな才能ないだろ?」
「魔力ってのは人の成長と同じで十八歳まで成長するんだ。だから春斗の魔力も成長して丁度今日、魔法使いになれるレベルに達したってことだ」
「なんでそんなこと分かるんだよ」
春斗の言葉に晴希は右手を差し出した。小指の指輪がきらりと光る。
「これ、見えるんだろ?」
「み……見えない」
「嘘ぶっこいてんじゃねえ! じゃあ、ここには何て書いてある?」
そう言って晴希は一枚の紙を春斗の前に叩きつけ、ある一カ所を指差す。紙に見覚えがある。教室の掲示板に張ってある課外授業一覧だ。
晴希は奇妙な単語を指差していた。
「……『魔学』? なんだこれ」
呟いてから失敗したことに気が付く。案の定、目の前で晴希がにやりと笑っていた。
「この文字な、魔力が高いやつしか認識できなくなってんだ。お前にはこれが認識できた。だから魔法使いの才能がある」
「才能があったとしても、僕はなりたくない」
「だからさっき言ったじゃねぇか、『魔法使いの才能があるやつは、魔法使いになっとかないと不幸になる』って」
「どう不幸になるんだよ」
「まずお化けに襲われやすくなります」
「お化け? 霊って――」
いないんだろ? と言いかけて言葉を呑み込む。そういえば、昨日見た。
「もしかしてもう見たのか?」
「い、一応、それっぽい人は……」
昨日賢人達と一緒に河川敷に来たあの女性のことを、確かに光は霊と言っていた。
「そうか。まあ、取敢えず霊ってのは魔力の一種だから、例外もあるけど、基本的に魔力が高いと視えるんだ。だから、まあ、狙われたり、ちょっかいかけられたりする。
次の理由は、力を暴走させたりしないため。これは、まあ言わずもがなだな。
そいでもって、一番重要な理由が、異次元からの外敵から身を守るためだ」
「異次元から――?」
咄嗟に昨日光が退治した奇怪な生物の姿が脳裏を過る。
「そう、異次元も存在する。そしてこの世界は常に、異次元からの脅威にさらされている。
俺達魔法使いはその脅威を『蟲』と呼んでる。奴らはこちらの世界でいう虫に類似した形をしているが、中身は全く異なる――奴らの主食は魔力なんだ」
確か昨日も光が似たようなことを言っていた。
――この蟲っていうのはこの世界の魔力を食べに来てるの。食べられ過ぎると、この世界が崩壊するから退治しなきゃいけない。
「だから、魔力が多い人が狙われる……?」
「よく分かったな」
意外そうに晴希は頷いた。
「う、うん……」
よく分かったも何も、昨日聴いた話である。
「だから魔力が多いやつは魔法使いになって、蟲から身を守る方法を身につけた方がいい。だ、か、ら、お前も魔法使いになるべきなんだ。
ってことでまずは勉強。この教科書――俺のお下がりだけど我慢しろ、これをつかって簡単なとこから勉強する。学校への手続きとかは、俺ができるところはひと通りやっとくから安心しろ。あとこの指輪、魔法協会所属の印な。見習い(サートン)も渡されるから絶対着けるように。届くのはもう少し先になるけどな」
春斗はお構いなしに晴希は話し続ける。
「あと授業だな。春斗の課外授業は木曜だけだから、木曜以外平日は毎日だな。時々土日も入れるから覚悟しておけよ。あ、そういえば春斗用の杖もいるな。今手持ちだと――」
ごそごそと鞄を漁る晴希。
「お箸、鉛筆、定規、シャーペン、赤ボールペン、多機能ペン、筆がある。どれが良い?」
「……」
「大丈夫だ、ちゃんと本部長にも見習い(サートン)用の杖として公認して貰ってる。好きなのを選べ。ちなみに俺のお勧めは、お箸だな。何て言ったって一本予備として取っておけるからな。しかも使っても、ティッシュで軽く拭くだけでどんな汚れも全て取れる。素晴らしいだろ?」
「……いや、普通さ、杖って木の棒みたいなやつなんじゃないのか?」
「え、そっち派? でもただの木の棒って魔法以外何も実用的じゃなくね?」
考えてみると確かにそうなのだが、しかし杖とは魔法専用のものではないのだろうか。
春斗が黙っていると、晴希は困ったように頭を掻いた。
「とりあえず、今手持ちにはこれしかねぇや、どうしても杖がいいなら、明日にでも準備してくるけど」
「皆ってどれ使ってるんだ?」
「んー、俺らの学年だと、やっぱり多機能ペンが人気だな。普通に使えるから。杖用のペンは全部インク減らないし、シャーペンは芯が減らない。便利だろ?」
「じゃあ、それで」
ほい、と晴希は春斗に多機能ペンを手渡した。そういえば、昨日光が持っていたペンも多機能ペンだった。受け取ったペンを見ると、いつの間にか春斗の名前がペンの本体にローマ字で彫られていた。流石晴希というべきか、ペンはそれとなくお洒落なデザインだ。
ペンには、シャープペンシル、赤ボールペン、青ボールペン、緑ボールペン、橙ボールペンの五機能が備わっていた。
なんとなく昨日のペンを思い出して、緑色インクで手に線を引いた。
「……何してんだ?」
「あ、いや、なんでもない」
光のペンとはやはり中身が異なる様だった。
「見習いの間は常にその『杖』を持っておくように。あと、魔法を使う際は絶対その『杖』を通して使うように」
「なんでだ?」
「そういう規約。その杖に主に、使用魔法記録機能と、魔法を安定して使えるような補助機能が備わってるからってのもあるかな」
「へえ」
「替わりは一杯あるけど、大事に使えよ」
頷きかけて、慌てて首を振る。
「その前に僕は魔法使いにはならないからな!」
「無理、絶対無理」
「いや、僕が無理だから」
「お前な、嬉しくねェのか? 魔法使いだぞ、能力者だぞ、中二病的だぞ?」
「僕は『普通』がいいんだ」
「普通、普通ってなあ……まあ、春斗が普通が好きなのは何も言わんが……、取敢えず、魔法の勉強はしてもらうからな」
晴希に強く睨まれ、春斗は思わず視線を逸らしてしまう。春斗が口を開かないでいると、やや言い辛そうに晴希が口を開いた。
「春斗さ、俺に何か隠し事してないか?」
突然の言葉に春斗は目を瞬かせる。
「いや、それ、晴希にブーメラン刺さってないか?」
「お、俺のことはいいんだよ!」
珍しく慌てる晴希に、春斗は更に追い打ちをかける。
「小等部以来の仲なのに、僕には魔法のことなんて何一つ教えてくれなかったじゃないか」
「バカ、小等部は言い過ぎだ。それに魔法については関係者以外、話しちゃいけないんだ」
「他にも、初カノができた時も全然教えてくれなかったし」
「あれは……別問題だよ……」
口籠る晴希に更に日頃の文句を伝えようとしたら、春斗が口を開く前に晴希が先に口を開いた。
「それより、春斗。俺に何か重要なこと隠してるだろ?」
「何のだよ?」
昨日の光の姿が思い浮かび、無意識に視線が泳いだ。晴希はそれを見逃さない。
「具体的に言うと、昨日、何かあっただろ」
「昨日――」
視線が自分の隣に泳ぐ。光が魔法使いということは、秘密にして欲しいと言われた。なので、例え晴希でも教えることはできない。どうすれば上手くこの秘密を誤魔化すことができるかと、必死で考える。
「……彼女ができた」
その言葉を口にした瞬間、晴希の目の色が瞬時に変わった。
「はあ? 誰?」
久しぶりに聴く、心底怒った時の晴希の口調に、春斗は内心震えあがる。自然と声は小さくなった。
「星野さん」
「星野? 昨日転入してきた?」
「そう、星野光さん」
「転入してきた初日に付き合うとか、とんだフォーリンラブだな!」
「そう……かなぁ」
「ってかさ、『運命の人』はどうしたんだよ?」
「え――」
どっちも星野さんじゃないか、と言おうとして思わず口を閉じる。魔法で変身していたことがバレれば、光が魔法使いであることがバレてしまう。改めて考えると、昨日の朝、同じ人だと主張してしまったのは失敗だった。
「あの子は、僕にとってはそうじゃなかったんだ」
「なんか、苦しい言い訳だな」
睨んでくる晴希から思わず視線を逸らす。
「ってかさ、出会った初日に付き合うって、なんだよ。せめて俺に相談しろよ」
「いや、相談って何を相談するんだ?」
「俺に一言もなしに告白するとか、ありえねえ!」
「しょうがないだろ、色々あったんだから。そんな暇なんてなかった」
「色々って何があったんだよ?!」
本気キチ強盗とか、蟲に襲われたりとか……とは口が裂けても言えない。あれは全て自分と光は関わらなかったことになっている。
「それは……ご想像にお任せします」
「言えよ! 寂しいだろ」
「寂しいって何だよ、兎じゃあるまいし」
「どれだけ俺がお前に気を掛けてきたか、お前は知らないんだ……」
「お前は俺のかーちゃんか」
「……」
しばらく俯いたままの晴希がなんだか恐ろしく思えた。ややあって、晴希は強く春斗を睨んだ。
「俺は、お前らの仲を認めないからな!」
――いや、父ちゃんだな。
そっと心の中で呟いた。
***
「昨日の時空の穴発生個所は、桜庭学園高等部校庭、同じく桜庭学園小中等部体育館、桃川河川敷広場、桜山中腹、桃龍神社の計五カ所。いずれも幼虫のみの出現で、近いうちに成虫が出現する可能性が大きい。今回五カ所の内三カ所が桜庭学園で対処して、残り二カ所が現場に行ったら既に閉じていたと……」
聡子は昨日まとめた報告書のコピーを改めて確認する。隣にいた則雪もその資料を覗いた。更にその隣では賢人と美琴が同じ資料を眺めている。
「しかも、その二カ所とも魔法を使った痕跡なし……」
通常、魔法を使用するとその痕跡――魔力の残骸が残る。魔力は人間の指紋や静脈の様に一人一人特徴が異なる。つまり本来ならば魔法を使用すると、誰がその魔法を使ったのかが分かるのだ。ただし魔力の特徴は実際にその人物が使っているところに居合わせ、その人の魔力の特徴を知っておく必要がある。
そして通常魔法とは別に『隠密魔法』という魔法が存在する。魔法を使用した痕跡を残さない魔法である。隠密魔法はその特徴から現在、伝承が禁止されている魔法の一つであるが、高等な魔法使いともなると独学で多少身につけている者もいる。しかし、一つ一つの魔法の習得が困難であるため、魔法の全てを隠密魔法で行っている者はほぼいないと言われている。
「隠密魔法か……」
則雪は腕を組んだ。
「誰がしたんだろうな?」
「桜庭学園関係者なら、わざわざ隠密魔法使わないだろうし……」
「燃費が悪いからなあ」
「だよね。だから、できる人ってかなり限られてくるよね」
「でも桜庭先生なら使う必要ないし、同じく晴希も使う必要がないというか、晴希の場合は他の所行ってたしなあ……」
賢人も自然と腕を組む体勢になった。
隠密魔法の習得が困難な理由として、もう一つある。賢人が言っていた様に、燃費が悪い――魔力効率が悪いのだ。通常の魔力で一使えばできることが、隠密魔法の場合五十程度も必要になる。
しかし、それにも関わらず隠密魔法は使用される。証拠(魔力の残骸)が残らないことを良いことに、犯罪に利用されるのだ。
――でも、今回は何も後ろめたいことは、ない。
聡子は頬杖をついた。
昨日の桃川に発生した時空の穴を閉じた人物は誰なのか、魔法科で大きな話題になっていたが、頭が良いとされる魔法科のメンバーでさえ、皆目見当がつかない状態だった。
――あの晴希君でさえ分からない……か。
晴希のことは同族嫌悪とは自分では分かっているものの、どうも気に食わなかったが、能力は評価していた。その晴希も分からないという。
「そういえば、望先生は何か言ってなかったの?」
「はぐらかされた!」
拗ねたように口を少し尖らせて、則雪が返してきた。
「先生は心当たりあるっぽい。けど、俺らには教えてくれない」
「余計に気になるだろ?」
「うん、気になる……」
――望先生は知っているけれど、私達には知られたくない人物……。
心当たりを改めて探したが、全く思いつかない。
「今のところ知ってる中で一番怪しいのはDクラスの転入生だな」
「確かに、この前野村さんが言ってたことが引っかかる」
「偶然日本支部に来た国外の魔法使いって可能性は?」
「それなら、そもそも隠密魔法使わないだろ?」
「あ、そうだった……」
――なんで隠密魔法なんて大層な魔法を使ったのだろう……?
聡子が推理に集中していると、思い出したように則雪が口を開けた。
「そういや、魔法科二年に新入生だって!」
「え、そうなの?」
突然の朗報に思わず声が弾む。
――やっぱりAクラスかな? どんな生徒かな、仲間が増えるのは嬉しいな。
「Dクラスの桜井」
「え、桜井君? まっさかー?」
「ホントだよ、まさかの春斗だよ……」
則雪と賢人は感慨深気に頷いた。
「晴希君はそのこと知ってるの?」
「知ってるよ。というか、晴希が連れてきたんだ」
「そうなの? 意外……」
もし瑞樹が才能に目覚めたら……、そう思うと背筋が冷たくなる。仲間が増えるのは嬉しいが、自分の大切な人は嫌だと思う。
まだ聡子はあまり酷い物は体験していないが、命に関わることに首を突っ込まなければいけなくなるからだ。だから晴希も本当は魔法使いの世界に桜井君を関わらせるのは嫌なのだろうと思っていた。
「春斗には直接晴希が教えるんだってさ」
「やっぱりかー」
高等部からの受講を対象とした授業は存在したが、いかんせん途中からの受講になる。誰か教えられる者が一から教える方が春斗にとっては楽だろう。
「そのうちあいつらの所、顔出しに行こうぜ」
「そうだな」
則雪の提案に、楽しそうに賢人が頷いた。