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金色の魔法使い  作者: 小島もりたか
4/18

六月二日(火) 午後五時十分

 屋上に着くと既にベンチに複数の人影があった。木製でできた塗装もされていないそのベンチは、何年か前にここの生徒によって作られたものと聞いている。そしてその手作りのベンチの前には、御社があった。人一人も入ることができない小さな御社だが、鳥居も存在し、お供えもきちんとされている。

 屋上にはその御社に腰をかけている若い女性が一人、ベンチに腰をかけている男子生徒が二人いた。

 逸早く、女性が屋上に来た聡子の存在に気が付く。振り向いた反動で彼女の二つに緩く結んだ長い髪が揺れた。


「聡ちゃん今日も学業お疲れ様ぁ」

「美琴さん、ありがとう」


 ふわりと浮いて御社から聡子の前に下りると、美琴は聡子の手を引いた。


「今朝は面白かったねぇ、ビックリちゃった」

「美琴さん、あのパッキーの子知ってる?」

「今日初めて見たかなぁ」

「転入生なのかな? 美琴さんも聞いた? あのすっごい音」

「メールでも言ってたけど、凄い音って?」


 ベンチに座っていた賢人が口を挟む。


「なんかね、転入生の子と桜井君がぶつかった時に凄い音が鳴ったの。『バッチーン』って」


 さらに賢人の隣に座っていた則雪が口を挟む。


「あれって、Fクラスの前で鳴ってたんだな! ってか、本当に二人がぶつかった時?」

「そうっぽいけどね……。そういえば、あれって瑞樹や他の人達には聞こえなかったみたい」

「あ、そういえばそうだ! 俺驚いたのに、他のやつら全然驚いてなかったし。お陰で気のせいかと思ったな」

「あと、二人は無事だったけど、女の子が持ってたお菓子のパッキーがバラッバラになってたし……」

「あ、それ、春斗も今朝言ってたな。一体一箱のお菓子がバラバラになる状況ってどんな状況だ? しかも則雪や野村さんにしか聞こえない大きな音だって、おかしくないか?」


 聡子は深く頷く。自分も不思議に思ったことだった。


「こんな不可解な現象……案外その子魔法使いだったりして」


 茶化す様に則雪が言うと、二人は真剣に悩んだように眉間に皺を寄せた。


「どうなんだろ……?」

「確かに、そうっぽいよね……」

「幻のAクラ転入生の件もあるしな」

「どういうこと?」

「始業前五分前までは教室に転入生用らしき座席がAクラに用意してあったんだけど、始業時間になったら急になくなってたんだ」

「んで、晴希の情報だとDクラスに転入生が一人来たらしいぜ。どう見ても今朝の女子と外見が一致しないらしいけど、ぶつかった本人である春斗は同じ子だって言ってるらしいんだなっこれが!」

「なにそれ?」


 賢人が楽しそうにスマートフォンを聡子に見せた。複数の女子生徒に囲まれる、気の弱そうな女子生徒の写真が画面に映っていた。


「なに、隠し撮りじゃない、マナー悪すぎ」

「いや、うん。そこは間違いなく晴希が悪いけど、注目してほしいのはそこじゃない……」

「これ晴希君が撮ったの? ってことは……この真ん中の大人しそうな子が例の転入生?」

「ご明察! 流石聡子っ!」


 聡子は何度も何度も自分が今朝見た女子生徒と、賢人のスマートフォンに写っている女子生徒を比較するが、どう考えても二人の女子生徒は別人にしか思えなかった。


「……春斗君、頭大丈夫?」

「そこまで言ってやるか……?」

「酷いな聡子!」

「え、酷いの私? 春斗君の頭じゃなくて?」

「春斗の直感は時々変に鋭いからな、馬鹿に出来ないんだよな」

「でも、いや、うん……当たっていたとしたら、相当凄いね」


 聡子は反論しようと思ったが、二人の面白半分、真面目半分の表情を見て諦めた。そもそも春斗と二人の関係は、自分と二人の関係の二倍以上の長さがある。


「それで美琴さんはどう思うの?」

「んー、ノーコメントですねぇ……」

「教えてくれたって良いじゃん、全部知ってるんだろ?」

「いやぁ、本人直々にお願いされちゃったから、私には言えないなあ」


 困ったように笑う美琴をみて御社を振り返ると、確かにお供え物の甘酒が一缶置いてあった。


「なら甘酒二缶買ってくるので、教えてください」

「だめぇ、お願い事は先着順ですう」

「えー、美琴さんのケチっ」

「それが私の決めたルールだもん」


 そう言って美琴は胸を張って見せた。


「それにしても、春斗君が言ってたことが本当なら凄いね」

「それもあるけど何故分かったってところもあるなっ」

「訊いても絶対『何となく分からないか?』って言われるな」

「確かに!」


 則雪と賢人は二人で爆笑しているが、聡子はそこまで春斗のことを知らないので二人の笑いについていけない。ついていけない間、今朝のことを思い出す。今まで何度か会ったことはあるが、春斗が自分のことを認識していないのは知っていた。

 今日久しぶりに春斗に関わったが、相変わらず春斗の印象は人より少し目立つのが嫌いな普通の男子だった。なのに不思議と賢人や則雪のように春斗を慕う男子は少なくなかった。特に晴希に関しては異常とも思える程だ。


 ――これといって特徴ないのになあ。


 そうこう考えている間に則雪と賢人の会話は進む。


「なあ、とりあえずDクラスの転入生見に行かね?」

「いいな、確か今日の放課後は室長に学校案内してもらってるらしいな」

「チャンスだな!」

「よし野村さんも行くよね?」

「あ、うん」


 賢人の言葉に聡子は反射的に肯定を返した。


「私も行くー」

「美琴さん、今星野さんがどこにいるか分かる?」


 目を瞑り頬に人差し指を指す美琴。


「うーんとねえ……あ、図書室にいるよー」

「近いな」

「よし、行くぞ!」


 しかし美琴は、意気込む則雪の腕を急に掴んで引き留めた。


「ごめん、皆。折角なんだけど、お仕事の連絡が来ちゃった」



 ***



 やけに太った青チェックTシャツの男と、やたらと細長い赤チェックTシャツの男は非常に焦っていた。


「なんで警察がいるって教えてくれなかったんだ!」

「普通警察の前で隠し持ってた銃落とすとは思わねえよ!」


 そうやって中国語で怒鳴り合う二人は、盗んだ自転車で必死に警官から逃げていた。


「何事にも用心しろって、伯父さんが言ってただろ!」

「お前が言う台詞じゃねえ! せっかくピアスを盗めたのに、警察に捕まったら元も子もねぇじゃねえか!」


 細い道を駆使して迫りくる警察官から二人は逃げる。見つかった警察官は徒歩だったが、いずれパトカーで応援がくるだろうと必死で距離を稼ぐ。


「せっかく奴らから上手いこと奪い取れたのに! 馬鹿!」

「馬鹿と言う方が馬鹿だ!」


 謝りつつ、太った方の男――チャンタイは先ほどコンビニで購入したフライドチキンを一つ口に咥えた。包装紙が一つ路肩に取り残されていく。細い方の男――ヤンシーはフライドチキンがまだ数個残っているコンビニの袋に、チャンタイの財布と先ほど落とした拳銃が入っているのを見つけた。


「おい、レジ袋にそんな物入れるな!」

「無理!」

「なんでだよ!」

「自転車、漕いでたら……リュックにしまえない!」

「チッ」


 余分すぎる脂肪を大きく揺らし、既に息も絶え絶えになってきている相方に、ヤンシーは露骨に舌打ちをする。苛立ちを隠す余裕もなくなってしまっていた。


 ――なんでこいつが俺の相棒なんだ!


「特に財布は絶対なくすなよ! アレが入ってんだろ?」

「分かってる!」


 ――俺に預けとけばいいものを、碌に役にも立たない癖にその辺だけは疑り深い。


 乱れる呼吸の中、ヤンシーは器用に溜息をつく。何故自分の相方はこんなにも自分の足を引っ張り続けるのだろうと。

 前回の取引の時もそうだった。チャンタイは持ってくるはずだった金を事務所に忘れて取引に失敗した。前々回のまた別の任務の時は寝坊。更にそのまた前は交通事故……。


 チャンタイとコンビを組み始めたこの半年で、ヤンシーは任務を一度も完璧にこなしたことがなかった。自分のミスは一つもなくで、だ。

 ヤンシーが仕事ができるからと任されたチャンタイだったが、チャンタイの負の能力はそれ以上のものだった。完全にヤンシーや任せた者も予想外である。

 それでもチャンタイが所属する組織に居られ続けるのは、チャンタイがボスの甥だからという部下にとっては迷惑極まりない話だった。そして、ボスもチャンタイの扱いには困っているようだった。


 そんな状況の中、今回の任務は英国系のとある組織からとある品を奪うという比較的繊細なものだったが、ヤンシーの予想を越えて上手くことは進んでいた。


 ――上手くいってたのに、結局なんかやらかすんだよなあ……。


 そこまで考えてヤンシーはボスの力を借りていたのでそこまではできて当たり前だ、と思い直す。これは彼らのボスから直接与えられた任務だった。別に奪えなかったらそれまででいいと、ボスが与えてくれた優しい任務。


 ――ミスはしてしまったが、任務自体を失敗させる訳にはいかない!


 ヤンシーは更に自転車を漕ぐスピードを上げた。

 気が付くと街を抜けて比較的大きな川の道沿いに出ていた。ヤンシーの目に橋が映る。


「待って、ヤンシー!」


 疫病神の相方が声を荒げる。


「なんだ!」


 後ろを振り向くと、非常に真剣な顔をしたチャンタイが見覚えのある建物を指差していた。そしてチャンタイはその建物――先ほども行ったコンビニと同系列のコンビニの前道路で自転車を急停車させる。


「四十分も走り通して、僕は疲れてお腹が空いた」


 さっきのフライドチキンはどうしたと訊こうとしたところで、チャンタイは河川敷に下りる階段に軽々としたレジ袋を投げ捨てた。


「ここで、休憩を要求する」

「……」

「じゃないと僕はここから一歩も動かないし、自転車も漕がない」


 ――なんでこいつは……。


 ヤンシーは自分の額に青筋がたつのを感じた。



 ***



 春斗は人目を忍びながら学校を後にした。

 転入生の登場で今朝の自分の失態は打消されるだろうという春斗の予想に反して、その話題でクラスメイトはおろか、他クラスの晴希の友人からまで弄られ続けた。春斗はそれを放課後になるまで我慢し続け、学校ですべきことを全て片づけると、隼の様に学校を後にした。晴希と友人を撒くのにも少し苦労した次第である。

 一度帰宅すると手早く私服に着替えて、自転車に乗って自宅を後にした。


「ふう」


 自宅から自転車で約二十分程度にある桃川の橋に来て、やっと一心地着く。軽く火照った身体に桃川に沿って吹く海風が心地良い。


 ――この辺なら大丈夫だよな?


 桃川を挟んで高校とは反対の岸にあるコンビニに向かって自転車を漕ぐ。

 河川敷でサッカーをしている小学生はいたが、桜庭学園の制服はどこにも見当たらない。


 ――もうそろそろ、プールの時期だな。


 長袖のシャツの袖を上に捲り上げ、迫りくる夏を少し感じる。

 桃川河川敷付近のコンビニ『本気マジマート』に到着すると、真っ先に駐輪場の自転車を確認した。予想通り、桜庭学園の自転車通学許可ステッカーが貼ってある自転車は駐輪されていない。

 そもそも休日以外人気が少ないコンビニなので、駐車されている車もごく少数だ。


 ――ここなら、知合いいないよな!


 春斗は安心して店内に足を運ぶ。

 本来なら手間も少なくかつ低価格で購入できる学校内にある売店で購入したいところだったが、残念ながら人目がありすぎる。かといって近所のスーパーで買うにも、そこでも桜庭学園の生徒は数多く活動している。

 『極細パッキー』を買ったなんて桜庭学園の生徒に知られたら、晴希にまでその情報が届き、弄られることは分かりきっていた。晴希の触手から逃れるためには、桜庭高校の関係者がいない場所を探すしかない。

 だから春斗はしかたなく、この辺鄙なコンビニに行くことを選択した。


「いらっしゃいませー」


 春斗が入店すると気だるそうにレジにいる若い男性店員が言った。夕方の弁当類の検品作業をしている店員もつられて「いらっしゃいませ」と続ける。女性店員のようだ。雑誌コーナーで立ち読みしている二十代の女性もいる。


 ――よし、桜庭生いない!


 内心ガッツポーズをして何の気なしにレジの前を通り過ぎようとすると、呆けている方の店員から声を掛けられた。


「あれ、もしかして晴希のダチのハルト君?」

「え?」


 春斗は思わず硬直した。

 晴希の人脈が広いことは知っていたが、まさかこんな所にも毒牙が回っているとは思ってもいなかった。桜庭学園の生徒さえ避けておけばいいという短絡的な自分の考えを恨む。


「なになに、こんな辺鄙なコンビニに来るなんて」


 ネームプレートに佐々木と書かれた店員が、先ほどまで呆けていたのを一転、面白そうに春斗に話しかける。


「お会いした事ありましたっけ?」

「ないない。ハジメマシテ」


 何で僕の事知っているんですか? という言葉は敢えて口にせず、替わりに苦い顔をしてみせた。笑う佐々木の制服のポケットからはみ出した骸骨のストラップが揺れた。


 ――ああ、『お化け』の人達か。


 と春斗は納得した。大方春斗を一方的に知っている人物はお化けの類のストラップやアクセサリーを身につけている。どういった繋がりかはあまり把握しているつもりはないが、取敢えず晴希にはそう言った繋がりもあることは知っていた。


「晴希がよく君の話題出すからね。俺達の間じゃ有名だよ」

「みたいですね。知らない人によく声を掛けられたりします」

「だろーね。皆君の事が気になって仕方なくてね」

「晴希の言動にもいい迷惑ですよ、本当に……」


 無意識に最後の言葉に力がこもる。


 ――本当にやってくれる……。


 注目を浴びる様なことをしたくない春斗にとって、冗談ではなく本当に迷惑な話だった。


「で、今日は桜庭学園的にはこんな微妙な位置のコンビニに寄るなんてどうしたの?」


 今朝の事件について触れられると思っていた春斗は、佐々木がこの話題を出してきたことに少し安心する。どちらにせよ明日になれば晴希に弄られるのは間違いないが、知らない人から根掘り葉掘り訊かれる事態は防げる。


「ちょっとサイクリングで寄っただけです」

「ふ~ん、サイクリング、ね……」


 佐々木があまり信じていない様な気配を春斗は察したが、追求される前に運良く奥で雑誌を読んでいた女性がレジに来たので、女性と入れ替わる様にして奥に逃げた。


 お目当ての極細パッキーを手に取り、佐々木にサイクリングと言ったのでついでにスポーツドリンクを手に取る。


 ――小腹空いたな。


 ということで、再びお菓子コーナーに足を運びお菓子を物色していると、店内に桜庭学園小等部の制服を着た息子と娘を連れた母親が入ってきた。


「おかーさん、おかし買ってー!」

「あゆみ、おれんじジュースのみたい」

「だめー」


 母親は子供たちを優しく嗜めつつ、パンコーナーに子供たちを引き連れていく。桜庭学園の制服を男の子は着てはいたが、男の子は小等部だったので、春斗の警戒はすぐに消えた。


 ――やっぱり、レジ前に並んでるやつにしよう。


 レジ前に行くと、佐々木が店員としてレジで待ちかまえていた。春斗はまだ何を買うか決めてはいなかったが、取敢えずレジに品物を置くことにする。春斗がジュースとお菓子を置くと、佐々木は手慣れた手付きでレジ作業に入るが、カウンターフーズを眺める春斗を見て作業を中断した。


「何かカウンターフーズ買う?」

「はい。ちょっと待ってください」


 そうこうしている間に親子連れが賑やかに春斗の後ろに並び、納品作業をしていた店員が別のレジを開ける。親子連れは開けて貰ったレジに行った。


「『本気キチ』一つください」「おかーさん、『本気キチ』食べたい」

「「はっ」」


 男の子と春斗は同時にお互いの顔を見合わせ、そしてカウンターにある『本気キチ』――本気マートで販売しているフライドチキン。本気でキチガイになるほど上手いフライドチキンという意味で命名されている――の数を確認した。

 幸いにして本気キチは四つ並んでいた。

 そして次に母親と目が合い、微笑みながら会釈された。


「?」

「ふふふ、じゃあ今晩のおかずにしちゃおっかな」

「やったー!」

「わーい!」


 小さい二人がそれぞれ歓声を上げる。


 ――あれ? 俺の分……。四つ……?


 母親、娘、息子、恐らく父親の最低四つはチキンが必要そうである。

 春斗と佐々木ともう一人の店員が固まって親子のやり取りを見ていると、やがて母親が店員に声をかけた。


「すいません、本気キチ三つと、ピリキチ一つください」

「は、はい。本気キチ三つと、ピリキチ一つですねー」


 カウンターにはピリキチが三つ並んでいた。

 佐々木はこっそり安堵の溜息をつきながら、春斗の分の本気キチのレジ処理をした。


「はい、おまたせー」

「どうも」

「ちょっとビビったね」

「ははは、そうですねー」


 隣の袋詰めを待っている母親をみると、母親が振り向き悪戯っぽく笑った。


「確信犯ッ?!」

「すいません、ついつい……」

「ねえ、おかーさん、どーしたの?」

「したのー?」

「あ、いらっしゃいませー」

「いらしゃいませー」


 更に二人入店する。青チェックの太短い男と、赤チェックの細長い男だった。


 ――お笑いのコンビ芸人みたいだな。


 そう春斗が思っていると、青チェックの太短い男が春斗を押してレジに割り込んできた。カウンターのフードコーナーを覗くと、

「マジキチ、ヒトツ」


 と佐々木に注文する。不幸にも、親子が注文した本気キチの一つがまだ袋詰めされていない状態で、カウンターに並んでいた。


「すいません、売り切れなんですよー」


 少しカタコトなお客さんに佐々木が丁寧に謝っている間に、慌ててもう一人の店員が最後の本気キチの包装を行う。


「マジあぶねぇー」

「ぎりぎりだったね、おかあさん」


 などと子どもたちは掻いてもいない汗をぬぐった振りをして安堵している。


「ナイ?」

「はい、ないんですよー」


 太短い男は先ほどまで本気キチが置いてあった場所を指差す。


「アッタ」

「さっきのはあちらのお客さんが買っていたんですよー」


 何を言っているのか分からなかったのか、太短い男は隣の不機嫌そうな細長い男に問い掛け、しばらく春斗には分からない言葉で話しこむと、

「本気キチ、クダサイッ!」

と会計を終え、品物を置けとった男の子にとても丁寧な言葉で脅し始めた。


「え?」

「クダサイ! 本気キチ、クダサイ!」

「いやだよ、ぼくらがかったんだ!」

「クダサイ!」


 迫りくる男に、慌てて袋を抱えて母親の後ろに逃げる子供たちと、子供たちを庇い前に出る母親。


「あ、あの……本気キチが欲しいんですか?」

「本気キチ、ゼンブ、クダサイ!」


 男は無駄に抜け目なく、その少年が抱える袋に複数個の本気キチが入っているのを確認していた。


 ――本気キチで、マジでキチガイに……。いや、ありえないだろ……。


 そんなことを呑気に心の中で呟くが、当人らにとってはそうもいかない。


「いやだよぅ……」

「ちょっと、将太は喋らない!」

「本気キチ……」


 太短い男は、背負っていたリュックサックを漁り始めた。



 ***



『急げよ』

『分かってる』


 チャンタイは颯爽と自転車を駐輪すると、店内に入っていく。ヤンシーもその後ろに続いた。本日二度目の本気マートである。


「あ、いらっしゃいませー」

「いらしゃいませー」


 店の備え付けの入退店音と共に、店員が挨拶をする。


 ――混んでるな。


 二つあるレジの前には共に客と思しき人が立っていた。片方のレジは親子がレジ処理を待っており、もう片方のレジは会計を済ませたような少年が立っている。

 チャンタイは迷わず、少年が立っているレジに向かい、割り込んで店員に声をかけた。


「マジキチ、ヒトツ」


 やや驚いた顔をして、言われた店員は申し訳なさそうに口を開いた。


「すいません、売り切れなんですよー」


 ――チャンタイ、運が悪いな。


 あからさまに苛立つチャンタイに追い打ちを掛けるように、目の前の子どもたちがおどけ始める。


「マジあぶねぇー」

「ぎりぎりだったね、おかあさん」


 チャンタイは更に苛立ち、立っているのにその短い脚で貧乏ゆすりを始めた。


「ナイ?」

「はい、ないんですよー」

「アッタ」

「さっきのはあちらのお客さんが買っていたんですよー」

「……」


 ――あぁ、たぶんこの日本語は分からんだろうなあ……。


 そう思った矢先、チャンタイがヤンシーに振り向いた。


『……ヤンシー、この男は今何と言ったんだ?』


 ヤンシーもそこまで話せる訳ではないが、日本語が流暢なボスに直接ならっているためか、比較的日本語は理解できた。


『最後の一個はあの人らが買ったんだそうだ』

『おい、なら僕の買う分は?』

『ないな』

『でも僕は本気キチが食べたいんだ』

『売り切れなら、しょうがないだろ』

『……僕は本気キチを食べるまで、ここから動かないからな』

『……』


 ――それはまずいな。

 いくらボスから与えられたあの武器を使って警察を一度巻いたからといっても、それはまずいと頭の中で算段する。


『――なら奪えばいいじゃないか』

『あ、そうか。「本気キチよこせ」は何て言うんだ?』

『うーん』


 ボスに教えて貰った日本語を思い出す。


 ――確か『よこせ』は「ください」だったな。


『「本気キチください」じゃないか?』

 ヤンシーは知らない、ヤンシーが教えて貰っている日本語が、全て丁寧語であることを。ボスは彼らに悪戯心であえて全て丁寧な日本語しか教えていないことを。

『わかった』

『あと今回ボスに貰った武器は使うなよ。勿体ない』

『わ……わかった』


 チャンタイは慌てて取り出しかけていたその武器をポケットにしまった。


 ――言って良かったな。


「本気キチ、クダサイッ!」


 脅し始めたチャンタイを見てヤンシーは一息つく。


 ――まあ、銃はさっき追いかけられたばかりだし、言わなくても分かるだろ。


「すげー!」

「えっ?」

「?」

「は?」

『馬鹿っ!』


 初めて見る本物の拳銃に、親子はそれぞれ目を白黒させ、後ろに控えていたヤンシーは出された拳銃を掴もうとした。が、日頃の動きでは考えられない素早さで避けられた。


「クダサイ……」

『馬鹿、しまえ! さっきそれで警察に追っかけられたばかりだろ!?』

『ボスの武器は使うなと言ったのはヤンシーだろ?』


 半ば亡霊のように呟くチャンタイ。亡霊としたらそれは本気キチの亡霊といったところだろうか。


「何コレ、エアーガン? すっげーリアル!」

「将太……っ!」


 銃を間近で見ようとする将太を母親は慌てて引き留め、一方春斗は、

 ――え? 最近のエアーガンってこんなにリアルなのか?

と将太の言ったことを真に受けていた。


「本気キチ、クダサイ」

『やめろ、逃げるぞ』

「あ、あの……お客様……」


 異様な雰囲気の男をみてもう一人の店員――佐藤が止めに入ろうとするが、太短い男は店員の言葉にもヤンシーの言葉にも耳を貸さない。


「いやだよぅっ!」

「みんなでたべるのーっ」

「ちょっと、歩美、将太っ」

「挑発シタラ イケません!」

「クダサイ!」


 怒声と共に銃声が店内に響く。

 脅しとして天井に向けられて発砲されたそれは、確実に三人の親子に恐怖を植え込んだ。


「う……うぇぇん」

「おがーさんっ!」

「将太! 歩美!」


 歩美が泣き出したのをきっかけに、年上の将太まで声を上げて泣き始める。


「本気キチ、クダサイ!」

『チャンタイ!』


 細長い男が咎めるように声を荒げる。店内は非常に混乱した状況に陥っていた。


 ――ほ、本物? 本物の銃? なんで?


 細長い男の制止を振り切って、尚も本気キチを寄こせと親子ににじり寄る太短い男。春斗は自分がどうすべきか困惑していると、ふと視界に新たな影が割り込んできた。

 不思議と影は混乱の中心ではなく、春斗に正面を向けていた。

 春斗は店内にもう一人お客がいたことを思い出す。


 ――雑誌コーナーにいた人?


 初めて会う人であるはずなのに、何故だか見覚えがあった。


「君が買った本気キチ、譲ってあげたら?」

「……あ」


 自分も混乱の元になった本気キチを買っていたことを今更思い出す。


 ――そうか、僕の本気キチをあげたらよかったのか。


「いい?」

「はい」


 春斗が肯定したのを確認すると、その女性は一つ頷き今度は騒ぎを起こしている男に振り向いた。


『ちょっといいかな?』


 突然ヤンシーの視界に現れた女性は、流れる動作でチャンタイが構えている拳銃を取り上げた。ヤンシーはその動きと突然発せられた流暢な中国語に思わず目を見開く。


『なんだ、お前!?』

『本気キチ、どうしてもと仰るのなら、一つだけお譲りすることができますよ』

『本当か?』


 興奮したようにチャンタイが目を見開く。興奮してしみ出した脇汗が、シャツの肩付近まで湿らせている。


『どういうことだ、あの親子が買ったので全部だったのだろう?』


 思わずヤンシーも疑問を彼女に投げかけるが、ヤンシーの言葉には不敵に微笑むだけである。


『一つで我慢して頂けますか?』


 チャンタイは数秒間悩みぬき、渋々頷いた。


『ああ、今すぐ出てくるなら、一つでも我慢しよう』

『ありがとうございます』


 一つ大きく笑むと、彼女は先ほどから後ろにいた男子学生に声を掛けた。


「桜井君、本気キチあげてくれるかな?」

「あ、うん……」


 突然自分の名前が呼ばれ内心ビクビクしながらも、春斗は自分が購入した本気キチを袋から取り出した。


「これ、どうぞ」


 通じるかどうか分からなかったが、取敢えず話しかけながら渡そうとすると、手を差し出す前にふてぶてしくチャンタイが袋を奪う。


『最初から、出せ』

「??」

「アリガトウゴザイマス、と言っていマス」

「いえ……」


 どう見てもそう言っている態度には見えなかったが、取敢えず春斗も納得しておく。


『行くぞヤンシー!』


 そして当たり前かの如く、チャンタイはヤンシーを置いて颯爽と店を出ていく。


「お騒がせシテ、申し訳アリマセン」


 ヤンシーは周りに何度も謝ると、春斗に千円札を渡した。


「お釣りはイラナイです。お礼デス」

「あ……いや、これは多すぎる気が……」


 戸惑う春斗を無視して、ヤンシーはことを収束させた女性に振り返る。


『先ほどはありがとうございました。そちらの物を返してもらっていいですか?』


 女性は悪戯っぽく笑うと、すんなりと手に持っていた拳銃をヤンシーに返した。


『日本じゃ銃はだめですよ』

『はい。ところで貴女の出身は中国ですか?』


 そうヤンシーが問い掛けると、女性はより笑みを濃くした。


『それはご想像におまかせします』


 二人目の男が退店し、俄かに店内が安心感に包まれる。


「すっげー、なんだったんだ、あの人ら?」

「さあ?」

「本気キチであんなキチガイになれる人初めて見たな」

「そうですね」

「いやあ、凄いわ……」


 何度も感心したように頷く佐々木。ドアの入り口付近では母親が子供たちをあやしている。


「佐々木さん、取敢えず警察に電話しますよ」

「はーい。ありがとう佐藤さん」

「そういえば、銃天井に撃ってたのに……無傷ですね」

「確かに、空だったのかな?」

「いやいや、空ならあんな音しないでしょ」

「そんなきがするねぇ、なんで、だろうねえ……」

「ですよねえ――あれ……?」


 春斗は事務所に入っていった佐藤を覗き、店内に人が一人足りないことに気が付く。その瞬間、左手に何か尖った物がなぞった感覚があった。咄嗟に腕を引く。


「……なんだこれ?」


 なぞったと思った所に緑色のラインが引かれていた。どうやらボールペンで書かれたらしいのだが、犯人とその理由が思い当たらない。そもそも自分で書いた記憶もなかった。誰がと思い、店内の人が減っていることに気が着く。


「ねえ佐々木さん、星――さっきの女の人知りませんか?」

「怖かったね、大丈夫?」

「え?」

「うん」


 佐々木に話しかけられた男の子が頷く。


「あの、佐々木さん?」

「もうなんでこの子はさっさと渡さないのか……」

「だってみんなで食べたかったんだもん……」

「ああいう危ない人には、言うこときいてさっさと逃げなきゃ」

「そうよ将太。……でも本当に助かりました。まさか運良く本気キチが残ってるなんて」

「え? あの、さっきは――」

「いえいえ、実はあれ、後で俺が食べようと思っていた売れ残りなんですけどね。本当は売っちゃいけないんっすけど、非常事態だったし、まあ良いかなって」

「そうだったんですか。でもとても助かりました。ありがとうございます」


 誰も春斗の存在に気が着いていない。それどころか、先ほど起きた事件とは別の解決方法で事件が解決したことになっている。

 佐々木に深々と頭を下げる母親の姿が、春斗には遠い風景のように思えた。


 ――いったい何が起きたんだ?


 混乱し続ける頭のなか、誰にも見送られることもなく春斗は本気マートから外にでた。


「遅かったね」

「え?」


 店舗横の駐輪場に行くと、先ほど探していた女性が春斗の自転車に跨っていた。割と不審者に見えた。


「ねえ、ちょっと後ろ乗せて。サイクリングしようよ」

「道路交通法違反ですが……」

「大丈夫、大丈夫」


 そして彼女は再び不敵に笑った。

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