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金色の魔法使い  作者: 小島もりたか
3/18

六月二日(火) 午前八時十五分

 春斗が小走りで下駄箱に駆け込むと、普段学校に登校してくる時間帯に比べ廊下が賑わっていた。ギリギリの時間に登校してくる生徒以外、一通り登校しているようだ。

 学校に到着したことで、自然と歩調が緩む。


 教科書をロッカーから出す生徒、荷物を持ってどこかの教室へ向かう生徒、友人と雑談する生徒――そんな、普段通りの行動をする生徒を見ながら歩いていると、自然と視線が惹かれる女子生徒がいた。

 彼女は平均的な日本人女性より少し高めの身体を凛と延ばし、短めのしかし艶がある綺麗な黒い髪を優雅になびかせながら歩きつつ、極細パッキー――極細の棒状ビスケット地にチョコがつけられたスナック菓子。類似商品に極細パッキーの二倍の太さのビスケットを使用しているパッキーやパッキーの三倍の太さがある極太パッキーがある――を食べながら歩いていた。

 日本人離れした彼女の整った顔立ちもさることながら、そこそこ大きい女子生徒がお菓子を食べながら一人で歩いているのは、春斗だけでなく多くの生徒の視線を集めていた。


 ――あんな子いたっけ? ふとそんな疑問が脳裏を過る。


 彼女が着けている制服のリボンは春斗のネクタイと同じ赤色をしている。つまり同学年だ。


 ――僕と同じ校舎にいるということは僕と同じ普通科か、もしくは進学科のどちらかだけど……あんな目立つ女の子は一度も見たことがないなあ。


 彼女を見ていた同学年の生徒も春斗と同様の事を考えていたらしく、彼女を見るなり近くの友人に近づいては、小さな声で彼女についての話をしている。

 無意識のうちに不思議な彼女を見つめていると、目が合った。


 ばちっ

「……あっ」


 頭の中で電流が流れた。


「……」


 不思議なことに、同じく彼女も驚き、口をあんぐりと開けていた。光の加減が幸いして、開いた口から咀嚼されたパッキーが見えることはなかったが……。


 ――なんだ?


 彼女の真っ黒な瞳に吸い込まれるように春斗の脚が動く。

 彼女も同じように春斗に向かって歩を進める。このままだと正面衝突してしまうと頭のどこかで理解していても、脚が止まらない。それ以前に歩みを止めないといけないという考えがこの時の春斗の意識の範疇に入っていなかった。

 お互いに何かに引きつけられるように、磁石のN極とS極が引きあうように歩みを進めていく。


「おい……」


 春斗と彼女の異様な様子を見つけた生徒が、心配して声をかけようとした瞬間、


 巨大な放電音と共に二人が衝突した。


 静電気が放電する音を何十倍にも大きくした様な音を、春斗はラジオを聴くように他人事のような感覚で聞いた。なので急速に前に進んでいく光景の中にいる生徒達に、強烈な音に対する反応がないことに、なんら違和感は覚えなかった。


「痛――」


 理解不能な衝撃から春斗が身を起こすと頭――額に痛みが走った。そっと額に触れると、膨らみができている。ぶつかった拍子にどこかでぶつけたのだろう。


「う……」


 うめき声が聞こえて確認すると、大よそ三メートル先で先ほどの女子生徒が、バラバラに砕けてしまったパッキーにまみれながら倒れていた。


「すいません! 大丈夫ですか?」


 痛みも忘れて彼女に駆け寄ると、一部始終を見ていた生徒も駆け寄った。次々と彼女に声をかけていくが、春斗以外誰も腰を下げる様なことはしなかった。


「――」


 彼女が薄く目を開く。長い金色の睫毛がパサリと音を立てたような気がした。

 その隙間から、澄んだ金色の瞳が現れる。


 ――綺麗だ。


 ただただ、彼女の瞳に見惚れる。今まで見てきたものの中で一番美しかった。どんな宝石も景色も彼女の瞳には敵わないと思った。

 春斗がこんなに異性に惹かれたことは、記憶にある中で初めてのことだった。

 彼女の視線が何かを思い出そうと虚空を彷徨う。


 ――あれ?


 ふとその瞳に既視感を覚える。


 ――何故だろう、懐かしい……?

   僕はどこかでこの瞳に会ったことがある?

   僕はこの瞳を知っている?


 思い出そうと考えるが、これっぽっちも思い出せそうになかった。記憶を探ろうとしてもその先には何もなかった。


 ――髪も金色なんだ。


 乱れた美しい金色の髪も酷く愛おしく感じた。

 直そうと手を伸ばしかけ、想い留まる。


「あ……」



 ばちっ


 再び彼女と視線が交わる。謎の電流の衝撃から体勢をすぐさま立て直す。

 彼女は寝ぼけている様な緩慢な動作で手を上げると、そっと春斗の額の端に触れた。春斗は突然の行動に咄嗟に身を固くする。


「綺麗な――」


 彼女の発した囁きは、最後まで聴きとることができなかった。


「あの……大丈夫ですか?」


 彼女は春斗の言葉に対して、元々大きかった目を更に大きく見開いた。『黒い』まん丸の瞳の中に春斗の姿が煌めく。そして

「見つけた!」

と歓喜の声を上げ、春斗を強く抱きしめた。


「私の運命の人!」


 まさしく生き別れていた大切な人を抱きしめるように、彼女は春斗を強く強く抱きしめた。一方春斗は彼女が発した言葉ではなく、彼女に強く抱きしめられたことに対して強く硬直し、そして、数秒後に彼女が何を言ったのかに気がつく。


「……あの」


 極めて静かに、冷静に、自分の身体を拘束する女子生徒を引き剥がす。

 彼女は春斗に無抵抗で引き剥がされるが、頭の上にクエスチョンマークが出ていた。


「…………」


 廊下や教室から顔を出している野次馬が静まりかえっていることが、煩く感じた。春斗は恥ずかしさで血が上るより、異常事態の中心にいることに血の気が退いていく自分に気がついた。酸っぱい物が身体の奥から湧きあがってくる。


「あ、あの、ごめん、大丈夫?」


 先ほどの笑顔から一転、彼女は心底心配そうな表情を春斗に向ける。その変化で自分の顔色の変化に気が付く。


「だ、大丈夫です……それより、パッキーが酷いことになってますよ」

「……?」


 彼女は言ったことが直ぐに理解できなかったのか、春斗を真っ黒な瞳でしばし見つめた後、自分に盛大に振り掛けられているパッキーを見て小さな悲鳴を上げた。


「わ……私の極細パッキーが……」


 彼女はぐちゃぐちゃに崩れてしまったパッケージの箱を拾い上げ、腰が砕けたように座りこんだ。そんな彼女の短い黒髪から、パッキーの持ち手部分が尻尾を出している。


「ご、ごめん。買って返すから」


 あまりの彼女の落ち込みように、春斗は一瞬で罪悪感に苛まれた。


「いいんです。私がぶつかってしまっただけなんで……」

「ごめんね、身体は大丈夫?」

「極細パッキー以外は大丈夫です……」


 それは身体じゃない、と突っ込みを入れたくなったが寸前で思い止まる。


「でも一応、保健室行っとこうか」


 彼女は「大丈夫です」と呟きながら首を横に振った。


「……なら、とりあえず掃除しようか。制服とかも、酷いことになってるし。それで、やっぱり調子悪そうなところあるなら、一緒に保健室行こう」


 彼女が頷いたので、春斗は野次馬達を押しのけて掃除用具入れから箒と塵取りを取り出した。春斗と彼女が床に落ちたパッキーを掃除し始めると、野次馬の垣根から二人の女子生徒が出てきて、春斗達を手伝い始める。凛とした雰囲気の身長の高い女子生徒とおっとりとした雰囲気の女子生徒だった。

 変な行動を自分に向けられ苛立つ感情と、大好きらしい菓子を滅茶苦茶にしてしまった罪悪感、抱きしめられた際の柔らかな感触、未だに大人しくなってくれない吐き気、そして突然の好意対する動揺。様々なものが頭の中でごちゃ混ぜになり、自然と春斗の箒の扱いは荒くなった。普段あまり気を荒立てない春斗にしては珍しい感情の乱れ方だった。

 野次馬生徒のざわめく中、廊下に散らばった可哀想なパッキーの破片が荒々しく塵取りに押し込まれていく。


 ――いったい何がどうなっているんだ? なんで俺がこんな羽目に……。


 気を遣ってくれたのか、身長が高い方の女子生徒が掃除をしながら人払いもしていた。心の中で感謝をする。


 ――あ、でもパッキーは申し訳なかったな。買って返さなきゃ。


 春斗は無意識に横目でパッキーを返す相手を見た。


 ばちっ


「――っ」


 偶然か必然か、彼女と視線が再び交差した。

 今日何度目かの感覚に困惑していると、彼女は眉尻を下げて弱々しく微笑んだ。

 ごめんなさい――と謝られている気がした。


「――」


 自分でも何と言おうとしたのか分からない、でも何か声をかけなければいけないと思った。しかし、

「あの……」


 足元でおっとりと手伝ってくれている女子生徒が困ったように顔を覗いていた。


「あ、ごめん」


 どうやらそこそこの時間手が止まっていたらしい、慌てて掃除を再開する。

 脈拍が上がっていたことにも気が付き、そんな自分に更にドキリとした。


「大丈夫ですかぁ?」

「え?」

「ぼーっとしていたので……」


 自分より普段遥かにぼうっとしていそうな女の子に言われて、少し悲しくなった。


「全然、大丈夫だよ。掃除手伝わせちゃってごめんね」

「気にしないでください」

「申し訳ない。ありがとう」


 照れたように笑う女子生徒と視線が交差したが、頭の中に電流が流れることはなかった。



 散らばったパッキーの片付けは思いのほか短時間で終わった。

 手伝ってくれた女子生徒への感謝もそこそこに、掃除道具を片づけていると、「本当にごめんなさい」と背後で誰かの声がした。


「あの」


 例の彼女が謝ってきたのかと慌てて春斗は振り向いたが、振り向いた先には誰もいない。

 そうだ、と思い彼女の姿を探したが、何故だろう、彼女の姿はどこにも見えなくなってしまっていた。周りの生徒に訊いても誰も彼女の行方を知らない。

 しまったと心の中で舌打ちをする。クラスを訊きそびれてしまった。

 どうしようかと考えていると、始業時刻五分前のチャイムが廊下に響いた。とりあえず教室に向かうことにする。鞄を拾い上げると、後ろから肩を叩かれた。


「よっ、春斗がこの時間にまだ教室にいないとか、珍しいな」


 振り向くとよく見知った人物だった。


「なんだ賢人か」

「何かあったのか?」

「ちょっと衝突事故に遭って……」

「へぇ。街角で食パンを咥えて走る女子高生と衝突事故か……実在したとは」

「違う。学校の廊下で、極細パッキーを食べながら歩いてた女子生徒と衝突事故だ」

「なんだ交通事故じゃないんだ。通りで外傷とかが特に見えない」

「寧ろ冗談で言われた方が正解に近くて悲しいな……」

「まぁまぁ、交通事故じゃなくてなにより」

「極細パッキーは大惨事だったけどな」


 せめてもの抵抗で衝突事故の直後何が起きたのかは触れないでおいた。しかし何が起きたのか賢人の耳に入るのは、時間の問題だろう。


「極細パッキー?」

「うん。ぶつかった女子が食べてたんだ」

「廊下で歩きながら?」

「そう」

「変わってるというか……行儀が悪いな」

「うん」


 そこは春斗も素直に頷いた。


「で、ぶつかった拍子に」

「バラバラに砕けた」

「バラバラというか、ボキボキに?」

「いや、バラバラ」

「ん?」


 若干の話の食い違いに賢人が気が付く。


「パッキー『一本』がぶつかった拍子にボキボキに折れたんじゃないのか?」

「違う、ぶつかった衝撃で極細パッキー『一箱』がバラバラ殺菓子事件だ」

「一箱が?」

「一箱が」


 オウム返しに言って頷くと、賢人は眉を顰めて明らかに不審そうな顔をした。


「お互い全力で走ってたのか?」

「歩いてたと……思う」


 改めてぶつかる直前のことを思い返してみると、記憶があやふやなことに気が付く。頭打ったせいかもしれない。まだ、額の真中にできたたん瘤がじわじわと痛んだ。


「バラバラ殺菓子事件ってことは、バラバラに砕けたパッキーがボロボロに破けた箱や袋から飛び出たってことか?」

「そうだな」

「……お互い歩いているスピードでその衝撃はおかしくないか?」

「そう……かな?」


 窺うように顔を覗いてくる賢人。話の矛盾点をついてくる時の癖だった。自分が悪いことをしているわけではないのに、思わず目を逸らしてしまう。これ以上このことの不可解さを指摘される前に、別の話に逃げることにする。


「それよりさ、僕より身長が少し低い、美人というか外国人系の女子知ってるか?」


 賢人は少し驚いた風に首をすぼめた。話を逸らすのには成功したようだ。


「春斗が女子に美人って使うとこ、初めて聞いたな……」

「そうか?」

「うん。そもそも春斗も女子に興味持つんだな」

「は?」


 春斗の威圧感に、感慨に耽っていた賢人は慌ててなんでもないと首を振る。


「春斗より少し低めって……女子にしては結構身長高いな……何年?」

「二年」

「う~ん、同学年で身長高めの美人な外国人っぽい女子ね……髪はどんな感じ?」

「短めの……」


 言いかけて思わず口を噤む。


 ――あれ? 金髪だっけ、黒髪だっけ?

 最初に見た時は黒髪だった気がするが、金髪の印象も強くある。


「……なあ、金髪の女子生徒っていないよな?」

「金髪? いくら校則が厳しくないからって、そんな生徒見たことないな」

「だよな」


 春斗は頷く。


「確か黒髪だった気はするんだけどな……」

「頭打ったんじゃね?」

「あー、うん。たぶん打ったみたいなんだけど……」

「え? 大丈夫か? 保健室行っとけよ。頭の怪我は怖いんだからな」

「たん瘤できたから、大丈夫じゃないかなあ……」


 賢人にたん瘤を見せると、その大きさが意外だったのか、顔を顰めた。


「いや、保健室行っとけって」

「いや、いい」


 賢人は春斗の頑なな表情を見て、説得するのを諦めた。


「まあとりあえず、そんな女子生徒は少なくとも二年の進学科にはいないな」

「そっか……」


 僅かに肩を落とす。


「百七十近くの身長で、短髪で、春斗が美人っていうぐらい美系の外国人女子だろ? そんなの他の科でも他学年でもないんじゃないか? 身長高いだけならそこそこいるけど」

「じゃあ誰なんだ?」


 ――確かにあの時ぶつかって……。


 その後に起こったことを思い出してしまい、一瞬心が乱れるが気を取り直してあの時の状況を思い出す。

 リボンの色も同学年だった。間違いない。


「可能性としては、春斗が美人っていう顔のレベルが僕の思う美人と違ったから、僕に思い当たる節がないのか、」

「ないのか?」


 春斗は急かす様に、賢人の言葉尻をくり返す。徐に賢人は制服のポケットからスマートフォンを取り出した。


「転入生か」

「転入生?」

「そういえば則雪がさっきメールで言ってきてたんだ」


 言って賢人はメールを見せる。


「なるほど、転入生か……」


 妙に納得した。転入生だとするとあんなに印象的な生徒を、一度も見た覚えがないことがないことにも合点がいく。


「Aクラに転入って、めちゃ頭いいな」

「みたいだな」

「お前が言うなよ」


 春斗は学年で最も頭が良いクラスで主席の成績を持つ隣の友人の脇腹を突いたが、友人は困った様に笑っただけだった。

 丁度その時、始業のチャイムが廊下に響いた。


「うわぁっ!」

「また後でどんな転入生か報告してやるよ。あと頭、異変感じたらさっさと保健室行けよ」

「サンキュー。分かった」


 春斗と賢人はそれぞれの教室に駆けていく。



 ***



「何か気になることあったのー?」


 先ほど散乱した極細パッキーの掃除の手伝いをしてから、親友の聡子は眉間に皺を寄せてばかりいる。何かを考えている時の癖とは本人は気が付いていないけど、自分にとっては分かりやすい聡子の感情表現の一つだ。


「ごめん、何か言った?」

「言ったよー。さっきからずっと難しそうな顔してるから、何悩んでるんだろうって思ってさー」

「そう見えた?」

「うん。もしかして、さっきの男子好きだったとか?」


 瑞樹が悪戯っぽく笑うと、聡子は心底不快そうに顔を顰めた。


「それは、ない」

「そんなに否定しなくても……」

「知り合いの友達だったの、だからその誼みで手伝っただけ」


 鋭く睨まれ、思わず苦笑いしてしまう。


「そういえば瑞樹、さっきの女の子誰か知ってる?」

「聡子が知らないなら私も知らないよー。聡子の方が顔広いし」

「そっか……」

「でも同学年みたいだよねー。あんな子初めて見たよ」


 身長が高いうえに姿勢もよく、何より顔立ちも際立って整っていた。あんな女子生徒がいたら学年のマドンナになっていそうなものだが……今日まで一度も出会ったことも、噂を聞いたこともなかった。

 聡子も頷き返す。


「それにしても凄かったねー。『運命の人!』って」

「それも凄かったけど……」


 聡子は言いかけて再び口を閉ざした。瑞樹はその反応に首を傾げる。


 ――それ以外に凄かったことって何だっけ?


 瑞樹にはテレビの中から出てきた様な美人な女子生徒が、それこそ何かのドラマの様に「運命の人!」と言って男子に抱きついたこと以上の驚きはなかった。

 ややあって、聡子は窺うように瑞樹を覗き見た。


「瑞樹は凄い音聞こえなかった?」

「凄い音? どんな?」

「雷が落ちたみたいな」

「いつ?」

「さっき、パッキー片付ける前」


 ついさっきのことを思い返してみるが、雷の音なんて聞こえた覚えがなかった。


「そんな音鳴ってた?」

「鳴ってた。やっぱり皆には聞こえてないんだ……」

「聡子の気のせいではなくー?」

「あんな音、気のせいな訳ないよ。たぶん……」


 ふと聡子は言葉を噤んだ。


「たぶん?」

「そういえば、パッキーも尋常じゃなくバラバラになってたよね」

「言われてみるとそうだねー。どんな勢いでぶつかったんだろー?」

「普通ぶつかっただけじゃあんなにパッキーバラバラにならないよね。他の皆はそこんとこ疑問に思わなかったのかな? でもその後抱きついたのが印象的すぎて普通はそこの印象薄れちゃうか。

 でもなぁ、パッキーバラバラだった割に二人に怪我なかったよね。

 あ、逆に全然勢いなかったのにパッキーがバラバラになっちゃったのがおかしいのかな? うーん、よくわかんない……」


 口早に、かつ長文で返答がきたが、会話の途中で聡子は思考に入っていった。そんな聡子を苦笑いしつつ、瑞樹は一限目の授業の準備をし始める。

 こんな時の聡子は、何を言っても会話にならないことは承知していた。


 ――確かに、なんであんなにパッキーバラバラになったんだろう?

 瑞樹の思考もその不思議に寄ったが、それも一瞬で、すぐに昨日出ていた宿題のことに頭が切り替わった。



 ***



 春斗は自身の教室、二年D組の教室に駆け込んだ。血圧が上がったせいだろう、ちくちくと額が痛む。

 始業のチャイムは鳴り終わっていたが、担任の望の姿は教壇にまだなかった。担任より少し教室に入るのが遅れたからといって、遅刻扱いをする様な教師ではないが、なんとなく一安心する。

 ほっと溜息をついた瞬間、視界の隅から春斗の喉元目掛けて腕が飛んできた。


「うわあ、何すんだよ!」


 当たる寸前の所でそれをかわし、春斗はラリアットを繰り広げた人物を睨んだ。

 その人物――晴希は舌打ちをして、同じく春斗を睨んだ。


「なに朝から可愛い女子とイチャついてんだよ」

「なんでもう知ってるかなあ……」


 思わず口から溜息が漏れ出る。


「俺の交友関係なめんじゃねえ」


 そう言って晴希が突き出したスマートフォンには、可愛らしいお化けをモチーフにしたストラップが揺れていた。


「はいはい。それは知ってます」

「後でたっぷり訊かしてもらうからな!」

「そうだぞ!」


 他数名の男子生徒も晴希の後ろから春斗をけしかける。

 どう対処しようかと考えているうちに教室の後ろのドアから望が現れた。よいしょと机と椅子を一セット分設置する。


「なに、どうしたの?」


 望のその一言で集まっていた男子生徒は一斉に解散する。


「センセー、その机どうしたの?」


 何となく状況は察していたが、晴希は念のため望に訊いたようだ。訊く以前に、教室の磨りガラスの向こうに影が一つ見えたが……。

 教室の生徒達も磨りガラスの向こうの生徒に注目してあちこちざわつき始める。


「転入生。さ、朝のショート始めるから座って」

「はーい」


 ある程度の生徒が着席するのを見届けると、望は転入生が待つ廊下にもう一度出て行った。


「女子かな?」


 何故か晴希は春斗に尋ねる。一瞬今朝の女子生徒の姿が春斗の頭をよぎったが、影の大きさ的に違うので心なしか残念に思った。


「さあ?」

「可愛いといいな」

「勝手に女子って確定すんなよ」


 晴希と春斗が着席したのと同時に望と転入生が教室に入ってきた。晴希の期待通り転入生は女子生徒だった。真っ黒な髪、黒縁眼鏡、全体的に短い髪に対して少し長い前髪、少し猫背の姿勢、身長は恐らく平均的な女子の身長で中肉中背といった感じで――残念ながら、晴希の要望にはそぐわないタイプの女子生徒だった。晴希は失礼にも小さく溜息をついた。

 一方春斗は彼女を一目見て思わず息を呑んでいた。


 ――あの子だ。


 骨格からしても今朝の女子生徒と異なるはずなのに、直感的にそう思った。

 特殊メイクにしても変えられるのは精々顔や表面上の人体の見かけだけだ、それ以上のこととなるとコンピュータに頼らざるを得ないのだが、もし春斗の直感が正しければ彼女の変わりようはそれ以上の変わり身を遂げたことになる。


「今日から新しく2-Dの一員になる、星野光さんです」

「よろしくお願いします」


 光が小さく一礼すると、まばらに歓迎の意味を示す拍手が起きた。晴希は晴希で非常に不服そうながらも拍手していた。


「この時期の転入も珍しいけど、皆仲良くね。自己紹介とかはどうする?」


 ――星野光さん、


 春斗は頭の中で彼女の名前を何度も反芻する。教室を見渡す様に小さく顔を動かす光と春斗の視線が一瞬交差した。


 ばちっ


 頭に再び電流が流れる。

 光は光で春斗と視線が合った瞬間、たどたどしく視線を逸らした。


 ――やっぱり、今朝の子だ。


 今のちょとしたやり取りだけで直感は確信に変わった。


「いえ、特にありません」

「わかった」


 困った様に望は微笑し、先ほど設置した座席――廊下から二番目の列の最後尾の席――を指差した。


「あそこがしばらく星野さんの席だから」


 春斗の座席は窓側から三列目の前から四番目(廊下から四列目、後ろから二番目)に位置している。春斗の座席からは僅かに遠かった。そのことを少し残念に思う。

 望が約二週間後に開催する体育祭についての説明もしていたが、春斗は光が気になって全く聴くことができなかった。

 こんなに教室にいる誰かを意識することは初めてのことだった。


 朝のショートホームルームが終了し、春斗がスマートフォンを確認すると賢人から春斗にメールが入っていた。転入生の話は則雪の勘違いだったという内容だ。

 どうやら賢人が教室に入った時点には座席が撤去されていたらしい。返信を打っていると、誰かから頭を小突かれた。予想通り、晴希だ。


「なあ、噂だとお前に『運命の人』宣言した女子は転入生って話で纏まってんだけど……あの子?」


 晴希はそっと光を指差した。


「聴いてた印象と全然違うんだけど……ってか、転入生複数いたのか? でも則雪の話はデマだったって可能性も高いしな……」

「Aクラには転入生こなかったって賢人から連絡あったよ。あと星野さんであってると思うよ」

「は? 嘘だろ? 聴いた話だと、白人系のモデルみたいな女子って……」


 晴希は周りの目を憚らず光を観察して深く頷く。


「違うだろ」

「いや、でもそうだと思うんだ。確かにちょっと今朝と印象違うけど」

「いや、印象ってか身長すら違うからな」


 春斗は唸る。そこは十分に分かっていた。しかし直感が同一人物であると断言しているのだ。この直感をどう説明付けしようか戸惑う。晴希も春斗の困惑を察したのか、やや悩んだ後「とりあえず、『運命の彼女』を俺は絶対炙り出してやる」と鼻息を荒くして去っていった。


 ――炙り出すも何も、彼女なんだけどな……。


 光を振り返って見ると、光は室長の鈴木華子を筆頭とする面倒見が良い女子に囲まれていた。光は恥ずかしそうに室長達の言葉に受け答えしている。

 この様子だと転入生パワーで今朝のあの恥ずかしい話はあまり持ち出されることはなさそうだ、と一安心する。クラスを移動してくる生徒は時折いても、転入生などほぼいないからだ。転入生がクラスに来るという事件は、今朝のあの恥ずかしい衝突事件以上のビックニュースだろうと自身の中で結論付ける。


 ――とりあえず居所も判明したし、これでパッキー返せるな。


 春斗は安堵の溜息をついた。

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